粗茶淡飯

中国・台湾・日本のお茶に関する色々。執筆者・徳田志保。

緑茶の産地で作られ紅茶…宜興紅茶④

2016-08-16 00:10:26 | 紅茶(中国茶・台湾茶)



さて、当時の「蘇紅」は主に紅砕茶(CTC或いはLTP)であったことは前回お話ししましたが、この時期宜興の紅茶はどんな問題あったのでしょうか?

当時の記録を探すと…
・この地域の茶樹は小葉種又は中葉種で味わいが薄かった
・紅茶に向く品種の開発が必要
・製茶機械の性能
・温度と湿度のコントロールの必要性
という文面が見られます。

幾つかは今の和紅茶の現状と被るところがありますね。

蘇紅は、上記を解決したことで60〜80年代初頭まで、紅砕茶の輸出が盛んだったそうです。

そして、紅茶の製造に興味がある方々にとって注目すべきはこの当時から「温度と湿度のコントロール」が行われ始めていたことではないでしょうか。確かに宜興は温度や湿度に関しては、決して理想的とは言えない時期があります。品種も今だに緑茶品種の栽培が主体です。その環境化でどんなことが行われているか、興味ありませんか?

この温度と湿度のコントロールに関しては、私は宜興でその作業を何度か見せてもらっていますが、まだ宜興紅茶と関連した確かな文献を見つけることが出来ていません。

そこで、ここからは敢えて紅砕茶ではなく、ホールリーフで作られている今時の宜興紅茶の製造技術に近い、越紅工夫紅茶(*)の製造に関する情報を翻訳・記載し、宜興で撮影した画像と併せてご紹介したいと思います。

長いと疲れますね。(苦笑)
次回に続きます。




緑茶の産地で作られる紅茶…宜興紅茶③

2016-08-15 00:36:18 | 紅茶(中国茶・台湾茶)



中華人民共和国建国後、計画経済が始まり、お茶も一気に組織化、制度化されていきます。

国務院直轄で、主に生産や流通の計画を立て潤滑な運営を促す「中華供銷合作総社」、国内の食料の流通・加工・販売、輸出入を取り仕切る中粮集団傘下の「中茶公司(現中国茶葉股份有限公司)」、農畜産物の対外専門商社である中国土産畜産進出口公司傘下にある「中国茶葉進出口公司」、そして生産現場には農林庁、研究所、園地、集荷拠点、機関工場、末端工場などが置かれ、様々な政府直轄企業、国営企業、国有企業が茶業に関わって行きます。(*)

その流れの中で、宜興の茶産業では生産拠点として、市内の茗嶺、張渚、湖(氵父)が選ばれ、栽培、品種育成、生産の研究、技術革新が進み、急速に発展をし始めました。

紅茶そのものの生産は、記録によれば1937年に日光萎凋→脚揉み→静置・発酵→日干しにて作られた記録がありますが、研究が盛んになって、本格的に生産に入ったのは60年代に入ってからで、紅砕茶(LTP・CTC)の研究・生産において実績が認められます。この事から、この地の紅茶は「蘇紅」と名付けられ、1964年には中国国内にある6つの紅砕茶品質研究拠点の1つとなりました。

つまり、現在、中国茶の世界で時々教科書等に出てくる「蘇紅」とは、私達が現在見る小さく柔らかな芽を使ったホールリーフのものではなく、当初は紅砕茶(LTP・CTC)だったということになります。

さて、小難しい話が続きましたが、
宜興紅茶の概要は終わりです。

お待たせ致しました。(苦笑)
次号はようやく日本の生産者も興味のある、
製造のお話になります。




(*)…中華人民共和国建国後の政府直轄企業や国営、国有企業などの制度のお話は、詳細を説明するとかなり複雑になり、お茶そのものの話題から離脱しがちになるので、あまり厳密には拘らず、少し粗い、大雑把な説明になっています。ご了承ください。





緑茶の産地で作られる紅茶…宜興紅茶②

2016-08-14 00:45:28 | 紅茶(中国茶・台湾茶)


江蘇省宜興市のお茶の歴史は長く、「旧唐書」「新唐書」「全唐詩」にはいくつかの記載があるそうです。また、唐代に献上茶を作っていた記録も残っているとか。盧㒰、白居易の詩にもこの地のお茶が「陽羨茶」として詠まれており、この地のお茶はストーリーには事欠きません。歴史に興味がある方は、是非日本茶の急須にあたる宜興紫砂壺と合わせて、調べてみてくださいね。

敢えてこのブログのテーマに合わせて
私が何か史実の中から挙げるとしたら、
金代に「金字末茶」、明清時代に「離墨紅筋」と呼ばれるお茶が作られたということでしょうか。

専門家の検証の結果、前者は何らかの原因で不均一に発酵した散茶だったらしく、辺境の地へ送られていたようです。後者は1988年に執筆された張志澄氏の「陽羨茶録」によると、途中までは現代の軽発酵の烏龍茶の作り方に近いやり方で作り、殺青時に敢えてエビ(✳︎)の状態にして完成させたお茶だったようです。

この地の紅茶作りの動きは中華人民共和国建国後、特に60年代に入って盛んになります。

(続く)



(✳︎)エビとは殺青が不完全で、茎や葉脈の太いところが赤みを帯びる現象

緑茶の産地で作られる紅茶…宜興紅茶

2016-08-12 22:26:25 | 紅茶(中国茶・台湾茶)




宜興紅茶は中国江蘇省宜興市で作られている紅茶です。
この産地は太湖の西側にあり、現在は清明節前(明前)からその少し後までは碧螺春や陽羨雪芽などに、その後は紅茶に加工されます。
この地は古くから緑茶の産地として有名でしたが
中華人民共和国建国以降、紅茶が作られるようになりました。

そこにはどんな背景があったのでしょうか?
緑茶の産地なのに、どのように紅茶の技術を確立して行ったのでしょうか?

宜興という名が出ると、真っ先にイメージするのは
「宜興紫砂壺」と呼ばれる後手の急須ですが、
今回はこの産地の紅茶にスポットを当てたいと思います。




正山小種(ラプサンスーチョン)②

2016-07-22 20:43:16 | 紅茶(中国茶・台湾茶)

①にも載せた「青楼」と呼ばれる木造の建物です。↓



正山小種、ラプサンスーチョンと言えば、必ず話に出てくるのが、この建物の話だと思います。

巷では、この木造の建物の話になると、独特のスモーキーフレーバーの着香の話ばかりがクローズアップされますが、果たしてこの「青楼」の使用目的はそれだけなのでしょうか?紅茶の始祖と言われているこの正山小種、ラプサンスーチョン。中国紅茶に限らず、世界中の紅茶にとって、その存在意義とは何なのでしょうか?

それにはまず紅茶の製造工程を頭に入れ、この青楼の構造を知ることが肝要かと思います。

紅茶の製造工程を極力シンプルに記すと…

①摘採→②萎凋→③揉捻→④静置(発酵)→⑤乾燥

となります。
一方、青楼ですが、これを上記の工程に合わせると

◉まず1階部分。↓



ここで松を焚きます。熱と煙が上階へ上がります。

◉2〜3階部分↓





ちょうど稼働中なので煙い状態でした。ここでは床から熱、レンガで造られた穴から煙が出てきます。そして棚のようなものが何段かあり、揉捻が終わり、少し発酵が始まった茶葉(✳︎)を並べます。(紅茶製造工程の④と着香にあたります。)

◉4階は↓





このような竹板を張り巡らせた床に、ゴザのようなものが敷かれ生葉が静置されています。(紅茶製造工程②)

この青楼というものは、とても良く出来ていて、建物1つの中で萎凋、発酵、着香が一定量出来るようになっています。当時としては画期的なものだったのではないでしょうか。

つまり、この青楼は紅茶の歴史上、最も原始的な大型製茶機械であり、今となっては正山小種・ラプサンスーチョンも含めて、そこに最も大きな存在意義があるのではないかと、私は考えます。

意外と半世紀後には、上記のような話が見直され、昨今ブームになった金駿眉ではなく、旧来からあるこの地のお茶に再び歴史的付加価値が付くのではないでしょうか。そうであって欲しいと願います。




✳︎この時の茶葉の色は、書籍には「古銅色」と書かれていますが、地元では「緑豆色」と呼ばれています。