☆ポン太家最後の天使 メイJ
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メイJ
ファーム:アメリカン(♀)七女
2019年12月5日永眠 7歳1か月
地元のペットショップで一年以上も売れ残っていた女の子
病気の銀次郎を喜ばそうとお迎えした子でしたが
銀次郎も早々に旅立ってしまってからはずっとひとりだったメイJ!
悪戯で強烈な噛み癖があり正直私にはあまり懐かなかった。
でも病状が悪くなるに連れ私の膝でおとなしく寝る様になったのに
最期はひとりぼっちで苦しんで逝ってしまったメイJ
ごめんよ!本当にごめんよメイJ
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9月17日(月)晴れ お休み
今日は私が初めて安楽死をさせたジャスミンの
9回目となる命日です。
今でもジャスミンへの決断は間違っていたのではと
自問自答します。
お迎え当初のジャスミンは真ん丸でホントに愛らしく
八の字眉がチャームポイントの女の子。
それでも噛み癖は強烈で、最初にお迎えしていたお局
ポンちゃんとは対照的でした。
とても臆病なジャスミンは晩年までずうっと噛む癖は
治りませんでしたが、振り返ってみると噛まなくなった時
ジャスミンに残された寿命は尽きかけていたのでした。
当時私はジャスミンをキャリーに入れ度々夜勤の職場に
連れて行きました。
仮眠の際にはジャスミンが入ったキャリーをベット脇に置き
一緒に寝たものです。
強噛みなジャスミンでしたが性格はとても優しくて
特に3フェレ目にお迎えしたマロンを可愛がっていました。
マロンもそんなジャスミンにはベッタリでしたね。
ジャスミンは元々胃腸が丈夫でなく、さらに早くから
脾臓肥大を発症していて貧血気味でした。
晩年ジャスミンに流動食を与えていた頃には黄疸もあり
鼻先はいつも黄色っぽく不健康でした。
ジャスミンの容態がどんどん悪くなっていった要因には
今の会社に移籍して直ぐの転勤引越がありました。
県内への引越しの間清水のフェレ友さん宅に預けて
その頃からストレスがあったんでしょうね。
フェレ友さんが医者に連れて行ってくれたんですが
新居に落ち着いた頃からはジャスミンだけ隔離しながら
介護をしました。
ジャスミンはやはりフェレ友さんのスジャスジャータさんに
とても可愛がって頂き、私にもそれが唯一の支えでした。
ジャスミンもきっと天国で感謝の気持ちを持ちながら
地上のスジャスジャータさんを見守っている事でしょう。
今まで通院していた主治医に診せる事も出来ずに
目の前で苦しむジャスミンを見かねて地元で通い始めた
病院に連れて行き、麻酔薬を嗅がせ逝かせました。
ジャスミンの亡骸を膝に乗せて車で病院を出る時に
ルームミラーに先生と看護婦が深々と頭を下げて
見送る姿が映っていました。
命日が来る度その光景が今でも鮮明に蘇ります。
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9月7日(金) 曇り お仕事
今日はラブの6回目の命日です。
この子はとても不思議な子で、近所の美容院から里子で
迎え入れた子なのですが、私と出会う事が既に決まって
いたかのような運命を感じた唯一の子でした。
お迎えした当時は大所帯だった我が家でしたが
とにかく新入りという事でこの子程他の子たちから
執拗なまでに虐められた子はいませんでした。
ラブは虐められる度に私の膝上に駆け上って来ては
切ない声で鳴いては私に助けを求めるのでした。
ですからラブにとっては私の膝上が唯一安心出来る
場所だったのです。
さらにラブは私が食べる物にまで執着し、食事時は
テーブルに並べられたおかずに被りつく事もあって
まるで人間のように振舞いました。
そんなラブを私は人一倍溺愛しました。
虐められなくなってからは悪戯もエスカレートして
でも甘えどころでは私の気を引きいつもベッタリ。
そんなラブが病気をしてしまい次第に歩けなくなって
何度も有給休暇を使ってもうこれ以上休めないという朝に
私はラブを私の寝床に寝かせて仕事に出ました。
ラブは留守中どれほど辛かっただろうか?
仕事から帰宅し部屋に入るとラブが寝床から這い出して
足を痙攣させながら私の帰りを待って居たのです。
大急ぎでラブを抱き抱えるとそのまま静かに逝きました。
ラブは私の腕の中で逝こうとずっと私を待っていたのです。
ラブの亡骸を抱きながら私は大声で泣きました。
今までに私は9フェレさんたちを見送りました。
でもラブが逝った時は最愛の恋人を失ったような気持ちで
ずうっと長い間落ち込みました。
ラブともう一度今度は虹の橋の向こうで再会したい!
今の自分にはそれが一番の望みです。
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8月14日(火) 曇り 盆休み
今日はマイキーJRの命日です。
マイ君が亡くなってからもう6年の歳月が流れました。
マイ君は今私が住んでる浜松のペットショップから
何度も通っては迷いながらも引き取った子です。
彼は2年近くも狭いペットショップのゲージの中で
2年近くもお迎えしてくれる飼い主さんを待ち続け
その為か当時は体重も1400g近くありました。
我が家にお迎えしてから2度の転勤引越を体験!
でも漸く戻って来たこの地に彼を連れて帰る事は
残念ながら出来ませんでした。
お迎えしてからのマイ君は歳を重ねるに連れて
優しいダンディーフェレさんになり、他のどの子とも
相性が良くて特に晩年は寂しがり屋マロンと寝起きを
一緒にしてくれて本当に助かりました。
病気になってからも逞しかったマイ君でしたが
亡くなる当日の朝元気にウォルサムを飲んでいたのに
仕事から帰宅したら冷たくなっていました。
あの日の事がずっと忘れられません。
マイ君はポン太JRやラブと一緒に西葛西の空の下で
眠っています。
埋葬したところは遠方になってしまいましたが
マイ君の名を呼べば魂は一瞬にして空間を移動して
私の直ぐ傍に来てくれると信じたいです。
「マイ君!僕がそちらに行く時は必ず迎えに来てね」
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8月5日(日) 晴れ お休み
今日は我が家一の最高齢を記録したマロンの命日!
5年前の今日、松戸のアパートで見送りましたが
同じく亡くなったマイキーJR・ポン太JR・ラブのお骨は
東京で埋葬しましたが、マロンのお骨だけは郷里へ。
マロンは我が家に来た頃から身体が小さくて
体重は700g前後でした。
それでも気丈で自分よりも大きな子達にも
果敢に立ち向かっていき強い噛み癖もありました。
私なりにマロンにとって一番幸福だった時期は
私のベットで寝起きしていた頃だったと思いますが
きっとマロンにとっては、ポンちゃん・ジャスミンに
甘えていたこの時期だったのでしょう。
マロンが天国でもポンちゃんやジャスミンに甘えて
幸せな日々を送ってくれていると信じたいです。
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5月4日(金) 晴れ お仕事
今日は愛妻ポンちゃんの11回目の命日!
私が初めてお迎えした性格の穏やかなニュージー女の子
お迎えした当時私は失業中でした。
漸く再就職をした前の前の会社で、職場は違えど
辞めた会社と同じ事業所管轄で班長として勤務してた。
夜勤明けから帰宅したら既に虫の息だったポンちゃん。
前日まで元気でしたが、1ヶ月程前から1階和室にある
フェレゲージの天井を破って脱走し、なんと2階のベットで
寝ている私の懐に潜り込んで来て寝る事が何度もあって、
あれがポンちゃんなりの助けてサインだったんですね。
気づいてあげられなかった何もしてあげられ無かった
今でも思い返すと情けない旦那だったなと後悔します。
歴代9フェレさんたちの中で最も良妻賢母だったポンちゃん。
浜松祭の笛や太鼓の音は私にはいつも物悲しい。
今年は仕事でGWは潰れてしまったけど・・・
「もう一度逢いたい、そして抱きたいよポンちゃん」
今はポン太家の小史を全く知らないメイJだけです。
きっとメイJがラストの子になるだろうなあ。