愛鼬たちと飼い主との回顧録!

総勢10フェレ天使たちと飼い主とが過ごした日々の回顧録です。

☆ポン太家最後の天使 メイJ


メイJ
ファーム:アメリカン(♀)七女
2019年12月5日永眠 7歳1か月
  地元のペットショップで一年以上も売れ残っていた女の子
病気の銀次郎を喜ばそうとお迎えした子でしたが
銀次郎も早々に旅立ってしまってからはずっとひとりだったメイJ!
悪戯で強烈な噛み癖があり正直私にはあまり懐かなかった。
でも病状が悪くなるに連れ私の膝でおとなしく寝る様になったのに
最期はひとりぼっちで苦しんで逝ってしまったメイJ
ごめんよ!本当にごめんよメイJ

我が家最後のメイJが旅立ちました!

2019年12月07日 | 虹の橋の天使たち

 
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   2019年12月7日(土) 曇り お休み
  10月28日で7歳の誕生日を迎えたメイJが
2019年令和元年12月5日旅立ちました。 

   流動食が主体となっていたメイJでしたが
豆乳バナナに猫用のPUREちゅうる40gを溶かし
時には蜂蜜を少し入れたしたものが気に入り
毎回完食してくれましたが…

   5日の朝メイJはとても調子が悪そうで
ウンチも今まで以上にあちこちばらまくようにして
本当は仕事を休みたかったのですがその日は
私が居ないと回らない案件があって…

   夕方帰宅した時には既に息絶えてました。
何処でウンチしても良いように、潜れるように
そう思い広い範囲に寝袋等敷き詰めてたのに
メイJは冷たい床に真っ直ぐ伸びた状態のまま
きっと死ぬ直前も苦しんで逝ったのです。

   出勤して直ぐに私は上司に、大晦日の振替に
明日は休ませて欲しいと申し出ました。
ですがメイJは逝ってしまいました。



仕事をどうしても休めないので寝袋を
何枚も敷き詰めました!



見上げるメイJに後ろ髪を引かれる思いで
仕事に出かけました!



仕事から戻るともう冷たくなっていました。



当日から殆ど歩けなくなっていましたから
苦しんだかも知れません。



排便も殆どせず部屋は綺麗でした。



メディカルの方へは多分入らなかった
と思います。



トイレでウンチしたのは前日迄でした。



外のトイレはおしっこだけでした。



ペレット餌の在庫は
ちょうど4日に無くなりました。



真夜中たくさんのハンモックを
処分しました。



歴代フェレさんたちが病気の時
抱き入れたポン太家抱き袋が
出て来ました。



ポン太ファミリー抱き袋に入れて
抱き袋ごと荼毘にふすと決めました!



抱き袋にお花を入れてあげました!



天国の9フェレたちよ。
抱き袋ごとそっちにおくるからね。
みんなメイJの事頼んだよ!



空に駆け上がって行くメイJ!



お花を供えお線香を灯し
お別れしました。



これからは大好きだった
豆乳入りご飯のお供えが
日課になります!



お供えした豆乳入りご飯の
残りは私が飲み干します。



就寝前にお線香と蝋燭を灯し
お休みを言って私は寝室へが
私の日課になります。





メイJも含めて10フェレさんたちが
寝起きして来たメディカルも



トンネルと一緒に連絡ゴミで処分!



ハンモックや寝袋の入った収納庫も空っぽ



ここにあった玩具や
音を鳴らすと飛んで来たプピーも
みんな可燃ゴミで捨てました!



 今我が家のリビングにはメイJのお仏壇以外に
フェレさんたちの軌跡は何一つ見当たりません。

唯一寝室にだけ歴代フェレたちの遺影が
あるだけです。

 思い返せば私の行動は異常でした。

帰宅してメイJの亡骸を見つけて直ぐに私は
メイJを膝上に抱き上げて身体中を撫でました。

 でも暫くして物置の扉を開けフェレ用具の
収納BOXを取り出してハンモック類の金具を
ひとつひとつ取り外してハンモックをゴミ袋に
捨て始めました。

 そしてその中に抱き袋を見つけてふと
我に返りました。


 私はメイJに私自身の行く末を教えられた気が
しています。

 パソコンに立ち向かうこの部屋に居ると
言い知れぬ寂しさに襲われます。
足元に纏わりつき時には強烈な牙で噛む
メイJはもう何処にも姿を見せません。


    


ポンちゃんの命日です!

2019年05月04日 | 虹の橋の天使たち


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 5月4日(土) 晴れ 失業中

   今日は愛妻ポンちゃんの12回目の命日! 私が初めてお迎えした性格の穏やかな
ニュージー女の子 お迎えした当時私は失業中でした。
そして4月に2年6カ月勤めた会社を定年退職して今現在失業中です。

 5月から新天皇即位により令和と元号も変わりました。
再就職するには実に都合の悪い10連休という長いGWです。
一応7日には最初の採用面接が待ってはいますが高齢の為不採用のリスク大です。
                                                                
                                                
 2つ前の会社で水処理の仕事をしていた当時の事でした。
夜勤明けから帰宅したら既に虫の息だったポンちゃん。
前日まで元気でしたが、1ヶ月程前から1階和室にある フェレゲージの天井を破って脱走し
なんと2階のベットで 寝ている私の懐に潜り込んで来て寝る事が何度もあってあれが
ポンちゃんなりの助けてサインだったんですね。
 

  気づいてあげられなかった何もしてあげられ無かった 。
今でも思い返すと情けない旦那だったなと後悔します。
歴代9フェレさんたちの中で最も良妻賢母だったポンちゃん。
  

   毎年浜松祭の笛や太鼓の音を聴く度に私は悲しい気分になります。
晴れ渡った空の下、ポンちゃんの亡骸の入った小さな段ボールに
花を摘んでは入れて歩いたあの日の光景が蘇って来るのです。
「もう一度逢いたい、そして抱きたいよポンちゃん」







 今はポン太家の小史を全く知らないメイJだけです。
きっとメイJがラストの子になるだろうなあ。
 


のこちゃん10回目の命日です!

2019年02月12日 | 虹の橋の天使たち

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2月12日(火) 晴れ お休み

  のこちゃんが亡くなってからもう10年も経ちました。 前の会社で夜勤の浄水場に勤務していた頃でしたが 勤務日にはのこちゃんを連れ車中に設置した住空間で 仕事の合間に投薬して介護した事を思い出します。




 のこちゃんは小さい身体でありながら存在感は抜群で 私自身見習いたいぐらいのリーダーシップを発揮して 他のフェレさんたちをまとめ上げていました。

 そんなのこちゃんが不治の病に侵されてからは 一緒にベットで寝る日が続き出勤の時は車の中の のこちゃん専用の住居に移動させ投薬しました。
 前の会社で初めての転勤辞令が出てからは のこちゃんには本当に大変な日々でしたが 残念な事に新居に引っ越す前に逝ってしまいました。 きっとのこちゃんは私の大変さを察したんでしょう。 でも私はのこちゃんを連れて行きたかった。
 再びのこちゃんが亡くなった地に舞い戻って その頃は銀次郎とこちらでお迎えしたメイJと暮らし やがて銀次郎が病で虹の橋へと旅立ってしまって 現在は我が家のきっと最後だろう10フェレメイJと 暮らしてますが、当時の思い出が再び蘇ります。

 浜松在住時代に初めてフェレットポンちゃんと出会い ジャスミン・マロンとお迎えし、のんちゃんとのこちゃんを 里子に迎え、マイキーJR・ポン太JR・ラブと迎えて あの頃が一番幸せだったなあとしみじみ思います。
 8年勤めた前の会社を不本意な形で辞めましたが フェレさんの病気発症、看病・闘病中に3度の転勤! その間に9フェレさんが旅立っていきました。
  考えてみれば一緒に移籍した他の同僚たちと比べ
会社の意向とはとは言え一緒に暮らしてきたフェレ達に 随分と過酷な思いをさせて来ました。
 自分としてはもうこの地を離れたくないです。
 もしのこちゃんが先代のマロンのように 長寿フェレさんだったなら未だ充分生きていた筈です。 今のこの地が私とのこちゃんの故郷です。 「のこちゃん!またあちらで逢おうね!!」

    


仕事始めがポン太Jrの命日!

2019年01月04日 | 虹の橋の天使たち



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 1月4日(金) 晴れ 仕事始め

  前の会社で浜松に戻る前の年の今日
ポン太JRは突然旅立ってしまいました。
写真は当時住んでいた千葉県松戸市の自宅です。

   新しい会社になって2度目の正月休みもあっという間で
今日から仕事始めです。
ポン太JRが逝ってからもう6年になるんですねえ。


                                                                        

  2012年暮れまでに一緒に寝起きしてた仲良し
マイキーJR、ラブが旅立ってしまって遊び相手が
居なくなってしまったポン太JRの為に銀次郎を
お迎えしたのですが、ポン太JRは銀次郎とは
しっくりいきませんでした。
     
                                                           
 

  老齢だったマロンもポン太JRを寄せ付けなくて
きっとポン太JRは寂しかったに違いありません。
                                                               



  ポン太JRは初代ポンちゃんを見送った年に
お迎えした子でとにかく元気な子でした。
骨太で体格が良くてマイキーJRとは放牧の度に
男同士で激しいプロレスごっこをしてました。



  そんなポン太JRとベットで一緒に寝たのは
具合が悪くなった新年早々でそれが最初で最後!
医者にかかる前のほんの短い間に逝きました。
「ごめんよポン太JR、そして有り難う」


  
  ポン太JRはマイキーJR、ラブと同じ場所である
葛西水再生センターの敷地内に埋葬していますが
予め今の場所に転勤すると判っていたなら皆一緒に
こちらに連れて来てマロンと同じように彼等の郷里に
埋葬してあげたかったです。



  ポンちゃん、のんちゃん、のこちゃん、ジャスミン
そしてマロンの5フェレは皆一緒の場所に埋葬。
でもマイキーJR、ラブ、ポン太JRは東京の空の下。


  私のお墓の前で泣かないで下さい
そこに私は居ません、眠ってなんかいません
千の風になって・・・・・


  「千の風になって」の歌詞がせめてもの救いです。
私はそれを信じたいです。
埋葬場所は皆違っているけど魂は繋がってると・・・


  私事ですが私自身もいずれは旅立ちますが
お墓に埋葬して貰わなくてもいいです。
お骨は海にでも撒いてくれればいいと思ってます。
無縁仏でさえなければ孤独死であってもいい・・・


  さあ明日からまた仕事ですが、明日1日努めれば
6日は午前中休日出勤ですがまた三連休になります。
今年もメイJと一緒に穏やかな1年でありますように。




                                                                               
 
                                


 


今日はのんちゃんの命日です!

2018年10月30日 | 虹の橋の天使たち



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10月30日(火) 曇り お仕事

 ポン太が初めてフェレさんを虹の橋へとお見送りしたのが、
里子でお迎えしたのんでした。
のんちゃんが亡くなってから12年になります。

 既に我が家はポン太族(ポンちゃん・ジャスミン・マロン)が
暮らしていましたが、ネットで里親募集の記事を読んで初めて
我が家にのんちゃんとのこちゃんが里子でやって来ました。

 一気に5フェレの大家族になり賑やかになったんですが、
数ヶ月してのんちゃんが頻繁に床ペタをするようになりました。
のんちゃんは新たに血を造れない病気になっていました。

 当時はまだポン太もフェレさんについてあまりよく知らずに
病院も家から歩いて3分の犬猫病院でした。

 先生は女医でしたがフェレさんの足から採血出来なくて
ホントに今思えばもっと違う獣医師に診せるべきでした。
そこでは週3回のペースで1回3500円の造血注射を
しながらのんちゃんは頑張っていました。

 嫌な話ですが福沢諭吉君に羽根が生えたように飛んで行く。
でもなんとか助けたかったしね。

 晩年にはリスクのある麻酔をポンちゃんとジャスミンにして
セカンドオピニオンで緊急手術したのんちゃんに輸血をして
それでも助けてあげられなかった。





 ポン太にとってはとても切ない想い出ですが、
今迄に旅立って逝った9フェレたちと虹の橋の向こうの
フェレ村できっ
と楽しい毎日を送っているに違いないと
信じています。