♯「無意」ノ「働キ」「成果」ヲ、「意」ノ「働キ」「成果」ト意識シテイクベク
♯「部位信仰」「局部主義」「一知半解」「排中律」「偏見主義」「御意向主義」トイウヨウナ「認識形態」ヲ「意向」シテ 5
3-7-4:「無意の功績を奪う」「臨機応変」「無意の所為にする」と在る中で
「こう」であればこうしたいが、「こう」で無ければこうしたくは無い。
「こう」で無ければこうしたいが、「こう」であればこうしたくは無い。
・・・という、「臨機応変」というような在り様の「動機」を意識するにおいて。
「意」を介することになったのがどういう「人為である流動」であるのか。
「無意に確認する意向」を発して、「無意」「無意からの向意」と向き合って。
「それぞれ」の「状況」「対応」「条件」「機会」を分類整理判断して。
「其々の其」「自身の動機」を知っていく、という、「必要有用であること」もせず。
古人が言うところの、「暴君」というような在り様で。
「他者の功績」を「我が物にしよう」とすることのように。
「無意が行うこと」を、「意が行っている」「意が行った」と意識していくべく。
「そう意識し易いように行うこと」を、強く「意向」するか。
「自身の過ち」を「他者の所為」にすることのように。
『「本性」「本能」「無意」の所為にすること』を、強く「意向」するかの。
「両極端」を、無責任に右往左往していくことにもなり。
3-7-5:「卑屈」「謙虚、自信」「驕り」と在る中で
「他者の功績」を「我が物にしよう」とすることのように。
『「無意の働き」を、「意の働き」とする認識』にしがみ付いて。
「人の中の働き」を、「制されるもの」と「制するもの」に両極化した上で。
『「意」を、「制するもの」とする認識』にしがみ付いて。
「自身」を、「こうしたかった自身」と「こうしなかった自身」に分けて。
『「無意の働き」を「意の働き」とする認識』にしがみ付く「悪意」が。
「自身の過ち」を「他者の所為」にすることのように。
「こうしたかった自身」「本能」「無意」を「悪意」として、敵対視していくことのように。
「敵でも味方でも無いもの」を徒に敵対視して、「自業自得」の「不安」に苛まれては。
「敵でも味方でも無いもの」を今度は徒に「味方扱い」したがって。
「味方扱い」して、徒に「驕り」「慢心」「虚栄心」に浸りたがっては。
「それに浸っていること」を脅かすものをまた、徒に敵対視して。
♯「部位信仰」「局部主義」「一知半解」「排中律」「偏見主義」「御意向主義」トイウヨウナ「認識形態」ヲ「意向」シテ 5
3-7-4:「無意の功績を奪う」「臨機応変」「無意の所為にする」と在る中で
「こう」であればこうしたいが、「こう」で無ければこうしたくは無い。
「こう」で無ければこうしたいが、「こう」であればこうしたくは無い。
・・・という、「臨機応変」というような在り様の「動機」を意識するにおいて。
「意」を介することになったのがどういう「人為である流動」であるのか。
「無意に確認する意向」を発して、「無意」「無意からの向意」と向き合って。
「それぞれ」の「状況」「対応」「条件」「機会」を分類整理判断して。
「其々の其」「自身の動機」を知っていく、という、「必要有用であること」もせず。
古人が言うところの、「暴君」というような在り様で。
「他者の功績」を「我が物にしよう」とすることのように。
「無意が行うこと」を、「意が行っている」「意が行った」と意識していくべく。
「そう意識し易いように行うこと」を、強く「意向」するか。
「自身の過ち」を「他者の所為」にすることのように。
『「本性」「本能」「無意」の所為にすること』を、強く「意向」するかの。
「両極端」を、無責任に右往左往していくことにもなり。
3-7-5:「卑屈」「謙虚、自信」「驕り」と在る中で
「他者の功績」を「我が物にしよう」とすることのように。
『「無意の働き」を、「意の働き」とする認識』にしがみ付いて。
「人の中の働き」を、「制されるもの」と「制するもの」に両極化した上で。
『「意」を、「制するもの」とする認識』にしがみ付いて。
「自身」を、「こうしたかった自身」と「こうしなかった自身」に分けて。
『「無意の働き」を「意の働き」とする認識』にしがみ付く「悪意」が。
「自身の過ち」を「他者の所為」にすることのように。
「こうしたかった自身」「本能」「無意」を「悪意」として、敵対視していくことのように。
「敵でも味方でも無いもの」を徒に敵対視して、「自業自得」の「不安」に苛まれては。
「敵でも味方でも無いもの」を今度は徒に「味方扱い」したがって。
「味方扱い」して、徒に「驕り」「慢心」「虚栄心」に浸りたがっては。
「それに浸っていること」を脅かすものをまた、徒に敵対視して。
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