今日のひとりごと。
最近、他人の他愛無い言葉で、傷付いた話を耳にすることが多い。
今日は、飼い主同士の他犬を批判する話。
マナーとかもあるけれど、人の犬を批判したり、悪く言ったり、「しつけはこうするものだ」「甘やかしている」だとか。
口出しするなら、ちゃんと、正しい知識を教えてあげようよ。
どうすればいいのかを知ろうよ。自分の言動に責任を持ってほしい。
犬が悪いんじゃないよね。犬のせいなんて、ひとつもないよね。
飼い主だったり、周りの人だったり、犬にとってはどれひとつ、間違っていない本能なだけだから、
教えられていないだけだから、犬の生活の知恵が人にとっての不都合なだけで、犬にとってはなんの悪気もあるはずがない。
犬には牙がある。いつだって人を傷付けるのは簡単。それを使わせないのが、相手に合わせた接し方
だから、どうするのが犬のためなのか、ホントに犬はそうされたいと思っているのか、
人に言われたからって、犬を叱ったら、解決するの?
この前だって、犬は「ドッグカフェ!なんて嫌い、怖い!」って、発しているのに、人間のエゴで連れて行かれて鳴いてたよ。
そこに行くなら、「怖くないよ、楽しいよ」って理解させてから、連れて行ってね。犬も人も嫌いなんだから、何も一緒に出掛ける
場所には、最悪だ。そうだ、人も初対面の人好き!なんてまず、いない。他人に撫でられるなんて、普段そうされて心地よさを体験
してなければ、まず、好きな訳はない。
ドッグランも同じだね。犬同士で遊ぶことが好きな犬って、案外少ないのです。人の子も戯れて遊ぶのは、一時です。
そして昨日は、野良ネコにご飯をあげてる、他県のお友達の悲鳴。
他人から避難されて、どうしたらいいのかわからなくなっている。
私も猫のことには弱いので、調べられる範囲でお節介な助言をしてみた。
「非難されるばかりで、どうしたら良いのか方法を教えてくれる人はいなかった」と、
有り難いお言葉を頂戴できたので、お節介ではなくなったようだけど、みんな自分の出来る愛で
良かれ!と思って行動していることには間違いない。
ならば、その方向をちょっと正していただいたら、もっとお役に立っていただけることは
世の中に沢山あるのでは、ないでしょうか?
この機会にご紹介しておきます。京都市で取り組んでいる
まちねこ
野良ねこちゃんだって、そこに生まれ育ってしまったのだから、その中で幸せになるだろう生活の権利はあるのです。
そのためにも、出来る人が出来る範囲で、ちょっとお手伝いをしてあげたら、いいんではないかしら。
先日、関西盲導犬協会にお邪魔しました。
一番心に残っていることは、「福祉の観点で人が人のために、お手伝いが出来ること」という、お話です。
盲導犬だって、ただの犬です。所有するユーザーさんにとっては、犬を1頭飼育する負担は、盲導犬だろうと
何の変りもありません。
回りで何ひとつ苦労なく、生活できている私たちが、ユーザーさんにもっとお手伝いできていたり、それこそ
買い物から、お出かけまで、助けてあげれる制度でもあったら、盲導犬がこんなに重宝がられることもないのです。
「犬が可哀そう」と思う前に、犬の為にも、視覚障害のことをもっと知る、学ぶべきなのですね。
「手引き」と言われる誘導方法だって、身体接触が必要かどうかの確認方法、どう誘導されたいのか、義務教育の中ででも
自然に身に付いていてほしい、必須項目ですよね。
なんだかんだと書きましたが、要するに・・・他人事じゃなく、いつかまた、そのうち、じゃなくてさ。
なんだかんだと口を出す前に、聞いた話が本当に正しいのか真実を自分で確かめて、納得して、
進んで行きたいものだという話なのです。情報が多すぎる世の中も、厄介ですね。
原発問題も食品問題も戦争だって、人に聞いた話じゃなくって、メディアが言ってのが正しいんじゃなくって、
みんな自分事なんだよ。。。
自分の出来ることで、出来る範囲で、やってみたら、みんなが行動してみたら、世の中、ちょっとは変わるよね。
ボランティアって、大それたことじゃなく、生活の中に自然にあることで、何も意気込むことでもないのにね。
普段から出来ることを、継続したらいいじゃない。
人のためにって思うけど、そうしてあげるのは、自分の為。そうしたいから、自分のためにやるのね。
させていただきますの心。忘れるな自分
最近、他人の他愛無い言葉で、傷付いた話を耳にすることが多い。
今日は、飼い主同士の他犬を批判する話。
マナーとかもあるけれど、人の犬を批判したり、悪く言ったり、「しつけはこうするものだ」「甘やかしている」だとか。
口出しするなら、ちゃんと、正しい知識を教えてあげようよ。
どうすればいいのかを知ろうよ。自分の言動に責任を持ってほしい。
犬が悪いんじゃないよね。犬のせいなんて、ひとつもないよね。
飼い主だったり、周りの人だったり、犬にとってはどれひとつ、間違っていない本能なだけだから、
教えられていないだけだから、犬の生活の知恵が人にとっての不都合なだけで、犬にとってはなんの悪気もあるはずがない。
犬には牙がある。いつだって人を傷付けるのは簡単。それを使わせないのが、相手に合わせた接し方
だから、どうするのが犬のためなのか、ホントに犬はそうされたいと思っているのか、
人に言われたからって、犬を叱ったら、解決するの?
この前だって、犬は「ドッグカフェ!なんて嫌い、怖い!」って、発しているのに、人間のエゴで連れて行かれて鳴いてたよ。
そこに行くなら、「怖くないよ、楽しいよ」って理解させてから、連れて行ってね。犬も人も嫌いなんだから、何も一緒に出掛ける
場所には、最悪だ。そうだ、人も初対面の人好き!なんてまず、いない。他人に撫でられるなんて、普段そうされて心地よさを体験
してなければ、まず、好きな訳はない。
ドッグランも同じだね。犬同士で遊ぶことが好きな犬って、案外少ないのです。人の子も戯れて遊ぶのは、一時です。
そして昨日は、野良ネコにご飯をあげてる、他県のお友達の悲鳴。
他人から避難されて、どうしたらいいのかわからなくなっている。
私も猫のことには弱いので、調べられる範囲でお節介な助言をしてみた。
「非難されるばかりで、どうしたら良いのか方法を教えてくれる人はいなかった」と、
有り難いお言葉を頂戴できたので、お節介ではなくなったようだけど、みんな自分の出来る愛で
良かれ!と思って行動していることには間違いない。
ならば、その方向をちょっと正していただいたら、もっとお役に立っていただけることは
世の中に沢山あるのでは、ないでしょうか?
この機会にご紹介しておきます。京都市で取り組んでいる
まちねこ
野良ねこちゃんだって、そこに生まれ育ってしまったのだから、その中で幸せになるだろう生活の権利はあるのです。
そのためにも、出来る人が出来る範囲で、ちょっとお手伝いをしてあげたら、いいんではないかしら。
先日、関西盲導犬協会にお邪魔しました。
一番心に残っていることは、「福祉の観点で人が人のために、お手伝いが出来ること」という、お話です。
盲導犬だって、ただの犬です。所有するユーザーさんにとっては、犬を1頭飼育する負担は、盲導犬だろうと
何の変りもありません。
回りで何ひとつ苦労なく、生活できている私たちが、ユーザーさんにもっとお手伝いできていたり、それこそ
買い物から、お出かけまで、助けてあげれる制度でもあったら、盲導犬がこんなに重宝がられることもないのです。
「犬が可哀そう」と思う前に、犬の為にも、視覚障害のことをもっと知る、学ぶべきなのですね。
「手引き」と言われる誘導方法だって、身体接触が必要かどうかの確認方法、どう誘導されたいのか、義務教育の中ででも
自然に身に付いていてほしい、必須項目ですよね。
なんだかんだと書きましたが、要するに・・・他人事じゃなく、いつかまた、そのうち、じゃなくてさ。
なんだかんだと口を出す前に、聞いた話が本当に正しいのか真実を自分で確かめて、納得して、
進んで行きたいものだという話なのです。情報が多すぎる世の中も、厄介ですね。
原発問題も食品問題も戦争だって、人に聞いた話じゃなくって、メディアが言ってのが正しいんじゃなくって、
みんな自分事なんだよ。。。
自分の出来ることで、出来る範囲で、やってみたら、みんなが行動してみたら、世の中、ちょっとは変わるよね。
ボランティアって、大それたことじゃなく、生活の中に自然にあることで、何も意気込むことでもないのにね。
普段から出来ることを、継続したらいいじゃない。
人のためにって思うけど、そうしてあげるのは、自分の為。そうしたいから、自分のためにやるのね。
させていただきますの心。忘れるな自分
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