悲劇のようなニュースが後を絶たない。
しかし人間とは不思議なもので慣れてくるという感じだろうか…
昨日7月8日に安倍元首相が襲撃され亡くなった。
ただ私も私はあまり衝撃を受けなかったのはなぜだったのだろう。
日本でなくてもウクライナとロシアの問題で嫌と言うほど人が銃で殺されているシーンを目にしてきた。
人が死んでしまうシーンに私たちは慣れてしまったのか?
そう考えてしまい自分自身に吐き気がした。自分が感情のないなにか、人ではなくなったのではないかと思ってしまった。
それともなんとなく犯罪が多くなっている日本で"あぁまたか"程度になってしまっていたのかもしれない。
そのぐらい悲惨なニュースが昨今続いていたと思う。
ただ忘れられているだけで小さな子供からお年寄りまで誰かに命を奪われるという事件が多い。
そしてコロナもあって人とのつながりが減っていき人が人を支える世の中ではなくなってきている気がしてならなかった。
正直今回の事件で心配したのはこれからの日本だった。
昨日の今日でSNSでは様々な声が上がっていた。
良くも悪くも安倍元首相は多くの日本人が知り、そして一番長く日本のリーダーを務めた。
知っているということは関心のながなくそっぽ向いていた人たちが急にこちら側へと迫ってくるような感覚。
こちら側というのが政治に関心が少しでもある側だと思う。
私は20歳を超えてから選挙には必ず行っていた。
最初の方は何も考えず父も母も兄も当たり前のように選挙に行っていたから行かなきゃいけないものなのだと認識していた。
ただ友人に聞いても一度も言ったことがないという人は大勢いた。
数年が経った頃では選挙に行くのは当たり前という感覚も変わり、
"民主主義のこの国で民意を届けないことこそ日本国民である自分を否定している気がする"
そんな気持ちでここ数年は選挙に行き票を投じてきた。
それでも投票率は上がらないことが不思議でならなかった。
投票に行かない人は意思を持たないし、日本国民ではないのか?とも思ってしまうこともあった。
行かないという感覚がわからなかった。
今回の事件でSNSでもメディアでも大きく"民主主義の根幹にかかわる事態"と声が上がった。
大体の人が『言論を暴力で封じ込められた』「暴力は決して許してはならない」と叫ぶ。
民主主義の定義を間違ってはいないだろうかと個人的に感じてしまった。
元々憲法改正草案を見てみればわかるが民主主義を覆しかねないのはこちらではないかと思う。
第21条の部分を見れば
【表現の自由を保障する】というのを削除
この時点で今騒いでいる民主主義や表現の自由は保障されなくなり
今よりも情報公開請求ができなくなる可能性があり、都合の悪いことはすべて隠蔽される恐れもあります。
前文では
【~(略)主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。】を削除
この部分が消されれば主権が国民ではなくなり、民主主義国家であることが明記されなくなる国になります。
民主主義とは民主制(みんしゅせい)又は民主制度(みんしゅせいど)の誤訳。
民主制(度)とは国民が国または国内地域の権力(選挙権)を所有し、
それを自ら普通選挙・秘密投票・平等選挙に基づいた選挙よって行使する政治思想や政治体制のことである。
第97条では
この憲法が日本国民に保証する"基本的人権"は、人類の多年にわたる自由獲得のどりょあくの成果であって、
これらの権利は過去幾多の試練に堪へ、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として
信託されたものである。をすべて削除。
基本的人権の尊重というのを中学生でも習うものだと思います。
学校ではこう習うのではないでしょうか?
基本的人権の尊重とは、人が生まれながらにして持つ権利を尊重することです。
もちろん基本的人権に関しては11条で守られているので問題ないかもしれません。
しかし、国民の基本的人権が守られなくなる可能性が大きいもあります。
他の改正草案とも絡めてもっと正確に言うなれば、
- 現憲法
⇒どんなときでも基本的人権は尊重されるものである - 改正案
⇒国家権力の言うことを聞かなかった国民の基本的人権は保障しないかもしれないよ
また、緊急事態宣言下では保障するつもりはないからね
という感じになっています。
引用⇒[【日本国憲法第97条の解説】第11条との違いは?なぜ改正案では削除? | そうだ、憲法を知ろう]
他の憲法改正に関しても同様かもしれません。
しかしそうなってくると矛盾が生じすべてを変えかねない事態になると単純に考えてもわかると思います。
矛盾が起きればまた変える。結局はその繰り返しだと思います。
そして、考えてみても『国民が憲法違反をした』なんてニュースを見たことがありません。
元々憲法というのは「国家権力から国民の人権を守る」為に存在しています。
国民が基本的に破るとするなら「法律」です。
憲法違反と呼ばれることをするのは政治家さん達の行動ですよね。
自分たちの縛っていたルールを自分たちで変えていくなんて羨ましいですね。
多くの人が今回の事件で民主主義を語る中で、個人的に今さら焦るのかよと思ってしまいました。
都合のいい時だけ日本の民主主義を掲げ、暴力を許さないと言いながら
他国に対しては武器や軍隊を持とうとしているこの国が平和で民主的かと言われれば
私はNOでは?と思ってしまいます。
もちろん人が亡くなることはとても悲しく辛いことです。
ただ亡くなった人を悲しみ続け、相手を恨み続けるのはとても苦しく辛いことです。
そしてまたその負の感情が違う事件にも発展させることにもなるでしょう。
どうか冷静さを保ち、過去を振り返るのではなくその無くなった人の思いを胸に未来に進んでほしいと願うばかりです。
自分が苦しい中で幸せな奴を見れば殴りたくなるかもしれません。殺したいと思ってしまうかもしれません。
人とはちょっとしたきっかけその時の感情で鬼にも仏にもなりうると思います。
その可能性は誰にでもあります。自分はそうはならないと過信してはいけないと感じます。
感情があるのが人間ですが、その感情を抑えることもできるのが人間だと思っています。
苦しい時は他者を頼ってください。お互いに支え合ってください。
今回の事件の犯人は捕まりどんな理由でこの行動に至ったのか等公表されると思います。
たったそれだけのことで殺したのか。と思うかもしません。
人の恨みなんてそんなものです。他人からすればたったそれだけと思っても
その恨みや憎しみが人を動かしてしまう世の中になっている。
そしてそれは決してその人だけの問題じゃなく、そういう社会性世の中にしてしまっている自分たちも当事者なのではないのかと
1人1人が自覚し、少しずつ態度や行動、発言を変えていけば少しずつでもその中は大きく変わると思います。
一気に何かをしなければならないなんて思わなくていいと思います。
少しずつでもいいと思います。
周りにそんなことしかできないのか、非常識じゃないのかとか…もしかしたらここのコメントにも書かれるかもね。
色んな要素を詰め込んで書いてしまいましたが
本当にこういう事件が起きてしまったことを他人事ではなく一人一人が自分たちがどうあるべきか
今後どういう未来にしていきたいか。より一層考えていくべきだと感じます。
最後になりましたが、
安倍元首相のご冥福をお祈り申し上げます。
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