最近世の中の不安が身近に感じすぎて気疲れしてならない…
不安なニュースしか流れてこない今日この頃…
災害、事件、コロナ、経済不況、差別…そんな言葉が飛び交っているように思える。
そんな中で国同士の壁はもっと厚くなり…”もしかしたら戦争になるかもしれない”なんて言葉も目にする。
コロナが蔓延する前となるともう2年以上前になるが、その時その言葉を聞いていたのなら
そんなことありえない。皆平和を望んでいるのにそんなことが起きるはずがない。と思っていたと思う。
ただ今そんなことも言えないと感じている。
私もすべての物事に対して良い悪いを言いたいわけではない…もちろん引っ掛かる部分の方が多い気がする。
それは私が日本で生まれ日本で育って世界を見ていないというのも原因だと思っている。
国によって文化も考え方も違って当たり前なのだからすべてを理解し納得することなど不可能だと思っているから。
それは国だけじゃない。
同じ国の人同士でさえ違いがあり、理解し合うことができないことが多い。
違いを差別的にするのが人間だが、その差を理解できるのも人間同士だからできるはずなのになぜできないのだろうと最近思う。
ただどの国も、国民がいてこその国であるとおもう。
結局は人、一人一人がどう思い考え行動するかで変わってくると思う。
平和を謡いながら、人はどちらかを正義にし自分たち以外を悪にしようとする。
なぜだろうか?
自分たちが勝手に決めた悪を滅ぼしていいのだろうか?
相手のことを知りもせず傷つけていいのだろうか?
知る必要はない?なぜ?
人は何かにすがりたい生き物だと聞いたことがある。
個々は全く違う性格、容姿をしていても真似すれば、自分を偽れば仲間だと大きい輪の中に入ることができる。
その中に居れば安全で、その輪から外れていた人は弾かれ潰される。
そんな様子を見ればより自分の偽る姿を厚くし、いずれ自分を失うほどに破れない皮をかぶる。
そうすればお互いに争うこともなく安心して生きて行ける。
というのが今の日本の教育の場であったり、日本の人間関係のような気がする。
異なるものは排除するようにしてしまう…理解するのではなく知ろうとするのではなく輪から外す。
日本というより人間の本質なのかもしれない。
これが国同士で起きればそれは戦争に発展してもおかしくないと思えてくる。
それに戦争で犠牲になるのは軍人だけじゃない。一般人が犠牲なることだってあるだろう。
自分には関係ないと思える人は歴史を勉強するといいかもしれない。
国、人種、性別…いろいろな違いについて考え、知り、平和を望むならそれらに違いについて世界中の一人一人が考えるべきではないかと思う。
自分は関係ないと言い張る人はきっと"人間"として生きてはいないのかもしれない。
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