Entrance for Studies in Finance

櫻川昌哉『金融立国試論』光文社, 2005

櫻川昌哉『金融立国試論』光文社, 2005

Hiroshi Fukumitsu

 金融立国論はサブプライム問題のあと、金融立国の一つのモデルとされたヨーロッパの国々が行き詰まるなか評判が悪い。そこで金融立国という議論とはどういうものだったか。改めて調べるつもりになった。早速、金融立国を検索して最初に出てきたのが櫻川昌哉氏のこの光文社新書(2005年)だ。

 読んでみて気になったのは、まず金融の発達といったときに株式市場の発達に注目していることだ(第1章、第8章)。
 株式市場の発達が金融立国の眼目であるかのように記述されているのは、私は納得が行かない(文献を引用して銀行システムでは破綻するべき企業まで救済してしまうとしているex.p.34)。したがって確かに銀行システムの問題は指摘されているが、現実の株式市場がそれほど理想的には思えないので、この基調には疑問が残る。

 2008年以降、金融立国が破綻したアイスランド、アイルランドとも国の経済に比較して過大な銀行部門の形成。低い法人税による企業の誘致といった共通した特徴がみられる。国の経済規模に比して大きな銀行部門の形成は何を意味するのだろうか。考えられることの一つは、国内経済へのバブル的な影響である。もう一つは、アイスランドの銀行、あるいはアイルランドの銀行といいながらその活動が海外中心に展開されるということである。それがそれぞれの国の金融監督規制の不十分さと結び付くと、そこに不良債権の山を築く要素があるのではないか。
 アイスランドが非常事態宣言(2008年10月6日)
   アイルランドへの金融支援決定(2010年11月26日)
 アイスランドとアイルランドの違い

 これをもって櫻川氏の予見が正しかったと言えるだろうか。しかし株式市場を中心にした金融立国なら成功するともいえない。まず株式市場を中心にした金融立国には、一定の経済規模が必要なのではないか。そうでなければ、その市場で上場しているのは海外の企業ばかりという状況になるのではと思える。また櫻川氏の主張は、一種の断言であって、論理的なものではない。

 なお櫻川氏の理屈らしい指摘として技術システムのペースの速い遅いと金融システムのタイプを比較しているところがある。以下のようにされている。

先進技術の模倣期遅い(企業内に蓄積された継続的知識)銀行システム
技術パラダイムの
転換期
早い(経営者の経営努力)市場型金融システム


櫻川(2005)pp.34-35

 こうした枠組みを作ったうえで、今は技術の転換期であるから銀行システムはうまく機能しない、市場型金融システムへの転換が望ましいと櫻川氏は議論している。しかしこの枠組み自体が創作されたもので、これは主張ではあっても、証明とはいえない。

池尾氏(2003)と類似しているが劣っている
 このような枠組みは池尾和人『銀行はなぜ変われないか』(2003)にもあった。そこでは経済がキャッチアップの過程にあるときと、そこを完了した後とでは、金融システムのあり方が違ってくることが示唆されていた。

銀行中心の
金融システム
大口債権者大株主がvoice型のガバナンス産業の発展の方向が
わかっている場合は有効
資本市場中心の金融システムexit型のガバナンス企業支配権の市場が存在産業構造の組み換え 
産業部門を越えたダイナミックな資本移動といった課題に有効

池尾(2003)p.90-92

この限りでは両者に大きな差はないのだが、池尾氏はつぎのような理論的整理を加えている。すなわち金融仲介には、非対称情報問題の解決と、リスク分担機会の提供という2つの基本機能があるが、経済の発展段階が違ってくると、それらの中でどのような側面が求められるかがまた違ってくるとする。これは論理的な説明といえるものだ。池尾(2003)p.120-124

情報の非対称性問題の解決

事後資金調達後の行動の監視
モニタリングコストの重複を避ける 
産業銀行モデル
事前資金調達に値するかの見極め
資金提供に値するプロジェクトの発見


リスク分担機会の提供

通時的なリスクリスクプール機能のある銀行が機能を発揮
共時的なリスク資本市場中心の金融システムが分担に優れる


 このような池尾の議論をみたあとでは、櫻川の議論は理屈がなく物足らない。なぜ株式市場がそれほど良いものなのだろうか。さらにその株式市場が、銀行システムよりも優れたものだと無批判にいうこともできない。

 これに対して櫻川氏は、銀行システムに対して、預金保険制度によってオーバーバンキング(=預金過剰)が生じていると預金保険制度を批判する(櫻川(2005)p.166以下)。預金保険制度によって、預金者が金融機関を精査しないモラルハザードが生じているとする。しかし預金保険制度により、信用や信頼が薄らいでも資金の退蔵hoardingが防いでいるプラス面もある。預金保険制度は、金融システムの安全弁のようなものではないか。マイナス面とプラス面とどちらが大きいと評価するべきだろうか。マイナス面が大きいなら銀行システムではなく預金保険制度をやめればよい。しかし近年進行したことは預金保険制度の拡充だったこととこの主張はチグハグだ。

 櫻川氏はつぎのように批判する。<金融の社会主義化を推し進めるようなことを無意識のうちにやっていながら、金融がちっともよくならないと嘆いているのである>櫻川(2005)p.221。預金保険制度の拡充には私は社会的な合意があったと理解している。しかもその安全弁を外して、株式市場を育成する必要がどこにあるのだろうか。なぜそこまで株式市場を信仰しなければいけないのか。また逆に預金保険制度はなぜそこまで批判されなければならないのか。信仰にも批判にも証明はない。

証明がない主張の羅列
 結論として、この本の中には、主張は書かれているが証明らしい証明は書かれていない。現実の株式市場の分析が欠如したまま株式市場への信仰が語られている。現実の株式市場が果たしてそれほどの信仰に耐えるものなのか。預金保険制度への批判についても同じだ。学問的には主張をきちんと証明することと、その証明の精査が必要なのではないかというのが本書の読後感だ。

Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.
originally appeared in January 25, 2009
corrected and reposted December 6, 2010

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