Entrance for Studies in Finance

ロシアの 暗いイメージ と サハリン開発

マイナスイメージとしてのスターリン下の虐殺
 Hotel Rwanda(2004)は1994年にルワンダで起きた一部のフツ族の扇動によりツチ族が100万以上虐殺された事件に際し、高級ホテルの支配人だったフツ族の主人公がホテルに避難してきた1000人以上の人々を守った実話の映画化。アフリカでは2003年以来、スーダンのダルフールでアラブ系住民による非アラブ系住民虐殺が伝えられる。またナイジェリアでは逆にキリスト教系民族によるイスラム教徒虐殺事件が頻繁に伝えられる。
しかし虐殺はアフリカだけのことではない。アジアでも1975年から79年にかけてベトナムに支援されたカンボジアのポルポト派により、都市住民を中心に100数十万人が虐殺されたことは記憶に新しい。日本でも1923年の関東大震災下の東京において、流言蜚語が原因になって民衆が組織した自警団による朝鮮人数千人の虐殺が生じたこと、憲兵隊や警察が甘粕事件や亀戸事件などアナキストや社会主義者を虐殺する事件が起きた。
また1937年12月に日本軍が南京で起こした南京事件では多数の中国人無差別虐殺が行われたことはほぼ疑う余地がない。残念ながらこの事件を頑強に否定する日本人がいるのは、ドイツのナチス政権下でのユダヤ人虐殺を捏造とする一部の主張とよく似ている。確かに歴史にねつ造は多く、私たちはその場にいたわけではない。しかし証言や書証から事実は動かしがたい。
 中東ではあまりに多くの血が流れている。2006年3月に米海兵隊が2005年11月イラク西部のハディサで無実無抵抗のイラク一般市民24人を虐殺したことが表面化した。2006年6月にはグアンタナモ基地で3人の自殺者が確認された。
 そしてイスラエルがいる。2006年7月30日にレバノン南部のカナでイスラエル軍の空爆により集合住宅が破壊され避難していた民間人56人が殺害された。カナは1996年4月18日国連レバノン暫定軍本部(UNIFIL)がイスラエル軍により襲撃され、避難していた民間人106人が殺害された「カナの虐殺」と呼ばれる事件があったところでもある。
 イスラエルは2006年7月25日にはUNIFILの監視所がイスラエル軍の空襲を受け各国(中国 カナダ オーストラリア フィンランド)から派遣された監視兵4名が殺害され、国際的非難が高まる中で今回の虐殺を行なった。イスラエル軍がやっている兵器の面での優位に頼って非戦闘員と戦闘員の区別をせずに相手を抹殺する行為は、常軌を逸している。
イスラエルーアメリカへの非難が高まるタイミングで、2006年8月ロンドンから空港テロを未然に摘発したというニュースが伝わった。この摘発のタイミングは、イスラエルーアメリカへの国際的非難を弱めることになった。2001年9月11日の事件のあと、欧州をみると2004年3月のマドリード、2005年7月のロンドンと確かにテロ事件が起こっている。
 ただ誰がなんの目的でこれらの事件を起こしたかは今も解明されていない。9月11日の事件そのものについてさえ謀略説が消えないし、その後の事件にもこのような不透明さがある。
 こうした中で2006年12月26日イラクではフセイン元大統領を含む3人の元政府高官への死刑が確定し死刑執行の様子がネットを通じて流された。フセインが国内で反対派を弾圧したことは事実でありフセインが国内で恨みを買っていることも事実だろうが、米英の事実上の占領下にあるイラク政権下の「裁判」で見せしめにも似た死刑判決は、正しいこととは思えない。フセインに対して私は個人的に好悪の感情はないが、現在の状況で「裁判」を強行したのは歴史的には汚点として残るのではないか。
 よく知られているようにフセインはイラクでは少数派のスンニ派出身である。イスラム教徒は、ムハンマドの娘婿であるアリーとその子孫のみをムハンマドの正統な継承者とするシーア・アリー(要するにアリー派)と、聖職者集団を頭目に掲げたスンニ(慣行)派とに大きく分裂している。スンニ派はイスラム神秘主義とも深く結びついているともされその中は多数の小集団に分かれている。イスラム教徒全体ではスンニ派が多数派だが、イラン、イラク、レバノンは例外的にシーア派が多数派を占めている。フセインはそのイラクにあって、スンニ派を重視する政策をとり、多数派であるシーア派の恨みを買った。アメリカはシーア派のイランにおけるイスラム革命が国際的に波及することを警戒して、フセインを支援した時期があるとされ、フセインの口を封じたともいえる。本当の犯人は誰なのだろうか。誰がこの混乱の責任者なのだろうか。 
 
 しかし流された血の量で判定するのは無謀だが、歴史的にもっとも大規模な虐殺はスターリン(1879-1953)政権下のソビエトで1930年代以降に生じたものでその犠牲者が数千万を超えることは間違いないようだ(なお1960年代から1970年代中ばにかけての文化大革命期に中国においても大規模な虐殺があったとされる。一部の文献はやはり数千万という数値を挙げる。同様に中華人民共和国建国族初期にも相当数の虐殺があったと思われる。しかし正確にどのようなことがあったかについては不明な点も多い)。またスターリン統治下では、カチンの森事件などポーランド人虐殺が生じ、収容所では過酷な取扱いの中で枢軸国側捕虜多数が亡くなっている。スターリン体制下の虐殺については第二次大戦後、フルシチョフ(1894-1971)がスターリン批判(1956)を行ったがなお真相究明には遠かった。このような大量虐殺は、歴史の中ではしばしばみられる。しかし、スターリン体制下の虐殺ほど規模の大きなものはなかったといわれている。もっともフルシチョフが1964年10月に失脚すると時代は一度は逆転し、レオニード・ブレジネフのもとで東西冷戦は高まりをみせた。スターリンのもとでの事実の解明はあと回しになった。チェコスロバキアにおける民主化の動きが弾圧された「プラハの春」事件(1968)あるいはアフガニスタンへの武力侵攻(1980)など多くの悲劇はこのブレジネフの時代だった。
 しかし同時にソ連の知識人たちが公然と体制に異議を唱えその動きが西側諸国に伝わり始めたのもこの時代だった。アンドレイ・ソルジェニーツィン(1917-2008)が自らの経験を踏まえ、矯正収容所の実態を赤裸々に明らかにした小説を発表し、ノーベル文学賞(1970)を受けるもついに1974年に国外追放になったのもこの頃だった。あるいは著名な物理学者アンドレイ・サハロフ(1921-1989)はアフガン侵攻(1980)に抗議しただちに流刑になったのであった。またジョレス・メドベージェフ,ロイ・メドベージェフ兄弟によるスターリン体制批判の著述も、西側諸国の知識人に広く読まれたことも記憶に新しい。
 このスターリン下の悲劇を考えると、思想的な多元性というものを尊重することが人権尊重の基盤になることを強く意識せざるをえない。絶対に正しいとかこれは間違いないとといった考え方にはどこか危ういところがあるとすべきだ。

ゴルバチョフ登場からプーチン登場まで
 スターリン・ブレジネフ体制の終焉は、ミハエル・ゴルバチョフ(1931-)の政権掌握(1985)とペレストロイカ(改革あるいは再構築)、グラスノチ(情報公開)というその政策の展開によってもたらされた。ただしその終幕はボリス・エリツィン(1931-)の大統領就任後(1991/7-1999/12)の展開になった。まず米ソ戦略兵器削減条約の調印(91/7)、保守派クーデター失敗・共産党解散(91/8)、独立国家共同体への移行(91/12)が続いた。エリツィン統治下でロシアは急速に市場化を進めた。またロシア西南のチェチェンへのロシアの武力侵攻(一次1994/9-96 2次1999/7-)という新たな問題も抱えた。チェチェンは1991年独立国家共同体への参加をせず独立することを表明、ロシア政府との交渉を重ねたが1994年に至ってエリツィンは武力侵入で独立派を押さえ込もうとした。チェチェン側はこれを一端は退ける。しかしエリツィンは1999年7月に再び侵攻する。そして市場経済への急速な移行とこうした武力政策への不満が内外で高まるなか、エリツィンは1999年12月、ウラジミール・プーチンを後継大統領に指名し辞任した。2000年プーチン政権はチェチェンについて中央政府による直轄統治を宣言するが、このように力で独立を押さえ込もうとするロシア政府に反発するテロがロシア国内で頻発する事態となる。チェチェンの人口は100万人程度。これに対してこの間の犠牲者は20万人を超えるとの指摘もある。

ロシア経済の回復
 他方で2000年に入るとロシア経済は、資源価格の上昇とともに回復する。これを受けてロシア政府は資源については、独占的な国有会社の権限を強化し、その力を内外の政策に利用するようになる。その中で2003年にはユーコス事件も生じた。新興財閥のホドルフスキーを逮捕・起訴。その石油大手会社ユーコスに追徴課税して、国営石油会社のロスネフスチ(06年7月 新規株式公開)に中核子会社を売却させる措置を取った。これは力を蓄えた新興財閥に対する牽制だったのだろう。
 他方で天然ガス独占のガスプロム。1993年2月設立。ロシアの石油ガスの8割以上抑えるにまで育成。外国の批判を受けて06年1月 外国人による株式取引を自由化した上で06年7月ガスステーションなどを運営するロスネフスチは新規株式公開。政府の保有比率を51%に下げ海外石油大手に株を入手させることで閉鎖性批判に対応している。2006年11月 ロスネフスチとガスプロムの両社は包括提携。このほかアルミやチタンでもロシアは巨大国有会社を育成し、資源を抑える戦略を明確にしている。2007年3月には米アルコアを抜く世界最大のアルミ会社ロシースキーアルミを発足させている。
 ガスプロムは2006年1月 NATO加盟に動くウクライナに対し5倍の値上げ要求。ガスの一時供給停止。7月に再度値上げ通告。06年12月にはベラルーシに4倍以上の値上げ通告。ベラルーシは輸送停止で対抗。ベラルーシとの間では05年12月にも2倍値上げ。など資源外交の一端を担っている。もちろんこれまでが安かったといった言い分がガスプロムにあるにせよ、冬場に有無を言わせぬ値上げ要求はおだやかではない。またガスの生産量が減る中で2006年10月にはシュトクマンのガス油田開発で外資との交渉を打ち切った。
 他方ロシア中央銀行はドル離れを進めている。05年にはルーブルのドル連動性廃止。06年にルーブル取引に関する流通規制撤廃。05年頭には7割だった外貨準備に占めるドルの割合を06年6月には5割程度にまで下げてユーロ資産増やしている。国内ではなおドル表示多いが、貿易でのルーブル建て取引の普及やドル離れを演出している。なお国内金融機関が弱体なためルーブル決済に移りにくいされている。
ところで2006年10月、チェチェン戦争についての報道でプーチン政権を厳しく批判してきたアンナ・ポリトクフスカヤ記者が何者かによってモスクワ市内で暗殺された。ロシア政府は独立系のメディアに圧力をかけ、国際NGOの多くに活動停止命令を出しており国内の政権批判を力で押さえ込む姿勢を鮮明にしている。チェチェン戦争によってロシア国内の言論の自由は、深刻な危機にある。しかも事件はこれで終わらず11月に入ると元KGBスパイでロシア政府批判を続けていたアレクサンドル・リトビネンコがロンドン市内で毒を盛られ入院したものの亡くなった。放射性物質のポロ二ウム210が原因とされ英検察は実行犯のルゴボイ容疑者を特定した。そして容疑者の身柄引き渡しを07年5月にロシア政府に要求。7月にロシア政府が拒否したのを受けてロシア外交官4人の国外追放に踏み切っている。
もっとも2004年にウクライナで起きた大統領候補ユーシェンコの暗殺未遂事件でさえ、野党側が選挙戦を有利にするために噂を仕組んだとの説もある。つまりこれを今回のケースにあてはめると犯人はロシアの秘密警察でなく別にいてその目的は、プーチンを貶めることという可能性はないわけではない。2007年7月にIOC総会に乗り込んだプーチンが、2014年の冬季オリンピック開催地にロシアのソチを決選投票で逆転して選出させた手腕は見事でロシア国民の多くが彼を支持していることは事実もある。しかしリトビネンコ事件が、極めて不可解な事件であることは間違いない。
 ところでロシアと日本との関係では、自動車メーカーなどがロシアに進出する動き(2007年12月 サンクトぺテルブルクでトヨタが工場稼働 年2万台 中型車・大型車中心 日産自動車が2009年春 またスズキが2009年秋に それぞれサンクトペテロブルクに工場稼働予定 フォード、ルノー、GMはすでに2002年に現地工場を稼働)やサハリンの石油・天然ガスの開発事業に今関心が集まっている。それに影を差すのがこうした政治的な不透明なあるいは強引とも見える事件である。
 原油価格を追い風とする経済回復 個人消費の伸び
 人件費の割高さ 公務員の汚職 輸入増による貿易黒字の縮小 ルーブル安によるインフレ懸念 資本の流出
 2011年内のWTO(世界貿易機関)加盟を目指している。

むすび サハリン開発について
 2006年9月、日本の三井物産・三菱商事などが英蘭ロイヤルダッチシェルと組んでサハリン島沖で行っている石油ガスプロジェクト・サハリン2について、ロシアの天然資源監督局は工事承認取り消し決定を下し波紋を呼んだ。ロシアは資源問題で供給側としての立場を利用して権益の拡大を目指しているようだ。サハリン2はロシア企業が絡んでいない点が、政治的な弱点とされ、2005年にシェルは自身の権益のおよそ半分をロシアのガスプロムに譲渡することで合意を図った。しかしロシア政府は、さらに外資の権益を半分以下に押さえ込むことを求めた。
 サハリンのプロジェクトについてはもともとパイプライン敷設による環境破壊問題が指摘されていたが、2008年にも液化天然ガスの供給を期待していた日本の電力会社は調達計画の見直しを一時迫られた。この問題は2006年12月、ガスプロムに過半数の株を譲渡することで決着がついた。このようにプロジェク完成間近になってのロシア政府の介入もあり、ロシアからのエネルギー供給に日本の産業界では警戒感は高い。
 サハリン開発周辺が穏やかでない背景には2007年の議会選挙、2008年の大統領選挙を控えて、プ-チン政権周辺が資源ナショナリズムを煽っていること、またロシア側からみれば、この事業はロシアの混乱期にロシアに不利な条件で開発が進んだものだという背景がある。事業費が高騰するほど、ロシア側が権益の回復が遅れるロシアに不利な仕組みで、そのことへの苛立ちがあったとされる。ロシア側の視点からみれば、状況の変化に合わせ、より主導性を回復して、開発にあたりたいという思いが強いのであろう。外国資本の比率をいかに下げてゆくかが課題とされている。その気持ちは分からなくはない。
 サハリン沖ではこのほか伊藤忠商事・石油資源開発がエクソンと組んで行っているサハリン1が稼動しており、2005年から石油の輸出が日本向けに始まっている。問題は天然ガスの輸出方法で日本は液化天然ガスでの輸入を希望しているが、その場合は液化プラントを現地に建設する必要がある。天然ガスをマイナス162度まで冷やすと液体になり、体積が約600分の1に減るため、効率的な輸送が可能になる。サハリン2ではすでにロシアで唯一とされるLNG基地を建設中でその点からも注目される。なお原油生産は1999年からすでに開始されている。
サハリン1の主導者であるエクソンは中国に向けてパイプラインを建築してガスを輸出する構想であった。このほかサハリン3から6までの鉱区がサハリン周辺で設定され開発計画が進められており、サハリンは世界有数の石油・天然ガス開発地域に変貌しつつある。
 サハリン2(当初は外資だけ その後2007年にガスプロムが参加 ガスプロム ロイヤルダッチシェル 三井物産 三菱商事が参加 日本政策金融公庫 民間銀行団が融資)について、シェルなどは事業開始を優先。2007年春にガスプロムに対し権益の50%プラス1株を譲渡。最終的に2007年11月26日に天然資源省はサハリンエナジーが提出した第3者機関による環境改善計画を承認 1年以内の完工で合意が成立した(鉱区から積み出し基地まで原油と天然ガスのパイプラインの建設が2008年10月末にほぼ完了した。2009年4月6日 サハリン2で産出した液化天然ガスを搭載した最初のLNG船が日本に到着した。LNGの現在の最大の供給国はインドネシア。しかし同国での産出量が減っているため同国は2011年以降の供給削減を決定。サハリン2のタイミングは日本にとり都合がよかった。なおサハリンにはインドや中国も関心を寄せており、今後取り合いになる懸念がある)。
 サハリン1(最大株主はエクソンモービル 1999年から若干の原油を産出 原油の本格生産は2006年10月から 日本と韓国に販売)についてロシア側は全量を政府系ガスプロムに販売することを認めなければ天然ガスの商業生産を認めないと主張して、交渉は暗礁に乗り上げた。交渉のもうひとつの論点は買取価格でガスプロムは安値での買い取りを主張した。エクソンモービルも粘ったため、この交渉がまとまらないまま、ガスプロムはハバロロフスクとウラジオストクのパイプライン建設が2009年7月末に開始した。このガスの扱いについては、ガスプロムとロシア政府との間にも意見の相違がある。ロシア政府は国内需要を優先するとしており、中国との契約に難色を示している。

ロシアの有名企業
○石油・ガス ガスプロム:世界最大の天然ガス独占企業 ルクオイル(ルコイル)LukOil:石油の掘削・開発 タトネフチTatneft:石油の掘削・開発、ルコイルの4分の1程度の規模だがNYSEに上場 トランスネフチTransneft:パイプライン敷設 ロスネフチRosneft:石油開発精製、石油ステーション
○鉄鋼 セベルスターリ メチェル エブラズ
○非鉄金属 ルスアル(ルサールRusal) ノリルスクニッケル
○飲料 ウィンビルダン レドヤンスキー マルトン(コカコーラ)
○航空 アエロフロート航空 シベリア航空 ロシア航空
○通信 ロステレコム システマ ヴィンベル
○携帯 モバイルテレシステム ヴィンベル メガフォン

Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.
originally appeared in Aug.10, 2008
corrected and reposted in January 9, 2011

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