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Entrance for Studies in Finance

ソーベル ウオール街の内幕 1977

原信 新垣進盛訳「ウオール街の内幕 物語ニューヨーク証券市場」有斐閣選書1984年
Robert Sobel, Inside Wall Street-Continuity and Change in the Financial District, 1977

「第1章 1877年」のところの抜き書きをする 大変よく事実関係が整理されており分かりやすい。

ペーパークランチ paper crunch 事務渋滞

コネリアス・バンダービルドの死 1877年 過去20年間ダニエル・ドルー ジム・フィスク ジェイ・グールドらとともにウオール街の大立者

ニューヨーク証券取引所 建築(1864-65)に200万ドル 会員1100人 営業体でも法人でもない 課税対象でない 帳簿や記録を誰に見せる必要もない 取引所理事長には給料はでない 取引の開始と終了の合図 首席副理事長が午前の立ち合いに 次席が午後の立ち合いに 二人は各7500$の報酬

取引所のスタートは1792年 お互いの間でのみ取引する 部外者を除外する 指定された料率を請求する という三つの原則の成立

1861年にはほかの取引所に出向いた会員が取引所から追放されたことがあったが、やがて罰金を科せられるだけになり、さらに見て見ぬふりをするようになった。

南北戦争の後、新しい取引所の多くは商売が干上がっで閉鎖されるか、警察によって賭場として閉鎖された。

しかし株式ブローカー公開取引会所(オープンボード)は人気が打ち破られなかった。

オープンボード 誰でも50ドルの入場料払えば参加できる 1週間のうち6日 朝8時半から夕方5時まで 1864年から貸しビルの中でスタート 銘柄ごとに立会場の区画であつまり取引
1866年までにある株だけ取引きするスペシャリスト制度の成立

NYSEは1869年に合併を申し込み、現代のNYSEが発足した。(取引所のスタートについては、1792年の三つの原則成立時という考え方、オープンボードとNYSEとが合併した1869年という二つの考え方がある)

1877年 業務を遂行する方法の変更
   南北戦争前は競争売買 午前中10時半 午後1時の計2回 250の銘柄
   証券会社の役員がセリに立ち会い
1877年 建物を入ったところにロングルーム スペシャリスト制度を備えた継続取引 2階では競売買
1882年 競売買が終わり スペシャリスト制度が定着

1832年 サミュエル・モールスが電信機を発明
1856年 電信会社ウェスタン・ユニオン設立 ニューヨーク市外からウオール街に注文を出すことが可能になる 間もなく株価を送信する連続電送装置開発される
1866年 相場報知装置の出現(金取引で主として使用 発明者SSローズ)
1867年 EAキャラハンによる金気配相場電送装置(ティッカー)完成 間もなく株式取引に応用(金取引の熱狂1869年 1874年正貨兌換復帰法-1879年金兌換を想定ー成立 金価格の下落1877年 金取引所閉鎖1879年1月)
さまざまな会社間で競争が生じて電信装置の使用料は低下 やがて競争を辞めて価格引き上げへ

  1)NYSEの取引量の拡大につながる面
  2)NYSEの相場情報を民間の会社が利用して、NYSEに損害を与える面

1878年 ウオール街に電話初めて設置
1885年 NYSEはと取引所の立会場から民間会社の電気技師追放を主張 妥協として電信会社は相場表を買うことに同意
1880年代終わり 市街地のすべての地域で その地区内の電話利用可能に
1890年 NYSEはコマーシャルテレグラフ社の支配権取得 ニューヨーク気配相場会社に組織替え
1892年 ウェスタン・ユニオンがNYSEに屈服 ティツカーの設置場所は制約へ

1892年 精算所出現(1890年 事務処理行き詰まる)
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