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私が前回、会津を訪問したときは、ちょうど瓦の工事中でした。
うつくしま福島の旅 若松城(鶴ヶ城)~赤べことお城ボくん~(福島県会津市)
コダワリの女のひとりごと
新しく赤瓦になった鶴ヶ城は、紅葉の紅とキレイにコラボしていました。
会津の旅のまとめの目次はこちらハンサムウーマン新島八重と東山温泉満喫 会津若松の旅 目次
ラッキーなことに高速道路をバスが走っているときに、高速道路の上に架かる虹をみることができました。
そして、途中、猪苗代の辺りでは雪景色を見ることができましたが、会津は紅葉が楽しめました!
お濠の前も見事に紅葉。
会津は戦国時代に、葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの大名が治めた歴史があります。コダワリの女のひとりごとコダワリの女のひとりごと
幕末の戊辰戦争では旧幕府派(東軍)として最後まで抵抗したため、激しい戦場となりコダワリの女のひとりごと
悲しいお話がいくつもあり、特に白虎隊や、新撰組は有名です。コダワリの女のひとりごと
★鶴ヶ城コダワリの女のひとりごと
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で
新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月,城は落ちなかった。
石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のこと。
至徳元年(1384)コダワリの女のひとりごと
葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となったそうです。コダワリの女のひとりごと
コダワリの女のひとりごと平成23年春、幕末時代の赤瓦をまとった天守閣としてリニューアル。
★表門(鉄門)
なんと新島八重さんもいらっしゃいました。
新島八重さんの生き方はまさに、会津を象徴するような生き方であり、日本のジャンヌダルクという異名にふさわしい生き方です。
会津の武士道精神に憧れる外国人が多いのも納得。
荒城の月の歌詞のモデルになったとひとつといわれている鶴ヶ城。
土井晩翠が詞を構想したとされるのはコダワリの女のひとりごと
宮城県仙台市の青葉城址、福島県会津若松市の鶴ヶ城址コダワリの女のひとりごと
岩手県二戸市の九戸城址だそうです。
コダワリの女のひとりごと★武者走りコダワリの女のひとりごと
コダワリの女のひとりごとV字に作られた石段が鶴ヶ城の特徴だそうです。
★茶壷櫓
会津藩を蒲生氏郷は織田信長の娘婿で、器がおおきく勇猛な武将であるとともに、この時代を代表する文化人で、特に茶道に親しみ、のち利休七哲の筆頭にあげられるほどでしたが、そんな鶴ヶ城なので、貴重な茶器をおさめる茶壷櫓もあったのでしょうか。
コダワリの女のひとりごと★茶室 麟閣コダワリの女のひとりごと
コダワリの女のひとりごと千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室コダワリの女のひとりごと
コダワリの女のひとりごと豊臣秀吉の怒りをかって切腹を命じられた利休ですが、茶の湯を愛し
コダワリの女のひとりごと利休七哲の筆頭に挙げられる程の優れた文化人、蒲生氏郷公が
コダワリの女のひとりごと利休への敬慕と茶道衰退を惜しむ気持ちから、その子・千小庵を会津に招き
コダワリの女のひとりごと茶道興隆のために尽力したそうです。
戊辰戦争の後の鶴ヶ城の写真です。
鶴ヶ城は今から約630年ほど前、コダワリの女のひとりごと
その前身ともいえる東黒川館をコダワリの女のひとりごと
葦名直盛が築いたのがはじまり。
戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城を、幕末当時の姿を再現。
現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣。コダワリの女のひとりごとコダワリ
地元では一般的に鶴ヶ城といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多いそうです。の女のひとりごと
文献史上では、黒川城、会津城とされることもあり、国の史跡としては、若松城跡の名称で指定されているそうです。コダワリの女のひとりごとコダワリの女のひとりごと
■鶴ヶ城
所在地: 〒965-0873 福島県会津若松市追手町1−1
天守閣への入場 8:30~17:00(入場締め切りは16:30)
入場料コダワリの女のひとりごと コダワリ女
天守閣コダワリの女のひとりごと 大人400円、小中学生150円
麟閣共通券コダワリの女のひとりごと大人500円、小中学生150円
お城ボくんに再会
土井晩翠さんと 新島八重さんが紅葉とコラボしてました。
会津の旅、まだまだつづく
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