昭和8年、
JR小海線『清里駅』が誕生しました。
(昨年9月17日の清里駅)
山登りやハイキングが
ごく一部の人々の娯楽だった時代、
(清里駅前)
八ヶ岳、南アルプス、
富士山などに囲まれたこの高原駅には、
(清里駅 昭和47年まで走っていたSL)
そのごく一部の人たちが
訪れるようになりました。
片や、これは反対派を押し切って
昭和32年に完成した
奥多摩の小河内(おごうち)ダム。
このダムの建設で村を失った人々が
清里に移住しました。
そして、
突如始まった 清里ブーム ・・・
奥多摩から移り住んだ人々は、
次々に土産物店をオープンさせました。
さらに、宿も ・・・
それは、ペンションと呼ばれました。
儲かるところには、都会の資本や
タレントショップも加わりました。
こうして総括してみると、
清里はその名前とは裏腹に、
メルヘンという幻想の陰に、
生臭さが見え隠れしますね。
いま、清里駅には、
『高原のポニー号』という愛称で
親しまれたC56が展示されています。
乗降客は激減 ・・・
それでも列車は
時間通りに清里駅を発着します。
この日、私が駅前で出会ったのは、
農業実習生。
東京で
介護の仕事をしている人たちのグループ。
どちらもフィリピン人でした。
日が暮れた清里 ・・・
ほとんど廃墟なのに、
おどろおどろしい印象はありません。
きっとこの地には、
陽の気が流れているのでしょう。
風
♪22才の別れ♪
清里の明るさとは対照的だった
1975年のヒット曲です。
JFK-World
毎年、夏休みには、生徒たちの引率で、清里高原に出向きます。
夜のキャンプファイヤーで、何枚ものジャンバーに穴をあけたことでしょう。
眼に見えないほどの火の粉によって…。
清里高原は自然豊かな素晴しいところです。
でも、今の若い子(生徒たち)はトレッキングをする出なし、寮で、ゲーム三昧。
生徒を遊ぶおぜん立てに、疲れを感じると主人は嘆いていました。
ゲームがよくないのは貴重な時間を奪うからではなく、退屈でどうしようもない時間まで奪ってしまうことではないでしょうか。
退屈でどうしようもない時、人の創意工夫が生まれるものですから。