『突然、目の前に廃墟が現れた。
あたりは樹木や苔で覆われ、はじめはよく見えなかったが、
それは、世界でもっとも美しい石壁だった。 』
これは、マチュピチュ遺跡の発見者ハイラム・ビンガムの
著書 『失われたインカの都市 』 の一節です。
長く険しい 「インカ道 」 を経て、
マチュピチュにたどり着いた時に目にする光景 ・・
(11月30日のブログ参照 )
私は、この 『刹那の絶景 』 を求めて
マチュピチュはつくられたと考えています。
(11月27日のブログ参照 )
背景の山といい、なだらかな傾斜といい、
遠近法を考慮して配したと思われる建造物といい、
マチュピチュは完璧な構図を計算してつくられています。
インカの民が信仰してきた創造神 『Viracocha ビラコチャ 』
16世紀前半、繁栄の絶頂にあった
インカ帝国 (総人口は1500万人以上 ) が、
極少数 (200~300人ともいわれている ) のスペイン軍に
滅ぼされた理由としておもしろい説があります。
それは、インカの民は、初めて見るスペイン人 ・・
つまり肌が白く体躯の大きな人間を
『ビラコチャ 』 の到来と信じ、
怖れおののき戦意を失ったというものです。
(インカ帝国初代皇帝 Manco Cápac マンコ・カパックの
想像画 7月15日、17日のブログ参照 )
また、歴代インカ帝国皇帝に伝わるこんな言葉があります。
『奪って豊かになるのではなく、与えて豊かになる。 』
私は、インカの民は平和を希求する
ナイーブな民であったと想像します。
そんなインカの民がつくったマチュピチュは、
戦いのための要塞ではなく、
むしろそれは平和のシンボルであったと思います。
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