マチュピチュが
宗教的な場所であったことはほぼ間違いありません。
遺跡の中にある
『マチュピチュのミニチュア 』 ではないかといわれる石 ・・
追って紹介しようと考えていますが、
マチュピチュ遺跡には興味深い工夫が数多く見られます。
そしてそれらの多くは、
インカの人々の宗教観とつながっています。
私は、マチュピチュはインカの人々にとって
とても楽しい場所であったと思っています。
ムスリムにはメッカ、キリスト教徒にはバチカン、
そして日本には伊勢神宮があるように、
マチュピチュもまた
大切な巡礼の場所だったのではないでしょうか。
マチュピチュに行けば楽しいことがある ・・
ご利益がある ・・
だから険しい道も苦にならない ・・
道の向こうには神々しい絶景が待ち受けてる ・・
私は、マチュピチュをそんなふうに捉えています。
マチュピチュを考える上で、
段々畑は重要な意味を持っていると思います。
以前に紹介したように、
オリャンタイタンボの遺跡とマチュピチュはよく似ています。
(11月17日のブログ参照 )
また、段々畑は 「モライの段々畑 」 と関連しています。
(11月10日のブログ参照 )
インカ帝国 9代皇帝パチャクテクは、
「モライの段々畑 」 で得た知識を導入して
まずオリャンタイタンボの建設を行った ・・
そして、さらに大きなもの、さらに完成度の高いものとして
マチュピチュを建設した ・・
つまり、パチャクテクが目指したものは、
食料が確保された (飢えることのない )
宗教施設だったのではないでしょうか。
民を飢えさせないことは為政者の最も重要な仕事です。
そしてもうひとつ重要なことは、
為政者が常に民にとって精神的な支柱であり続けることです。
以上の理由から、食料と宗教は結びつきます。
マチュピチュ建設に必要だった膨大な労働力 ・・
人間は、目的のないものには能動的な意欲が湧きません。
しかしひと度明瞭な目的を得ると、人間は能力を発揮します。
マチュピチュをつくった人々の心に宿っていた思いは、
永遠に飢えない環境をつくることと、
神に近づくことだったと思います。
もう少し合理的に考えると、
労働者には十分な食料が与えられていたはずです。
だとすれば、マチュピチュ建設は、
現在でいう雇用促進の一環であったのかも知れません。
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