首都 = パペーテから
タヒチ島を周回する道路を車でおよそ 1時間 ・・
(10月 1日のブログ参照 )
緑に囲まれた 「Gauguin Museum ゴーギャン博物館 」
ここには、レプリカですがゴーギャンの作品が展示されています。
Paul Gauguin
ポール・ゴーギャン (1848年ー1903年 )
ゴッホ、セザンヌと並んで、
フランス後期印象派を代表する画家です。
1880年に正式にタヒチを植民地として以来、
タヒチの楽園イメージは様々な形で本国フランスへ伝えられました。
ゴーギャンはパリでの都市生活に疲れ果て、
1888年、南フランスのアルルでゴッホとの共同生活を始めるも、
ふたりの生活はゴッホの 『耳切り落とし事件 』 をもって
短期間で破綻します。
1891年、ゴーギャンは楽園を求めてタヒチに渡りました。
ゴーギャンは、タヒチの情景を描き続けました。
『市場 』 (1892年 )
『よろこび 』 (1892年 )
『テハーマナの祖先たち 』 (1893年 )
『タヒチの女 』 (1891年 )
どこか物憂げな表情で描かれるタヒチの女性 ・・
西洋文明と決別し、楽園を思い描いて訪れたタヒチ ・・
しかし、
自らを襲う病 (うつ病であったというのが定説 ) と
貧困 (絵が評価されるのはゴーギャンの死後 )・・
タヒチでさえ、
もはやゴーギャンにとっては楽園ではありませんでした。
1893年には一度フランスへ帰国 ・・
しかし、1895年、再びタヒチに戻ります。
タヒチへの憐憫と自らの絶望の中で、
あの最も有名な大作が生まれました。
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 』
(1897年 )
ゴーギャンを代表するこの作品に対して、
ゴーギャン自身はこう語っています。
『最高傑作ではないかもしれないが、
私は今後これ以上の作品は描けないだろう ・・ 』
逃げるようにタヒチ島の奥地に隠遁していくゴーギャン ・・
自殺を試みるも未遂に終わります。
1903年、
タヒチ島から遥か離れた (約 1400キロ ) 『マルケサス諸島 』 で、
ゴーギャンは波乱に満ちた人生を終えました。
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