「さて、今日もYouTubeで自己啓発動画でも見て学んで自分を奮い立たせるか…」
YouTubeを開いて数分後…
『斎藤元彦同級生 齊藤だけは僕をイジメなかった』
『Twitterで450万再生された伝説の動画』
『立ち入り禁止に納得できない様子の猫』
上記が自分の再生履歴に入っていました。
…え?こわ…なんでこんな自分に関係のない動画ばかり再生しているんだ…?
現実逃避っていうのが一般的な見方だと思いますが、じゃあなぜ現実を逃避するのでしょう?
それは今の自分の現実を直視せず、あえて自分の今に関係ないところに目を向けたいのだと思います。
「そこになら自分の向いている可能性を見つけられるかも」と自分に言い聞かせるため。
行動するリスクもなくて一石二鳥。とか心のどこかで私は思っているのだと思います。
「自分は未来のために何もしてないわけじゃない」と暗に言い聞かせているように見えますね。
いや、ださ。かっこわる。
しかしそもそも現実は逃避なんてできず、現実は切り離せないものであるのは事実。
現実放棄と言った方が正しい表現のような気もします。
思考を放棄しても現実は切り離せない。
いくら画面越しの知らないような世界を眺めても、それをスマホの光で再現しただけのものでしかないという現実からは逃れられません。
そう最初から現実に逃げ場なんてないんだと思います。
だとしたら現実を直視しないどこか被害者ぶっている自分がいるのが現実ですね。
「現実なんて理不尽で自分の力ではどうにもならない。」
ふざけんな。
「そもそも自分には力なんてないから期待するだけ無駄。」
勝手に決めんな。
現実は自分の行動を邪魔してくる鬱陶しい枷とするか。
自分の手で少しずつでも変えられる材料とするか。
それは現実を直視してその法則を少しずつでも言葉にすることにかかっているのではないでしょうか?
現実を見て、現実をより鮮明に表せる言葉づかいをしたブログを書いていきます。
そして自分の方向性をどんどん言葉にして迷いを減らしていきます。