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なぜ私の話は伝わらないのか?

2024-11-25 18:23:32 | 日記

人に物事が伝わらない。

自分でも何を言おうとしているのかがわからない。

言い方が回りくどい。

 

そんなこと自分が一番わかっています。

でもどうして伝わらないかがわからない。

 

でも何でなのか真剣に考えたことはあまり…いえ、もはやなかったですね…。

 

その原因は「知ったかぶり」だからだと思います。

 

私はマイナンバー関係の手続きを行う業務を行っていますが、お客様への説明責任を求められます。

なので必要に応じた説明をして、ある程度教えられるようになると、教えるのが当たり前になってきます。

 

そうすると、おそらく心のどこかで「私は知っている。相手は知らない。」が当たり前になってくるんだと思います。

その結果もたらされるのが、「自分は知っている立場でなければいけない。」と言った固定観念なんだと思います。

 

しかしそれを前提で動いてしまったとき、自分の知らなそうなところを聞かれたらどうなるでしょう?

おそらく自分の解釈で答えてしまうんだと思います。

つまるところ勝手な思い込みをあたかも本当のように話してしまおうとするんだと思います。

 

じゃあ自分がわからないと思ったところは全部「わかりません。」と答えればいいか?

それは違うと思います。

 

なぜかというと、自分の解釈というのも「事実」だからです。

要は自分で解釈したものと事実とを認識して伝えればそれは事実です。

 

私は正直今のままでは「事実」と「解釈」がごっちゃになっているんだと思います。

なのでまずはそれぞれを定義して、切り分けて考えていこうと思います。

 

「事実」…ネットの記事や本や課長から聞いたものなどの情報元、引用元がはっきりしているもの。

「解釈」…自分の良し悪しの思いだったり、調べたことも誰かに確かめこともない個人のイメージ。

 

そこを基準に自分が完璧に答えられない質問が来たとします。

「まだまだ勉強不足ですが、こういった政策の目的があるのでこういったために作られたのではないかと考えています。」

と伝えられます。

 

自分で考えようとするから、どういった事実を取りに行くか考えられる。

まずは自分が「事実」を伝えているのか?

「解釈」を伝えているのか?

そこを自分に問いかけながら相手に伝えていきたいです。


その張りぼて本当に必要ですか?

2024-11-25 09:15:08 | 日記

「とにかく懸垂できていなきゃいけない。」

「腹筋がまともに上がらなさそうだから、反動でもつかってやらなきゃ。」

昨日筋トレをしていてふと感じた焦りを言葉にしたものです。

 

私はこの言葉に非常に違和感を覚えます。

 

なぜならそれって「裏の目標」があり、誰かに見られているからかっこ悪いと思われたくないという思い込みがあるんじゃないかと思います。

つまりかっこいいと「思われる」が先決になってしまうと、形だけのかっこいいを求めるようになるのではないかと思います。

外側の形だけの張りぼてを立てようとしているんです。

 

テストの点数を取るために社会の単語だけ暗記して点数は並み以上に取るけど、中身を全く理解していないし、興味なんてほぼない。

困難に直面すると自分の力で解決するのはリスクをとるのが嫌なので、困った顔を見せることで相手に行動させて責任を回避する。

本人に直接言うのはリスクあるので、陰で不平不満を漏らす。

これ恥ずかしながら全部過去の私です…。

 

要は外側ばかり固めて、根本的な力を養うことを避けているんだと思います。

そう生きてきた要因は、

「誰かと比較されて厳しい評価を受けるくらいなら側だけでもよく見せなきゃ。」

という人からの批判を避けたいという逃避的な欲求ですね。

 

でも冷静に考えてみて他人の批判を意識していると、要は人それぞれ無限に答えがあるので何かに向かう力が定まるわけないですよね。

自分が「やりきった!」

と違和感を感じることなくできたならそれでいいじゃないですか!

もちろん前提には自分の違和感を言葉にしておく思考習慣が必要だと思います。

 

正直私はまだまだ人生の違和感をぬぐい切れているとは到底言い切れないです。

ただこのブログで言葉をひとつひとつ丁寧に取り出して試行錯誤して文章を綴っていくと自分の中の軸が徐々に作られていると感じ始めてきています。

 

まだ一週間だって続けていませんが、なにかしら反応をいただけると、

「あ、見て下さっている方がいるんだ。なんか自分が言葉にすることを肯定されている気がする。

もっと自分の思考で自分だけの言葉で培いたい。」

そう思えてくるんです。

 

他人に何かをしてあげたい。

そんなことは自分に何かをしてあげて、満たされたコップからあふれ出たものを分け与えればいいのだと私は思います。

あえてはっきり言います。

 

「他人に何かを与えるべき人になれ?正直そんなこと糞くらえ。今の私に知ったことではないです。」

 

なぜなら、このぐらい突き放さないと、また私は他人の心を満たそうとするからです。

厳しい言葉を使えば、他人に媚びようとする。

外側の上っ面だけを作って、何も高められない。

そして何もない自分を薄々自覚して自信を失う。

 

ねえ?

でもそんな人生もう十分経験しただろ?

なあ?

もうそんな人生うんざりなんだろ?

 

もう張りぼてに隠れる人生なんて捨ててやる。

こんな張りぼてじゃ何も守れないじゃないか。

でもこうして今日言葉で自分を省みれた。

いいじゃないか地道に少しずつ変えていけば。

 

だから私はブログを書き続けます。誰にどう思われようと、ここで言葉を重ねる機会とさせていただきます。

 

そしてここまで見て下さる方に外面だけの感謝ではなく、感謝を伝えたいです。

リアクションなどの反応が目となり、自分をしっかりもたなきゃなっていう勇気をいただいてます。だから本当にありがとうございます。