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その張りぼて本当に必要ですか?

2024-11-25 09:15:08 | 日記

「とにかく懸垂できていなきゃいけない。」

「腹筋がまともに上がらなさそうだから、反動でもつかってやらなきゃ。」

昨日筋トレをしていてふと感じた焦りを言葉にしたものです。

 

私はこの言葉に非常に違和感を覚えます。

 

なぜならそれって「裏の目標」があり、誰かに見られているからかっこ悪いと思われたくないという思い込みがあるんじゃないかと思います。

つまりかっこいいと「思われる」が先決になってしまうと、形だけのかっこいいを求めるようになるのではないかと思います。

外側の形だけの張りぼてを立てようとしているんです。

 

テストの点数を取るために社会の単語だけ暗記して点数は並み以上に取るけど、中身を全く理解していないし、興味なんてほぼない。

困難に直面すると自分の力で解決するのはリスクをとるのが嫌なので、困った顔を見せることで相手に行動させて責任を回避する。

本人に直接言うのはリスクあるので、陰で不平不満を漏らす。

これ恥ずかしながら全部過去の私です…。

 

要は外側ばかり固めて、根本的な力を養うことを避けているんだと思います。

そう生きてきた要因は、

「誰かと比較されて厳しい評価を受けるくらいなら側だけでもよく見せなきゃ。」

という人からの批判を避けたいという逃避的な欲求ですね。

 

でも冷静に考えてみて他人の批判を意識していると、要は人それぞれ無限に答えがあるので何かに向かう力が定まるわけないですよね。

自分が「やりきった!」

と違和感を感じることなくできたならそれでいいじゃないですか!

もちろん前提には自分の違和感を言葉にしておく思考習慣が必要だと思います。

 

正直私はまだまだ人生の違和感をぬぐい切れているとは到底言い切れないです。

ただこのブログで言葉をひとつひとつ丁寧に取り出して試行錯誤して文章を綴っていくと自分の中の軸が徐々に作られていると感じ始めてきています。

 

まだ一週間だって続けていませんが、なにかしら反応をいただけると、

「あ、見て下さっている方がいるんだ。なんか自分が言葉にすることを肯定されている気がする。

もっと自分の思考で自分だけの言葉で培いたい。」

そう思えてくるんです。

 

他人に何かをしてあげたい。

そんなことは自分に何かをしてあげて、満たされたコップからあふれ出たものを分け与えればいいのだと私は思います。

あえてはっきり言います。

 

「他人に何かを与えるべき人になれ?正直そんなこと糞くらえ。今の私に知ったことではないです。」

 

なぜなら、このぐらい突き放さないと、また私は他人の心を満たそうとするからです。

厳しい言葉を使えば、他人に媚びようとする。

外側の上っ面だけを作って、何も高められない。

そして何もない自分を薄々自覚して自信を失う。

 

ねえ?

でもそんな人生もう十分経験しただろ?

なあ?

もうそんな人生うんざりなんだろ?

 

もう張りぼてに隠れる人生なんて捨ててやる。

こんな張りぼてじゃ何も守れないじゃないか。

でもこうして今日言葉で自分を省みれた。

いいじゃないか地道に少しずつ変えていけば。

 

だから私はブログを書き続けます。誰にどう思われようと、ここで言葉を重ねる機会とさせていただきます。

 

そしてここまで見て下さる方に外面だけの感謝ではなく、感謝を伝えたいです。

リアクションなどの反応が目となり、自分をしっかりもたなきゃなっていう勇気をいただいてます。だから本当にありがとうございます。


殺人より政治より原体験を語ってよ!

2024-11-23 10:51:59 | 日記

「斎藤知事のやつどう思う?本当酷いよなあ。」

「北海道の江別のリンチ殺人。なんでそんなことするかなあ?」

 

私が大体父親と顔が合うと始まる会話のイメージです。

ほぼ毎回世の中の不満だったりを言っている気がします。

 

正直お願いだから今自分が前に進むために今夢中になってること語ってほしい。

…と私が全然言えた切りではないけど思うところもあります。

 

でもふと考えてみれば、実は私が原因になっているとこともあるのではないかと薄々感じているところもあります。

 

実は今年で28歳で実家暮らし。

一般的に見てかなりやばい状況なんだと思います。

 

その結果本当は口にしたくない不満を政治にぶつけているのでは?

度々

「お前は俺の息子なんだから、出来が悪いのは当たり前なんだから。仕方ないんだ。」

「お前は政治に興味関心ないから、そんなことも知らないんだよ。」

そんな不満を漏らします。

 

ぶっちゃけもう言われなれたので

(あ~、ハイハイ)

って流してしまいますが、

「はやく自立して稼げる男になってくれ。」って言っているのだと思います。

というか、時たま言われます。

 

うるさああああああああい!!!!!

って言いたいところですが、

 

本当にしたいことは反発ではないと思います。

実は不平不満は私が親の意向とは違う会社に入ったときから言われ続けています。

今まで文句言われて。勝手に決めつけんな。って思っているけど、

「なんでそういうこというの?」って純粋に聞いてみたためしがないんですよね。

 

そして文句言いたいだけだろって勝手に決めつけてるのは自分なんじゃないかと思います。

 

対話です。

外部を語るより、その人が何を言いたいかの対話です。

ずっと目を反らし続けてきました。

政治のことなんてどうでもいい。

殺人事件のことなんかどうでもいい。

 

話してくれたことに感謝して、なぜそう思うのかを聞きたい。

でも正直長い会話になると思っちゃうから半分は面倒くさいという気持ち。ちくしょう!

父親の過去を話させるところまで。

父の原体験を語ってほしい。

そこに価値があるんだと思います。


「嫌」だと思うなら。

2024-11-22 19:24:31 | 日記

「藤原(私)さん、中途半端にして終わっている仕事結構あるんだけど、自分で気づいてない?」

 

今日上司に投げられた言葉です。

 

私「…え?」

 

「ごめんね。そうだよね。自分で気づいてたら改善できてるよね。自分で気づいてないからそうなんだよね。」

 

私「…。(え?)」

 

シンプルにショックでした。

昼飯の味を感じたいと思える余裕がないほどには。

 

でもふと思い返してみたんです。仕事中やるべきことを忘れているタイミングはないか?

薄々感じていたことがあります。

それは目の前の仕事が違う仕事に切り替わるときです。

私は今市役所の臨時職員でマイナンバー関係の手続きを行う業務を行っております。

その際に郵便物の整理や記録物などをまとめておく時などにどうしてもお客さんが来ることがほとんどです。

マイナ保険証に切り替えなきゃと思うお客さんもかなり多くなってきていますからね。

 

しかし、私の根本の原因は別にあると思います。

誰かが来たら自分の今やっている仕事を少しまとめるということもせずに真っ先にお客さんのところへ行ってしまっているというところです。

 

なぜなのでしょう?

それはお客さん第一という固定観念があるからだと思います。

仕事をするうえでそれは間違いのないことなのだとは思います。

しかし、私の場合極端に

「今の状況なんて関係ない!お客さんのところへとにかく向かえ!」

みたいに自身を脅迫しているみたいになっていると思います。

 

ではなぜそんな強迫観念に迫られているか?

考えてみると、過去に数秒でもお客様のところへ向かわないと怒鳴られる環境で働いていたからだと思います。

 

過去の環境のせいにしても何も変わらないのですけど、

事実として私の中では、

「怒られないためにお客様の元へ向かわなきゃ。」

そうなってしまっているのだと思います。

 

でもそれは違います。

 

そんな態度では他人に迷惑…

とかは正直さして重要な話ではなく、自分にとって「嫌」なことです。

 

なぜなら相手にやらされ仕事として態度が伝わってしまうとき、相手の方が心を通わせて会話をしてくれなくなります。

 

そんなのは絶対「嫌」ですよ。

 

どんなことであれ相手が自分の意思を持って会話してくださっていること、自分との会話に価値を持ってくださっていること。

そんな可能性が上がるに越したことはないじゃないですか!

 

だから私は相手が何を目的に来ているかを考えて、それに合った提案をしたい。

そのために事務的な仕事もその目的を考えれば、自ずとどうすれば目的を達成すべきか考えるはずです。

絶対忘れないようにパッとまとめて他のお客さんの対応に切り替えられるかなど。

 

例えば今やるべきことをメモしてその書類と一緒にまとめておく。

あるいは人にお願いしてみる。

方法はいくらでもあると思います。

 

今のその仕事の先の人のことを考えるのです。

その人がどんな目的を持っているか想像するのです。

 

なので私の当面の課題は相手の目的をひたすら考える。

わからなければ聞く。

 

今やっているものが身近な人の役に立っている。そんなことを明確にイメージするところから始めてみようと思います。


現実は逃避できない。

2024-11-21 20:47:37 | 日記

「さて、今日もYouTubeで自己啓発動画でも見て学んで自分を奮い立たせるか…」

 

YouTubeを開いて数分後…

 

『斎藤元彦同級生 齊藤だけは僕をイジメなかった』

『Twitterで450万再生された伝説の動画』

『立ち入り禁止に納得できない様子の猫』

 

上記が自分の再生履歴に入っていました。

 

…え?こわ…なんでこんな自分に関係のない動画ばかり再生しているんだ…?

 

現実逃避っていうのが一般的な見方だと思いますが、じゃあなぜ現実を逃避するのでしょう?

それは今の自分の現実を直視せず、あえて自分の今に関係ないところに目を向けたいのだと思います。

「そこになら自分の向いている可能性を見つけられるかも」と自分に言い聞かせるため。

行動するリスクもなくて一石二鳥。とか心のどこかで私は思っているのだと思います。

「自分は未来のために何もしてないわけじゃない」と暗に言い聞かせているように見えますね。

 

いや、ださ。かっこわる。

 

しかしそもそも現実は逃避なんてできず、現実は切り離せないものであるのは事実。

現実放棄と言った方が正しい表現のような気もします。

 

思考を放棄しても現実は切り離せない。

いくら画面越しの知らないような世界を眺めても、それをスマホの光で再現しただけのものでしかないという現実からは逃れられません。

そう最初から現実に逃げ場なんてないんだと思います。

 

だとしたら現実を直視しないどこか被害者ぶっている自分がいるのが現実ですね。

「現実なんて理不尽で自分の力ではどうにもならない。」

ふざけんな。

「そもそも自分には力なんてないから期待するだけ無駄。」

勝手に決めんな。

 

現実は自分の行動を邪魔してくる鬱陶しい枷とするか。

自分の手で少しずつでも変えられる材料とするか。

それは現実を直視してその法則を少しずつでも言葉にすることにかかっているのではないでしょうか?

現実を見て、現実をより鮮明に表せる言葉づかいをしたブログを書いていきます。

そして自分の方向性をどんどん言葉にして迷いを減らしていきます。


私が努力ができない理由と「裏の目標」と「固定観念」

2024-11-21 00:49:32 | 日記

私の悪い癖は外出先や仕事から帰って、自分を磨く努力をしたいと思いつつも休んでしまう。

何故なのでしょうか?

 

「あー、今日ミスしちゃったなあ…。まあ、ゆっくり休んで気持ち切り替えよう~…」

…いや、いやいやいや!

冷静に考えてそれってなにも解決してないじゃないですか!

それではただただ時間で忘れてしまっただけで、なんでミスをしてしまったかを考えられてないですよね?

休んでいるつもりが、むしろそういった不安を心の奥底で増幅させる行為になっている気がします。

 

何故そんなことをしてしまうのか?

実は最近自己啓発系の動画で学んだことがあり、人は行動したくても行動できないのではなく、変わらないために行動しないといった理由があると聞きました。

具体的にそれは「裏の目標」と「固定観念」から生み出されているものだとされています。

 

考えてみた結果私が、行動すべきだと頭では考えていても休んだりする理由は、

「行動しなくても自分はいざとなればできると非凡な存在なんだと示したい。」という裏の目標があるからだと思います。

そう考えると固定観念として「努力することは自分を凡人と認めること。」となる…気がします。

 

なぜそう思うのかと言うと、

実はそれを裏付ける学生時代のエピソードがあります。

当時私はあまり勉強しなくてもそこそこテストで点数を取れていて、

「勉強してなくてもなんでそんなに点数取れるの?天才じゃん!」

って何度か褒められた記憶が強くあり、努力しないことが自分の「井の中の」天才の証と勘違いしていました。

 

自分では努力することは大切なことと気づいていたつもりでしたが、自分の中でおそらくもっと大切にしていた、

いや、執着していたのが、このいわゆる「努力なしの天才の証明」なんだと思います…。

 

我ながら恐ろしい固定観念で、大分拗らせていますね…。

 

なのでまずはその固定観念を捨てること、わからないことはわかるまでやる。

「努力の天才の証明」に乗り換えていく。

そしてせっかくなのでこのブログを利用して今日みたいに今向かっている方向性を明確な言葉にしていき、

目指すべき方向を軌道修正しながら進んでいければと思います。