私が住む地域を走る西武多摩湖線はワンマン運転を実施して久しいです。まぁ、始発から終点まで僅か10分程度ですし、乗降客数も知れているのでワンマン運転も理に適っていると思うのですが、それが大都市の中心部を走る鉄道となると些か不安が残ります。【共同通信報道】京浜東北線のワンマン運転検討 新型車両で人員不足補うhttps://t.co/rm31pHspVj
— ライブドアニュース (@livedoornews) June 27, 2020
JR東日本は、埼玉県と神奈川県を結ぶ京浜東北線で、車掌が乗務しないワンマン運転を始める方向で検討を始めた。
そもそも大多数の駅の乗降客数が半端ないものです。況してや過密ダイヤで次々と電車が来るとはいえ、その際のドアを締めるタイミングと見極めをコンピューターが完全に行えるのか疑問なんです。
確かにコンピューターの性能は日々進化していますが、どれだけ性能が向上しようがアナログな人間の咄嗟の判断や行動を完璧に読み取ることは不可能だと思うのです。人間が作り出すものに100%なんて端から有り得ないんですから。
他方で、これが実現した場合、企業は間違いなく人員削減を実施してきます。表向きは人員不足を掲げているものの、減らせるものなら減らしたいのが本音ですから時期を見計らって実施すると思うのです。
然し乍ら、それをやってしまった場合、いざ大規模な事故が起きた際の復旧が迅速に行えなくなる可能性が出てきます。やはり人間が携わるものだけに完全に無人化はできない訳ですから最低限の人員は確保しておかなければならないのですが、その人員の経験値を十分に培えるのか疑問なんです。
おそらくワンマン運転を実現させる為のコンピューターのプログラミングは正社員ではなく派遣の人間にさせるでしょう。昨今の背景を考えれば、それは中抜きされて出涸らし状態な金額で責任だけを負わされる訳です。
日々の安全を守る為の保線にしても、人員削減が実施されれば上に媚びるのが上手い人間と素人同然な平社員(もしくは派遣社員)だけが残り、保線の安全性や安定性の担保が難しくなってきます。
例えば裁判官の生活は自身の糧によって判断を左右されない様に相当なものが基本的に出るそうですが、彼らが他人の人生及び生命を左右する立場であれば、交通網の開発や保線に携わる人間だって他人の人生と生命を左右する立場な筈なんです。ちょっとしたプログラミングの妙で、ちょっとした手際の悪さや知識・経験不足による作業のやり方によっては暴走させることが可能な立場なのに、彼らに対して満足すぎるだけの糧を出さないなんて話が本来あってはならない筈なんです。
日本の合理化は基本的に破滅型だと思うのです。つまり利便性だけを重視して、そこに携わっていた人たちの生活なんて無視するんです。当然、その立場に追い遣られた人たちは生活や人生を大きく変更せざるを得なくなり、それが上手く出来なかった人たちは最悪だと一家心中を余儀なくされてしまったのです。
確かに如何なる物事であっても切り替えざるを得ない時が来ますが、だからといって勝手な理屈でホイホイと替えてはならないものなんです。きちんと社会が切り替わることへの理解と其の立場に追い遣られた人たちへの十分な補填や保障を実現して初めて実現できることの筈なんです。
同じ国に住む国民である以上、基本は共存共栄でなければなりません。一方的な理由で同胞を追い遣ってはならないものなんです。ところが現実は追い遣るばかりを繰り返し、すっかり社会が疲弊してしまいました。だから現代では追い遣ることの反動が即出てしまうまでに至ってしまい、これ以上繰り返してしまったら国全体が破滅に向かってしまうまでになってしまったんです。
況してや今年は新型コロナウイルスの影響で社会が大きな変更を余儀なくされています。しかも対策が万全ではない上に秋以降の第二波の懸念もあります。そんな綱渡り状態の中で果たしてワンマン運転云々を喜んでいられるのか甚だ疑問です😩 。