斯く語りき

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捜索をする必要はありません。放置して来年の初夏の頃に遺体を収容するに留めるべきです

2019-10-29 23:45:00 | 社会部
ここで例えとして記すのも烏滸がましいですが、冒険家として名を馳せた故・植村直己氏は1984年の2月12日にマッキンリー山(現在の名称はデナリ)への単独登頂に成功したものの、その直後に消息を絶ち、結果として行方不明の儘に死亡したとされている現実から捉えれば、一介の我儘・身の程知らずの捜索なんてするべきではないと思います。

その後で国民栄誉賞まで授与された植村氏でさえ、日本が国として捜索隊を出していないのです。Wikipediaによれば明治大学の山岳部が捜索を行った様ですが、それが最大限の捜索だった訳です。

勿論、マッキンリー山ともなれば相当な経験と覚悟を要するだけに当時の日本では捜索隊を出すことができなかったと思いますし、生前の植村氏から遭難した際の覚悟が公表されていたと思います。否、覚悟をしてこそ冒険家であり、端から捜索隊が出られる用意があるのでは冒険とは言えないでしょう。

ここから考えれば、富士山とはいえ冬の山を舐めきった上での遭難に機材と人材を投入する必要があるでしょうか。年が明けて初夏くらいに遺体を収容するだけで十分でしょうに。

こんなことを書くと『命を粗末にする気か』と思う人もいるでしょうが、3つや4つの子供ならいざ知らず、立派に現地から配信ができるだけの知識を持ち合わせている年齢の人間が自らの意思で命を粗末にしていったのですから、そんな人間にまで国や自治体が公費を投入すること自体が狂っているでしょう。

そもそも、こんなことを報道するのも大いに問題でしょう。新たなる【浮かれた馬鹿な人間】にヒントを与えてはダメなんです😩