小松安弘コレクション
2023年2月4日〜3月19日、ふくやま美術館蔵の小松安弘コレクションが展示されていました。
太刀…銘正恒
附…金梨子地塗桐紋蒔絵糸巻太刀拵
平安時代(11〜12世紀)
国宝
古備前と呼ばれる刀工群を代表する正恒の傑作。正恒の作品は、銘の書体から見て少なくとも五様ほどあることが認められるが、本作のような銘の作では、中直刃の刃文を破綻なく焼きいた優品が多い。本作は腰反り高く踏ん張りの強い堂々とした太刀で、現存する正恒ではその姿が最も美しい。鍛えは小板目で地斑映りが立ち、刃文は小乱れに小互の目、小丁子がまじって沸がよくつき、やや太めの足、葉がしきりに入り、典型的な作風を示す。阿波徳島藩主蜂須賀家に伝来した。長尾家旧蔵品。
太刀…銘国清
鎌倉時代(13世紀)
重要文化財
国清は京の粟田口の刀工。この太刀は、身幅広めで、わずかに磨り上げているが腰反りがやや高く、鍛えは小板目つみ、地沸がよくついて細かな地景が入り、刃文は小乱れ、小丁子、小互の目が交じって足、葉入り、小沸がよくついて、金筋、砂流しがかかる。乱れの頭に小さな飛焼が目立つが、これは三条、五条など古い京物にも見られる特徴である。天和元年(1681)4月、出羽秋田3代藩主佐竹義処が、将軍綱吉へ帰国の挨拶をした際に賜ったもので、同家に明治時代まで伝わった。長尾家旧蔵品で、長尾家の蔵品票が貼られた箱とともに残る。
太刀…銘備前国住長船盛景
南北朝時代(14世紀)
重要文化財
盛景という刀工は、備前では長船派と大宮派に存在する。この太刀の銘は、兼光系とされてきた長船義景や、長光の弟子とされる近景の銘と、「景」の字の書風や、銘を切る鏨使いに逆鏨を入れるなど共通する点が多く、現在では長船派でも近景系であるとされる。年号を記した作品は、延文2年(1357)から康応2年(1390)に及び、その太刀は、身幅広く、大鋒となった造込みで、延文を頂点とする、もっとも長大、豪壮な姿の時期のものと見られ、盛景初代の作としてよいだろう。上野国館林の秋元家に伝来した。長尾家旧蔵品。
太刀…銘国宗
附…黒漆塗打刀拵
鎌倉時代(13世紀)
国宝
国宗は、京の粟田口国綱、備前助真とともに鎌倉に下向し、鎌倉鍛冶の礎を築いたと伝えられる刀工。本作は、6㎝ほど磨り上げられてはいるが、身幅広く、中鋒がやや延びた堂々とした姿をいまだ保っている。鍛えは板目がやや肌立ち、乱れ映りが立ち、刃文は大丁子に小丁子が交じるが、ふっくらと頭の丸い大丁子が目立つ。長尾家旧蔵品。
短刀…銘左/筑州住(号じゅらく(太閤左文字))
附…金襴包合口腰刀拵
南北朝時代(14世紀)
国宝
「江雪左文字」と同じく左文字による1口。短刀を得意とした左文字の作品のなかでも、姿と刃文のバランスがきわめて優れている。小板目に、こまかな地景が入って冴えた地鉄、また、のたれを主調とした焼刃が白く冴えていることなどが、左の特徴をよく示している。豊臣秀吉から徳川家康に送られ、秀忠の指料となったのち、遠州浜松藩主の井上家に伝わった。その後、昭和7年(1932年)の売立で長尾よねのもとにわたっており、長尾家所蔵当時の箱が今も残る。
短刀…銘国光(名物会津新藤五)
鎌倉時代(13世紀)
国宝
相州鍛冶の祖に位置付けられる新藤五国光の短刀。国光の中ではやや大振りで、鍛えは板目に地沸が厚くつき、太く長い地景が縦横に入って、いかにも地鉄が強い。また刃文は中直刃、砂流し、金筋が細かく全体に入る。銘の由来は会津を領していた蒲生氏郷が所持していたことによる。孫の忠郷まで蒲生家に伝わったのち、前田利常が求め、さらに元禄15年(1702)綱吉が前田綱紀邸に臨んだ際に綱吉に献上された。また鞘書から宝永4年(1707)、家宣の子家千代(早世)の御七夜に、綱吉から送られたことが知られる。
短刀…銘光包
鎌倉時代(13〜14世紀)
重要文化財
光包は、来派の国俊の弟子とも備前長船長光の弟子ともされる刀工で、在銘作は極めて少ない。この短刀は、研ぎによって重ねを減じているが、本来は重ねが厚く、鍛え、刃文ともに来国俊風の作風を示している。仙台伊達家に伝来したもので、享保3年(1718)4月15日、仙台5代藩主伊達吉村が、8代将軍吉宗へ帰国の挨拶をした際に拝領したもの。かつては、白鮫柄黒漆塗鞘に後藤宗乗作の金這龍目貫、乗真作の赤銅魚子地金這龍小柄のついた拵が付属していた。
太刀…銘 備州長船兼光/延文三年二月日
延文3年(1358)
重要文化財
兼光は長船派の景光の子で、始祖光忠から長光、景光、兼光とつづく正系の4代目にあたる。初期の作品は景光風の片落ち互の目や互の目に丁子を交えた刃文が目立つようになる。とくに晩年にあたる延文年間は、この太刀のような3尺におよぶ大太刀が流行するが、兼光の作では、ほとんどが大のたれであり、このような純粋な直刃は珍しい。上杉家伝来の1口で、同家の刀剣台帳の乾第三拾六号に該当する。
刀…無銘長義
南北朝時代(14世紀)
特別重要刀剣
長義は長船派の刀工。在銘の太刀は少なく、そのほとんどは大磨上無銘である。鍛えは兼光系よりも地鉄が強く、また刃文が大模様となって高低差があり、帽子も乱れ込んで突き上げて尖って返るなどの特徴がある。この刀も、大互の目と丁子を交えた刃文に、沸がよくついて典型的な作風を示す。備後福山藩の阿部家に伝来した。
脇指…朱銘貞宗/本阿(花押)(名物朱判貞宗)
附…変塗鞘合口腰刀拵
南北朝時代(14世紀)
重要文化財
貞宗は相州鎌倉の正宗の実子、養子、あるいは弟子と伝える説があって判然としないが、正宗の後継者であることは異論がない。貞宗の脇指の中ではかなり大きい1口で、身幅が広く、浅い反りがあり、南北朝時代の典型的な作風を示す。鍛えは板目肌、地沸厚くつき、太めで大模様の地景がしきりに入り、刃文はたれ調に互の目が交じって、物打ちの刃幅が広く刃中の変化に富み、砂流し、金筋が目立つ。本作は、徳川秀忠から前田利常が拝領したとされる。
太刀…銘吉房
附…黒漆塗打刀拵
鎌倉時代(13世紀)
国宝
吉房は備前福岡一文字派の刀工。生ぶ茎で、当初の豪壮な姿をよく残し、重花、大房、袋丁子が華やかに乱れて、刃文も破綻がなく、同銘中でも際立った出来映えを示している。徳川将軍家に伝来した1口で、鞘書に「厳有院様より被進延宝四年辰十二月十一日御官位之時文昭院様御指 銘有 備前吉房御陣刀 代金五拾枚 長弍尺四寸三分半」とあり、延宝4年(1676)、甲府の徳川綱豊(のちの6代将軍家宣)の元服に際し、4代将軍家綱が贈ったものであることが知れる。