春といえば職場での歓送迎会も多くなると思いますが、そんなときの小ネタを一つ紹介します。
さて、3月も終わりに近づきましたが、3月といえば雛祭りです。雛祭りには雛飾り。雛壇の最上段には♪お内裏様とお姫様 二人そろってすまし顔。2段目には三人官女、3段目に五人囃子があって、4段目に左大臣と右大臣が配置されます。左大臣は正面から見て右側に、右大臣は左側になります。左大臣が向かって右側に置かれるのは、見る人の立場と、人形にとっての立場が逆になっているからなのです。
ところで、平安時代以来の日本の官職では、左大臣のほうが右大臣より位が高かったのです。熟語でも「左右」というように左が先に来ます。これは、もともと漢字文明圏では、左のほうが右より優位にあるとみなしていたからだと考えられています。
さて、4月になれば新人ドライバーも多くデビューして来る季節です。日本では左側交通が交通規則として定められているのは、日本の常識なのですが、同じ漢字文明圏の中国、台湾、同じアジアの韓国、ベトナムでも道路交通は右側通行となっています。左側通行は日本と香港くらいなのです。
中華文明圏のベトナムが右側通行なのは、ベトナムがラオスとカンボジアとともにフランスの植民地(日本による占領時代を除いて、1887年から1954年まで)になっていたからです。いわゆる「仏領インドシナ三国」です。歴史で習いましたよね。
植民地政策では「文明」の名のもとに本国の制度がそっくりそのまま導入されていました。社会インフラや社会制度が本国の制度にならって導入され、その結果、植民地においては近代化イコール西欧化となりました。
中国が右側通行に統一されているのに香港が現在でも左側通行なのは、香港が「アヘン戦争(1840年)」以来、左側通行の英国の植民地だったからです。1997年の「香港返還」後も、「(建前の)一国二制度」のもとで香港の自治が50年間維持されることになったため、社会インフラに関しては返還前の制度がそのまま維持されているからです。
東南アジアのシンガポールやマレーシアも左側通行です。いずれも「英領マラヤ」として英国の統治下にあった地域だからです。植民地支配は18世紀から20世紀まで約2世紀に及んでいる。ブルネイもまた左側交通なのは、同じ理由からです。
しかし、インドネシアとマカオは、それぞれオランダとポルトガルの植民地だったにも関わらず、左側通行です。オランダとポルトガルは右側通行の国だが、かつては両国とも左側通行の国だったからです。
南アジアでは、インドとパキスタン、バングラデシュ、ネパール、ブータンそしてスリランカが左側通行です。これらの国々も英国のインド植民地だったからだです。ちなみに鉄道の軌道に関しては「分割統治策」の観点から統一させませんでした。
オーストラリアやニュージーランドも左側通行です。この2カ国は現在でもエリザベス2世女王を元首としており、英国から総督が派遣されています。国家元首と総督の地位は名目上のものですが、それでも制度上は立憲君主制なのです。この2カ国が左側通行であるのは自然なことです。
英国は左側通行ですが、欧州大陸は基本的に右側通行です。欧州大陸が右側通行になった理由は、18世紀初頭のナポレオン戦争以降のことになります。
ナポレオン率いるフランス国民軍に敗退し、その支配下に入った欧州大陸の諸国には、フランスが生み出したさまざまな諸制度が移転されます。その1つが右側通行です。ナポレオンは軍事上の必要性から右側通行を制度化し、道路標識なども導入していました。
当時は馬車の時代であり、フランスでは4頭立ての馬車の場合、馭者(ぎょしゃ)は先頭の2匹の馬のうち左側の馬にのって制御していました。このため道路の右側を走行する方が馭者にとっては安全だったのです(制御する馬が道路の中央近くにいることになるので)。それが19世紀の終わりから自動車時代が始まると、馬車にならって「右側通行で左ハンドル」という形に移行していったのです。
一方、英国では馭者は馬上ではなく、中央に位置する御者台に座って馬車を制御していました。利き腕の右手で右側の馬を制御する方が容易なので、左側通行が主流になったのだそうです。
このようにフランスが右側通行、英国が左側通行になった理由は、自動車以前の馬車の時代にあったのです。
しかし、英国と同じアングロサクソンでありながら米国が右側通行になったのは、米国は英国から戦争によって独立を勝ち取った国であり、英国と米国の関係は長期にわたって反目し合っていたからです。そもそも、米国に独立後に「自由の女神」を寄贈したのはフランスなのです。また、隣国のカナダが英国の自治領でありながら右側通行にシフトしたのは、米国と陸続きなためなのです。
日本は明治維新後に近代的軍隊の創設にあたって、日本陸軍は最初にフランス陸軍、その後はドイツ陸軍をモデルにしました。よって、当然のことながら最初から右側通行でした。
日本の道路が左側通行になったのは、1900年(明治33年)の「警視庁令」(道路取締規則)によって変更されました。「特別な理由や研究に基づいたものではない。なんとなく左側通行がよいと考えた」からだと、後の警視総監になった松井茂さんが語っていたそうです。また、陸軍ではすでに右側通行がすでに実施されていたため、警察としては右側通行を主張する当時の内大臣の西郷従道さん(西郷隆盛さんの実弟で日本陸海軍建設の功労者)を説得する必要が生じ、その任に当たった松井さんと西郷さんの間で、松井さんが「(左側通行には)別に理由はありません。ただこれだけですよ」といって左の腰から刀を抜くまねをしたら、「うむそうか、よかろう」といって西郷さんは承知したのだそうです。武士が左腰に刀を差していたから、ということらしいのです。もしかすると、世の中の大事な決定というものは、案外こんな理由で決まってしまうのかもしれません。
つまり、日本の道路が左側通行になったのは英国の影響ではないのです。左側通行ということで、なんとなく同じ島国である英国に親近感を感じると思いますが、単なる偶然の一致に過ぎないというのが真相らしいのです。
とはいっても世界の大勢は右側通行です。国連加盟の主権国家193カ国のうち、現在でも左側通行の国は55国です。左側通行が少数派になっていることがよく分かります。
赤が右側通行、青が左側通行(出所:Wikipedia)