「ラブユー東京」は、1966年4月1日に発売された黒沢明とロス・プリモスの代表的なシングル曲です。実は、オリコンシングルチャートが正式に発表されるようになった1968年1月4日付で1位を獲得し、記念すべき1曲目の1位獲得曲となっています。
初回出荷はわずか1000枚に留まったものの、発売から半年後に東京ではない「夜のお店」で「ラブユー東京」が話題になり、また、深夜ラジオで連夜「ラブユー東京」を流れたことから、次第に知名度が上がっていきました。累計売上は通算250万枚に達するとされています。
さて、「東京アラート」なるものが解除されてから、東京都内の感染者数が増えています。ほぼ連続して50人以上が確認されており、東京アラート発令期間中よりも、明らかに増加傾向にあります。東京アラート発令には、いくつかの基準があり、いくつか上回っていましたが、6月30日に新しいモニタリング指標の変更を打ち出して、東京アラートの今後の発令はないとしました。
代わりに、医療体制のと状況把握を重視して、週1回の専門家会議を開催するとしながらも、休業要請や警戒を発する具体的な指数の基準を明確にしませんでした。まったく、曖昧な対策ではあります。今となってみれば、東京アラートは「朝令暮改(朝に命令を出して夕方それを変えること。法令が出てもすぐあとから改められて、あてにならないこと)」そのものを地で行くようなものだったと思います。
そもそも、東京アラートは何かを制限したり、自粛を要請したりする機能はありませんでした。ただ、感染者増加による警戒を呼びかけるだけのものであり、そのシンボルとして、「東京都庁」と「レインボーブリッジ」がライトアップされて赤く染まっただけです。ただ、それをやりたかっただけなのかも知れません。
♬七色の虹が 消えてしまったの
シャボン玉のような あたしの涙
よくよく、ニュースを見直してみますと、大阪府では「大阪モデル」という、自粛要請の解除や再要請を判断する際の独自の指標基準を設定していました。これに合わせて、「赤色(警戒レベル)」「黄色(注意喚起レベル)」「緑色(基準内)」の3色で表し、5月11日から、大阪城、太陽の塔と通天閣をその色でライトアップしています。その後に、東京都が「ロードマップ」「東京アラート」と言い始めました。
アラートという言葉も、米国ニューヨーク州に「ニューヨーク・アラート」というものがあり、欧米で感染拡大していく中で、3月上旬に「ロックダウン」を始めると、東京都は3月23日に「ロックダウン」という言葉を使い始めました。
4月後半から5月大型連休にかけては、「ステイホーム週間」と言っていましたが、「Stay Home」はニューヨーク州のクオモ知事が連日の会見で呼びかけていた言葉であり、「Stay at Home」は英国のジョンソン首相が繰り返し発言していました。
また、「都民ファースト」というのが以前ありましたが、これも米国トランプ大統領が前回の選挙戦で「アメリカ・ファースト」と叫んでいたことからとったものでしょう。
何にしても、いろいろと振り回され、影響を被ったりするのは東京都民の方々だと思いますが、今回の都知事選で再選となったこともありますので、愛される東京を作って欲しいと思います。
♬ラブユー ラブユー 涙の東京
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