1992年に公開された映画です。
ニューヨーク・ヤンキースの強打者だったジャック・エリオットはワールドシリーズでMVPを獲得したこともある選手でしたが、成績不振、不祥事、チーム内の競争に敗れて、日本の中日ドラゴンズにやってきます。
大物外国人選手としてのプライドが高いこともあり、内山監督らと衝突を繰り返します。しかし、徐々に周りの人たちによってチームに馴染み、理解して行くようになります。
その後は打率3割を超える活躍を見せますが、ヤンキースへ戻って欲しいとオファーを受けますが、シーズン終了後までドラゴンズでプレーを選択します。
シーズン最終戦。内山監督の現役時代の七試合連続ホームランの記録更新がかかります。しかし、相手ピッチャーは全打席敬遠して来ます。
九回裏1アウト満塁の打席を迎え、ここで出されたサインは「打て」。打席に向かうジャック・・・
この映画でドラゴンズの監督を演じていたのが、先日亡くなられた高倉健さんです。
当時のドラゴンズは星野仙一さんが監督でした。高倉健さんも星野さんと同じ明治大学出身。そして、役柄も熱血漢。
でも、野球のことはまったく知らなかったそうです。
年代的に高倉健さんの出演映画は題名は知ってはいますが、実際に観たことはありません(ごめんなさい)。
その昔。高倉健さんの自宅が火事になったとき、椎根和さんと横尾忠則さん二人で現場に駆けつけたそうです。その時の様子を椎根和さんは次のように語っています。
「横尾さんはすぐ、タクシーを拾い、高倉邸にかけつけた。ぼくも素早く同乗した。(中略)野次馬を阻止する非常線も、横尾さんの新種の映画スターのようなルックスとファッションの威力でなんなく突破した。健サンは、門のあたりにいた。妻の江利チエミの姿はなかった。横尾さんが健サンに近づいていった。すると健サンはくるりと振り返り、『アッ、横尾さん、おいそがしいのに、こんな所にワザワザ来ていただいて恐縮です。さあ、お茶でも……』といいながら、自ら魔法瓶のコーヒーをマグカップに注ぎ、横尾さんに手渡した」
笑ってはいけない場面ではありますが、自宅が火事だというのに、それを眺めながら高倉健さんと新種の映画スターのようなルックスとファッションの横尾忠則さんが並んでコーヒーを飲んでいたというエピソードは凄いです。
また、真冬の福井へロケに行った時の事。この日は高倉健さんは休みの日だったが、ロケ現場へ激励に現れたそうです。
その時、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉健さんは焚火にあたろうとしなかったそうです。
スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えたそうです。このため、誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったそうです。
やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができたという。
高倉健さんはスクリーンの中のまま、普段もそのまま高倉健さんでです。
不器用、律義で義理堅い、感激屋・・・
私が言うまでもなく、日本の映画史に残る名優・高倉健さん。
人生の深みを感じさせる名言が数多くあります。ご紹介させていただきたいと思います。
「人が心に想うことは、誰も止めることはできない」
「人生ってそれ(出会い)だけって気がします。泣いたり、笑ったり、憤ったり、感動したり…」
「拍手されるより拍手する方が、ずっと心が豊かになる」
「人間にとっていちばん寂しいのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないこと。感動をしなくなったら、人間おしまいだと思うんですね。こんな淋しいことはないと思います」
「人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ」
「いい風に吹かれたいですよ。きつい風ばかりに吹かれていると、人に優しくなれないんです。待っていてもいい風は吹いてきません。旅をしないと…」
「人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか」
「本当に嬉しい、もしくは悲しいと感じたとき、人は『嬉しい』とか『悲しい』なんて言葉を口にするでしょうか。僕はしないと思う。声も出ないんじゃないか・・・」
機会があれば、一度、高倉健さんの映画を観てみたいと考えています。
心よりお悔やみ申し上げます。
「何をやったかではなく、何のためにそれをやったかである。今それが大切に思えてきている」