東京都心で2023年3月14日に桜の開花宣言があってから迎えた最初の週末となった3月19日。桜の名所で知られる上野恩賜公園(台東区)では、まだ園内の桜は三分咲き程度にも関わらず家族連れや観光客らがレジャーシートを広げてお花見を楽しんでいたというニュースがありました。
そして、昨日(3月22日)には早くも満開となっているようです。
新型コロナウイルスに伴う制限が解除され、東京都がすべての都立公園でシートを広げて飲食を伴う「お花見宴会」の自粛を求めない方針を決めていて、4年ぶりに、お花見宴会が解禁されています。
昔の日本では桜の開花は農耕行事と関係があり、山桜(やまざくら)が咲くと種まきや田植えの準備を始めたため、「種まき桜」「田植え桜」などと呼ばれていました。
つまり、桜の時期は作物を育て始める時期でもあり、厄(やく)を払う意味合いから野や山へ出向いて花を愛でる「野あそび」「山遊び」の延長から神聖な木である桜を見て五穀豊穣を願ったと言われていることもあり、「厄払い」「神頼み」など宗教的な理由があったと言われています。
奈良時代に編さんされた「万葉集」、平安時代の「古今和歌集」には桜を詠んだ歌が多くあり、桜が古くから日本人に愛されていたことがわかります。現代の日本人の遺伝子にも引き継がれてきているのかも知れませんね。
いろいろありますが、桜といえばお花見。
花見は奈良時代の貴族の行事が起源とされ、当初は中国から伝来した梅を鑑賞しながら歌を詠んでいたそうです。
ちなみに、横山光輝さん「三国志」で劉備さん、関羽さん、張飛さんの3人が義兄弟の契りを交わした「桃園の誓い」は、文字どおり「桃」の花です。ただ、正史にその記載はないそうです。
そして、日本では平安時代以降になって桜をめでるようになりました。鎌倉・室町時代に入ると武士階級に花見の風習が広がり、安土桃山時代には豊臣秀吉さんが桜の名所として知られている「吉野山(奈良県)」「醍醐寺(京都府)」で盛大な花見を催したそうです。
一般的にお花見が楽しまれるようになったのは江戸時代。暴れん坊将軍・徳川吉宗さん(八代将軍)のときに、江戸の桜の名所といえば上野(台東区)の寛永寺でしたが、格式の高いお寺だったので庶民は思うようにお花見を楽しめなかったようです。
そこで吉宗さんは飛鳥山(北区)や御殿山(品川区)、隅田川の土手などに桜を植え、一般に開放したそうです。さすが「新さん」です。
これをきっかけに、桜の木の下で宴会を楽しむ現在のお花見スタイルが広まったと言われています(諸説ありますが)。
ということで、3月14日に開花宣言があった翌々日(3月16日)に・・・「そうだ、桜を観に行こう」・・・ということで・・・。
おぉっ、咲いている
(上野恩賜公園交番前)
咲いていない・・・。
(上野恩賜公園さくら通り)
では・・・
(寛永寺)
そりゃそうですよね。開花宣言した直後で、3月19日に三分咲きだったのですから。
でも、桜の季節に桜の名所へ行っただけでも私としては充分です。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
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