2003年6月26日 コンフェデレーションズカップ準決勝 カメルーン対コロンビア。
試合開始から72分過ぎ。センターサークル付近でプレーとは関係していない、センターサークル付近で突然ヒザから崩れ落ちた一人の選手。
カメルーン代表 MF マルク=ヴィヴィアン・フォエ (28)
懸命の救命措置にもかなわず、彼は45分後に再び立ち上がることなくこの世を去ってしまった。
2004年1月25日 ハンガリーリーグ ベンフィカ対ヴィトーリアSC。
試合終了間際に遅延行為によるイエローカードを受けた選手がいた。イエローカードを受けた直後、チームの得点に笑顔で喜んでいたが、突然前のめりに身を屈めた後に仰向けに倒れた選手がいた。
U-21ハンガリー代表 FM フェヘール・ミクローシュ (24)
すぐに心肺蘇生法が施された後、ピッチ内に到着した救急車によって病院へと搬送されましたが、同日深夜にピッチに戻れなかった。
2007年8月25日 スペイン2007-2008シーズン開幕戦セビージャFC対ヘタフェCF戦。
前半35分にピッチで突然意識を失うアクシデント。その後、意識を取り戻し、立ち上がって自分でロッカールームへ向かった選手がいた。
スペインU-21代表 MF アントニオ・プエルタ (22)
しかし、ロッカールームで再び倒れて病院へ。スペイン中が回復を願ったものの、3日後の8月28日14時過ぎに懸命の治療の甲斐なく22歳の若さで逝去。
2009年8月8日 遠征先のイタリアのフィレンツェのホテルにて、倒れていた選手。
スペインU-19代表 DF ダニエル・ハルケ (26)
急性心筋梗塞でした。翌年のワールドカップ南アフリカ大会の決勝戦で決勝ゴールを決めたスペイン代表のアンドレス・イニエスタがユニフォームを脱いでアンダーシャツの「DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS(ダニ・ハルケ 僕達はいつも共にある)」という手書きのメッセージを見せた話は有名。
2011年8月2日 9時30分ころ。
練習中に突然倒れ、心肺停止の状態で信州大学医学部附属病院高度救命センターに緊急搬送された。途中心拍が微弱ながら戻ったが、8月4日13時6分に二度と意識を取り戻すことはありませんでした。
元日本代表 DF 松田直樹 (34)
2012年1月22日に松田直樹メモリアル」により松田直樹メモリアルゲームが日産スタジアムで開催され、4万人を超える観客と多くのサッカー関係者が国内外から集まった。
冒頭のフォエ選手については、つい先日、私が普通救命講習会で視たDVDでの1つの話でした。
それは命の大切さを教えるとともに、私たちが救急救命措置で使用できるAED(自動体外式除細動器=Automated External Defibrillator)の重要さを教えるものでした。
これらの場所にAEDがあれば助かった選手もいたかも知れません。
別にサッカー界だけのことではありません。
いつ、どこで必要となるか判りません。誰かのために・・・そのために、3年に一度この講習を受講しています。
2012年3月17日 イングランド・FA(サッカー協会)カップ準々決勝 ボルトン対トッテナム戦。
前半終了間際に突如倒れ病院へと搬送されたボルトンの元U-21イングランド代表MFファブリス・ムアンバ(23)。
彼は今、ピッチの上ではない場所で戦っています。
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まっくろくろすけ

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