一年のスタートの日です。
今年は、昨年のクリスマスに引き続き、back numberの「瞬き」を聞きながら、あるご夫婦の話を読んでください。
何の為に生きていくのか
答えなんて無くていいよ
会いたい人と必要なものを少し守れたら
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意識の戻らない恋人を、あなたは何年待てますかー
2カ月後には花嫁になるはずでした。しかし、主役になるはずだった彼女は突然の病に襲われ、数年間意識がはっきりしない状態となってしまった。
生死をさまようこともありましたが、婚約者の男性は彼女の快復を信じて待ちました。そして、奇跡は起きました。
彼女は目を覚まし、2人は8年越しの結婚式を挙げることができました。半年後には子どもも産まれ、家族としての暮らしが始まりました。
夫婦は、岡山県の中原尚志さんと麻衣さん。2014年12月、2人は岡山市内の結婚式場で結婚式を挙げました。
ウェディングドレス姿の麻衣さんは車いすから立ち上がり、両親に支えられながらゆっくりとバージンロードを歩きました。その先で、尚志さんが優しく麻衣さんを見つめています。
「これからよ、あんた」
控室でウェディングベールをかけながら、麻衣さんのお母さんが涙ぐんでいます。麻衣さんも涙ぐんでいます。麻衣さんと尚志さんだけではありません。2人の家族や親族らはこの日、喜びの涙をいっぱい流しました。それはこの結婚式がとりわけ特別なものだからです。
この8年前。2人は結婚するはずでした。2007年3月11日です。ですが、2006年の暮れに突然の悲劇が2人を襲いました。麻衣さんが突如、原因不明の病気で倒れたのです。
麻衣さんは直近の記憶がなくなり、真夜中に意味不明の奇声を上げるようになりました。
脳外科を受診したが、原因はわかりませんでした。精神科病院に入院し、一時は心肺停止の状態にもなりました。岡山大病院に移っても昏睡状態が続き、激しくけいれんしたり、暴れたりもしました。
「意識が回復する見込みは少ない」
そう医師から診断されたこともありました。
挙式するはずだった日は無情にも過ぎていきます。そして4月になって、ようやく原因がわかりました。
「抗NMDA受容体脳炎」
卵巣などに腫瘍ができたために、細菌やウイルスから身を守るはずの抗体が間違って自分の脳を攻撃しまう病気でした。それによって幻覚を見たり、呼吸が弱くなったり、その後は無反応の状態などが続くという病気で、発症率は100万人に0.33人と言われています。
5月に腫瘍を摘出する手術を受けましたが、劇的に状況が好転するわけではありません。それでも尚志さんは信じ、麻衣さんのもとに通い続けました。
ようやく快復の兆しが現れたのは2007年の秋。麻衣さんの目が開くようになり、口を動かす時間が増えました。
「あなたの人生もあるのだから」
待ち続ける尚志さんの姿を見かねて、麻衣さんのお母さんは思わずそう言ったこともあります。でも、尚志さんの気持ちは揺るぎませんでした。
「麻衣は絶対に目を覚ます。そしたら結婚するんだ」
尚志さんの思いが通じたのか、麻衣さんの状態は少しずつ良くなっていきました。2008年2月には人工呼吸器が取れ、3月11日には初めて屋外を車いすで散歩しました。ちょうど1年前のこの日、結婚式を挙げるはずだった日でした。6月には物を視線で追うことができるようになり、8月にはけいれんも減りました。指でグー、チョキ、パーもでき、意識レベルの向上が顕著になっていきました。
その後、3年ほどかけて、自分の名前を漢字で書いたり、感情を出せるようになったりしました。
2011年春にようやく退院。自宅で過ごすようになりました。家族を認識できるようになりました。でも、どうしても尚志さんのことは思い出せないままでした。
「病室や自宅によく来て話しかけてくれるけど、誰?何でいつもそばにおるん?」
麻衣さんは当時、そう思っていたそうです。
尚志さんのことを思い出すきっかけとなったのは、自分がかつて使っていた手帳でした。2007年3月11日の欄に、「結婚式」と書かれていたのを見つけたのです。
「私、結婚しとったっけ?」
手帳にはほかにも、尚志さんとのツーショットのプリクラが貼ってあったり、デートの予定も書き込まれていました。すると次第に記憶がよみがえり、交際相手だったと思い出しました。
2014年6月。2人は挙式するはずだった式場に連絡します。式場担当者も顧客ファイルを整理する中で2人のことを知り、気になっていました。結婚式の当日、式場側が2人の様子などを動画撮影し、2人の許可を得て「8年越しの結婚式」としてYouTubeに投稿しました。
麻衣さんと尚志さんにはもう一つ、奇跡が起きていました。卵巣に関連した病気だっただけに、2人は「子どもは難しいかも」と思った時期もあったという。すると、挙式から半年後の2015年6月に長男が誕生。「愛される」の「あい」と「和む」にちなんで、「碧和(あいと)」と名付けました。
2人の出来事は感動的な物語としてとらえられがちですが、麻衣さんはそう思っていません。
「結婚してからすぐに碧和が生まれただけに、私たちの人生はやっぱり碧和の存在が一番大きい」
結婚式のとき、お母さんから言われたように、困難な出来事を乗り越え、むしろそこからが家族の物語が始まった、という思いだそうです。
尚志さんは、こう話しています。
「人から『長い間、よく(麻衣さんのことを)待つことが出来ましたね』って言われるんですが、そんな格好いい話じゃないんです。僕が待てたのは、やっぱり周りの人の支えがあったからなんです。何と言っても家族、麻衣のご両親とうちの両親には感謝しています」
3人は現在、麻衣さんの両親と同居しています。麻衣さんのお父さんとお母さんは、こう話しています。
「私は前向きな性格なんです。麻衣が大変だったときも『今日より明日、明日より明後日はいいことがある』と思っていました。後ろ向きなことは絶対に思わなかった」
「麻衣が寝たきりだったころは、もし麻衣が亡くなったら私もついていこうと思ってました。だって、意識がまだぼんやりしていて、知能は2歳児ぐらいでしょ。『三途の川』もちゃんと渡れないじゃない。でも今は違う。もう行くなら勝手に行ってちょうだいってね」
「こういう明るいご両親に何度救われたことか」
と尚志さんも笑います。
麻衣さんと尚志さんにとって、家族とはどういうものなのだろう。
「私にとっては碧和をどう育てていくかということが大きいかな。病気のせいで尚志と2人だけの家族の時間は短かったけど、碧和が生まれて3人家族になった喜びの方が大きい」
と麻衣さん。
一方、尚志さんはこう答えます。
「家族は運命共同体だと思う。いいときも悪いときも、自分のことのように受け止められる存在」
『8年越しの花嫁 奇跡の実話』
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2018年。
みなさまにとって、喜びのある幸せな家族で過ごせる良い一年でありますように。