老子は中国、春秋戦国時代の楚の思想家。道家の開祖とされる人物。生没年不詳。
その著述と伝えられる書物も「老子」と呼ばれています。
老子に関する最古の伝記資料である「史記」老子列伝によれば、姓は李、名は耳、字は(たん)といい、楚の苦県(こけん)(現在の河南省鹿邑県)の人です。
かつて周の王室図書館の役人となり、儒家の祖孔子の訪問を受けて礼を問われたこともありますが、周室の衰運を見定めると西方へと旅立ち、途中、関を通った際に関守の尹喜(いんき)の求めに応じて「道徳」に関する書上下二編を書き残して、立ち去ったそうです。
さて、新チームとなって、ちょうど一ヶ月になります。
その新チームに向けて、私が最初にみんなに話をさせていただいた内容を綴ります。
「千里の道も一歩から」は有名な言葉です。千里もある遠い道のりであっても、まず踏み出した第一歩から始まるという意味です。
この言葉が書かれている「老子」の言葉には、この「千里之行、始于足下」の前後にも興味深い良い言葉があります。それが、最初の言葉になります。本当はもっと長いのですけどね。
その前後にある言葉とは、次の言葉です。
「合抱之木、生於毫末、
九層之臺、起於累土、
千里之行、始於足下。
爲者敗之、執者失之。」
《老子》第六十四章
「合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)より生じ、
九層の台も累土(るいど)より起こり、
千里の行も足下(そっか)より始まる。
為す者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。」
つまり、
「一抱えもある大木も、毛先ほどの芽から生まれ、
大きな建物も、土台を盛る事から始め、
千里の道も、一歩から始まる。
そうした基本を忘れて、何かをしようとすれば台無しになり、
何かに執着すれば、かえって失う事になる。」
と言うものです。
初めから大木には育っていません。大きな建物も出来ません。千里先に辿り着いている訳ではありません。
つまり、初めから強く、大きいものはありません。
要するに、今の自分は関係ないのです。その行きつく先なのです。そこに何を待たせているかです。
ただし、すべての木が大木に育つわけではありません。すべての建物が大きな建物になるのではありません。ましてや時間内に千里先に辿り着けるかは判りません。
大木に育った毛先ほどの芽は、大きく育つまでに「何か」をしたのです。
大きな建物を作るために、それに耐えるだけの基礎を作るために「何か」をします。
そして、勇気を出して一歩目を踏み出さない限り、千里先へは辿り着かないのです。
まだまだ、ひ弱な新チームではありますが、先輩たちを超えるために、その「何か」を見つけ出し、「何か」を自分のものにするために、一人ひとりが「チームの基礎」をしっかりと作り、新たな一歩目を一緒に踏み出していきましょう。
という内容です。
この一ヶ月間、みんなは「何を」してきたのでしょうか。
どのくらい育ってきたのでしょうか。
今週末から始まる全国への道の一つ、全日本春季予選でその成長を確かめます。