午前0時前、都営地下鉄に続き普段利用している私鉄も動き出したとの情報をテレビで確認。
「帰ろう」と決意し、会社を出ました。
こういうとき東京はJR以外にも移動手段があるのでありがたいです。
いつもより遠い駅になりますが、がんばって歩きました。
地下鉄の駅に着くと
「都営地下鉄は運行に全力を尽くしてまいりましたが、残念ながら電力の供給が限界となり、次が最終電車です」
とのアナウンスが。
こんな状況なのにその言い方がなんだかとってもユーモラスで、ホームでイライラと待っていた人たちも笑っています。
10分ほど待つとまたアナウンスがありました。
「何とか電力の確保ができました。都営地下鉄は1時間に1本ではありますが、終夜運転いたしますっ!」
思わず拍手しそうになりました。
やがて、すでに人を満載した地下鉄がやってきました。
次の駅が終点ですが、そこから別の路線に乗継が出来ます。
みんな必死に電車に乗り込もうとします。
通勤ラッシュとしてはまぁまぁ通常の光景ですが、通勤電車に乗り馴れていない人も多いようで
「いたーい」「おさないでー」
という悲鳴が聞こえてきます。
地下鉄は徐行運転となっていました。
10分ほど乗って、またすぐに乗り換えです。
ホームドアが壊れるのではないかと思うほど、ホームは人で溢れていました。
「次の電車が最終となります」
というアナウンスに、誰もが殺気立っています。
やがて電車が着きましたが、私は後ろから押されるのに身を任せていたらいつの間にか乗れていました。
しかし、中には降りる人もいます。
「降りる方は声を掛け合って譲り合って協力してくださーい」
と何度も車内アナウンスが流れます。
駅に着くたびこのパターンが繰り返され、だんだんと車内も空いてきました。
私が普段降りる駅の1つ前で終点となりました。
そこでまた乗り換えです。
運よく、すぐに次の電車が到着しました。
その頃にはようやく携帯が繋がるようになっていたので、ダンナに「帰る」と連絡をしました。
家に着いたのは午前1時40分。
会社を出てから1時間半ですから、まずまずのタイムで帰宅できたことになります。
会社に残っている人に連絡し、呑みに行っている部下にメールし、テレビを見て、結局寝たのは3時ごろでした。
ななちゃんはものすごい勢いで歓迎してくれました。
地震のときは何も感じていなかったらしいのですが、帰宅してからずっと私の傍を離れません。
膝の上から降りないし。
でもその重さを感じることの出来る幸せをかみしめています。
帰れてよかった。
仙台事務所で働いている人と連絡が取れません。
無事であることは会社の報告で確認できていますが、おそらく避難しているのでしょう。
メールにも返事がありません。
東北地方にも現場が多いので、気仙沼や名取の様子がテレビに映るたび気がかりです。
荒浜で大勢の方の遺体が見つかったとの速報を見たときにも心臓がドキッとして泣きそうになりました。
なんとか無事で元気でいてくれることを祈るのみです。
「帰ろう」と決意し、会社を出ました。
こういうとき東京はJR以外にも移動手段があるのでありがたいです。
いつもより遠い駅になりますが、がんばって歩きました。
地下鉄の駅に着くと
「都営地下鉄は運行に全力を尽くしてまいりましたが、残念ながら電力の供給が限界となり、次が最終電車です」
とのアナウンスが。
こんな状況なのにその言い方がなんだかとってもユーモラスで、ホームでイライラと待っていた人たちも笑っています。
10分ほど待つとまたアナウンスがありました。
「何とか電力の確保ができました。都営地下鉄は1時間に1本ではありますが、終夜運転いたしますっ!」
思わず拍手しそうになりました。
やがて、すでに人を満載した地下鉄がやってきました。
次の駅が終点ですが、そこから別の路線に乗継が出来ます。
みんな必死に電車に乗り込もうとします。
通勤ラッシュとしてはまぁまぁ通常の光景ですが、通勤電車に乗り馴れていない人も多いようで
「いたーい」「おさないでー」
という悲鳴が聞こえてきます。
地下鉄は徐行運転となっていました。
10分ほど乗って、またすぐに乗り換えです。
ホームドアが壊れるのではないかと思うほど、ホームは人で溢れていました。
「次の電車が最終となります」
というアナウンスに、誰もが殺気立っています。
やがて電車が着きましたが、私は後ろから押されるのに身を任せていたらいつの間にか乗れていました。
しかし、中には降りる人もいます。
「降りる方は声を掛け合って譲り合って協力してくださーい」
と何度も車内アナウンスが流れます。
駅に着くたびこのパターンが繰り返され、だんだんと車内も空いてきました。
私が普段降りる駅の1つ前で終点となりました。
そこでまた乗り換えです。
運よく、すぐに次の電車が到着しました。
その頃にはようやく携帯が繋がるようになっていたので、ダンナに「帰る」と連絡をしました。
家に着いたのは午前1時40分。
会社を出てから1時間半ですから、まずまずのタイムで帰宅できたことになります。
会社に残っている人に連絡し、呑みに行っている部下にメールし、テレビを見て、結局寝たのは3時ごろでした。
ななちゃんはものすごい勢いで歓迎してくれました。
地震のときは何も感じていなかったらしいのですが、帰宅してからずっと私の傍を離れません。
膝の上から降りないし。
でもその重さを感じることの出来る幸せをかみしめています。
帰れてよかった。
仙台事務所で働いている人と連絡が取れません。
無事であることは会社の報告で確認できていますが、おそらく避難しているのでしょう。
メールにも返事がありません。
東北地方にも現場が多いので、気仙沼や名取の様子がテレビに映るたび気がかりです。
荒浜で大勢の方の遺体が見つかったとの速報を見たときにも心臓がドキッとして泣きそうになりました。
なんとか無事で元気でいてくれることを祈るのみです。