ふわりのにちにち ~造園家・野草家の武蔵野の山野草と雑木の庭づくり~

心象風景をかたちに・・ 童心にかえる ふわりの庭
株式会社 風 代表取締役
造園家・野草家 楠耕慈 のブログ

お盆のお供え 牛馬

2006-07-12 13:39:16 | 花と仏教
ウマ・シカになると店主になってしまうので、ここではウシ・ウマのお話し。
少し郊外に出ると今でも、胡瓜に割り箸を差して馬、茄子の牛を飾る風習を見ることが出来ます。
私も子供の頃は、あちこちでこうした光景を目にし、何だか不思議な気持ちになったものです。
諸説ありますが、牛馬には、「キュウリの馬」で一刻も早くこの世へ、そして「ナスの牛」でゆっくりあの世に戻る、との願いが込められているそうです。
そして供物をウシに積んで、豊かになってお戻り頂く。
なんとも奥ゆかしい風習ではありませんか。
そもそもお盆とは、正式には「盂蘭盆」といい、 お釈迦様の弟子の一人であった目連の母親が死後の世界で餓鬼道に堕ちて飢えに苦しんでいる姿を見た目連がお釈迦様に教えを請い、その教えに従い布施や供養を7月15日に僧侶や多くの方々に施した。その功徳により母親は極楽浄土に行くことができ、それ以来、先祖供養の大事な日になったと伝えられています。

画像は藁で作られた牛馬ですが、花屋さんではお供えのセットに含まれています。
よく見ると案外かわいいのです。
外人さんなどは面白がるのでは?と思ってしまうほど。なんだかプリミティブなオブジェのようです。
お盆と言えば、東京は7月、それ以外は8月で、その際には帰省される方も多いはず。
家族が集まって楽しい一時、ほんの少しご先祖さまに思いを運ぶのも素敵なことですね。

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お盆の華 ほおづき(鬼灯・法月)

2006-07-12 13:20:39 | 花と仏教

鬼灯は盆花というだけではなく、仏壇を飾る赤い提灯という意味を持って飾られています。

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お盆の華 禊萩(みそはぎ)

2006-07-12 13:14:55 | 花と仏教

御精霊さまは水がほしくても「みそはぎ」の花の露でなければ口にされないそうです。仏さまに供える「禊ぎの萩」が名の由来といわれます。(川の溝に生えることから「溝萩」が由来とも・・。)
お盆には欠かせないお花です。



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お地蔵様(地蔵菩薩)

2006-07-03 14:36:23 | 花と仏教

私が外出の際、マダムが店番をしてくれるのだが、決まっていう事には「この店のオーナーはお地蔵さんみたいだから、会いに来て下さい」とのこと。
それで、それを聞いたお客様が「拝みに来ました~」とご来店くださることがある。
お地蔵様って・・。
日頃から「チョィ悪」「艶男」を目指す、「レオン」なワタクシには似つかわしくない表現なのである。
自分が目指すのは「アル・パチーノ」「ロバート・デニーロ」等の渋いイタリア男なのだ。
決して「エナリ・カズキ」ではないのである。
お地蔵さんであれば、お供えの一つも持ってきてくだされば納得もしよう。
しかし、揃って仰るのは「ほんとだ~お地蔵さんみたい~アハハ。」というお言葉なのである。
忙しく鬼のような顔をしている時でも、お地蔵さんと言われれば「ニッコリスマイル」なのである。某ファーストフード店とは違いワタクシのスマイルは高いのである。万単位なのだっ!

地蔵菩薩といえば、衆生に最も近い「菩薩」として親しまれています。
鳥に糞をかけられても、人に唾を吐かれても、じっと笑って耐えている。
雨の日も風の日も、あの場所に行けば、いつでもお会いできる存在。
自分が「地蔵菩薩」等と、大それた事は言いません。
ただ、何人かでも「お地蔵さん」に会いに来たと仰って下さり、顔を見せてくれることは、大変嬉しい事です。
癒しのお店・・。なんか癒される場所。
このお店がそんな存在になれたら嬉しいです。



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花木に対する廻向について

2006-06-19 13:26:46 | 花と仏教
花という、生き物を生業にするものにとって、花や木の霊に対する廻向は忘れてはならない。
生け花などでは各流派によって、様々な形があるというが、流派を持たぬ者は、その命に心をはこぶ事も大切だが、しかるべき場所で廻向、供養する事を心がけたい。
そもそも、花と仏教は大変密接な関係にあり、昔から仏教行事、先祖への供養、また仏教用語にも多数用いられている。
そもそも、仏教で花を飾ると言う事は、人間が仏に対する誓願、誓いを形にしたものと言う。
お彼岸などに花を飾る習慣があるが、これも「六波羅蜜」の修行の1つである。
仏教では花は「忍辱」を表す。
ニンニクとは耐え忍ぶと言う事で、花が一度供えられると耐え忍んで咲き続けるから、人間の仏に対する誓いとして花を活けると言う。
つまりここでも花は人間の身代わり、愚痴を言う事も無く、笑って咲く存在として表されているのである。
さて話は戻って、花木の霊に対する廻向であるが、最近ではその意味も、違う解釈で受け止めるようになった。
花や木の命を頂く事に対する感謝・供養であると認識していたのだが、また別の意味で、「絶滅種・絶滅危惧種」に対する観念、廻向であるとも教えて頂いた。
無意識に「絶滅種・絶滅危惧種」に対する観念はあったが、それらをなくして、現在の人間の生活、また花を生業(なりわい)にしている自分達の生活は成り立たない。その根本を見つめなおす事も大切であり基本である事を教えられたのである。

と言う事もあり、私は花に対する供養を年に数回させていただくのであるが、それでも生きた花を切り、それを使って商品を作るのであるから、まだまだ感謝・廻向は足りないと思っている。
この仕事を続けている間、何回の供養・廻向が出来、とうてい足ることのない恩恵を頂いている自分を考えると誠に心許無い気持ちである。


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