南摩ダムに行く途中の7-11の向かいにあります
この鳥居
この鎮守の杜
期待感しかありませんな~
割と新しめですね?
参道に立ちふさがるように建てられていますが
神様の通り道をも塞いでいると思うのですが
何故に?
左側の石碑群です
電話に関する碑はあちこちに見られますね
馬の供出地にある碑です
石碑のさらに左隣
さらにさらに左隣
様々な「講」があるものですな
ここからが本番
その前に文字が風化して消え去った看板
画像処理で文字が浮かび上がるかもと撮影しました
読めそうで読めません
これについては後ほど判明しました
上は明るいですね
石積みが
左側に石碑がありました
読めません
誰か解る人、挙手!
画像処理で(以下略)
石段が苔むして深い碧を湛えています
京都の碧にも負けていないのでは?
終点です
あれ?
綺麗は綺麗ですな
手入れをされているようですが
左を見て
右を見て
もう一度正面を見て分かりますか
はい、社殿が見あたりません
あ
これは拝殿の土台ですな!
つまり社殿がここにあった確かな証です
なんですが、今は無くなっています!
石灯籠まで無くなっています
狛犬の設置跡はどこでしょう
本殿の御神体だけ取り残されているのでしょうか
いや、そんなことはないはずです
ぽつんと、そこにある祠
まさかねぇ?
左側にも祠がありました
かなり傷んでいます
唐突にハイキングコースの看板が、もうね・・・
階段下にあったのはこれだったのですな
確かに、あれもハイキングと読めそうです
こちらは
多分、女坂でしょう
侵略生物兵器の竹やら雑草やらが元気です
こちらは全く手入れされていません
女坂出入り口にある石積みです
同じ位の石が使われています
近くを流れる南摩川から調達したのでしょうか
手水用の水貯めですかね
表面の彫刻の有無が判りません
先程の第2石段の右手にも更なる石段がありました
その更に右手には人の踏みしめた跡が見られました
あちらの民家から出入りしているのかも
さあ男坂を引き返しますか
この部分だけ、色が濃い
陽当たり、水捌け、あとは何でしょうね?
最後は鳥居の裏側
皇紀表記ですね
昭和初期の時代観の一端を見た気になりました
一応鳥居もあるし祠もあるから神社に分類してよいのでしょうね
しかし社殿が消失しているとはびっくりでした
もしかして実は移転したとか?
いろいろ無くなっているしねぇ
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