『論理的思考とは何か』を聞いた。論理的とはで考えていたことは三段論法とかだったが、これは文化の差による思考の違いを明らかにしている。日本人が自分の思考で人に伝えようとした記述物が、てんで論理的でなく米国の人には伝わらないという話。これまで耳にした程度のファイブパラグラフエッセイというものが米国ではものの考え方、伝え方の基本的な形であり、そのフレームワークからズレると論理的でない主張にならないとなってしまう。よく英語は結論ありき…と読んでいたが、そんな簡単なことではない。多分人として考え方が伝わらないということのようだ。そのように論理展開できないと劣った人と見られてしまうとまであると感じる。著者が新書で発表した意図もここらあたりにあると思う。次にフランス。弁証論的な展開と古典から根拠を持ってくる。つまり、古典の知識がないと記述できないし、理解もできない。米国から見ても理解しにくいとくる。伝えたいこと、その反証、2つを融合させた展開。伝えたいことが反証を経ることで1段変わった結論に向かうことも考えらえる。次がイスラム圏でイラン。結局、神の言葉を証明することで終わる。これも極端だがコーランによる論拠だとかを経て、神が語ったことを実証して終わる。信仰による絶対性がある。最後に日本の読書感想文的な時系列な展開からの個人の気持ち、体験から成長を主張するとか。4つの違いを説明して、今後、人に伝えるという行為に4つの論理的な方法を選択しながら共有をしていくべきと説く。この齢にしてカルチャーショックを受けるという経験をした。まあ、真剣に異国の方と話したことはないし、人生の終焉にきてこんなことを強く感じた論理的という言葉。文化の違いを見せられたと思う。こんなことを知らなかったのが、自分がダメな証のような気もする。
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