忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

怖い話

2009年12月23日 | 過去記事
12月20日の結婚記念日が終わると、すぐにクリスマスがやってくるというわけだ。そして、年末から正月へと移行する。イベント盛りだくさん。金もないのに金を使う機会ばかり増えて困るのであるが、今年の結婚記念日は三重県の「なばなの里」に1泊2日で行ってきた。花を見てイルミネーションを見て、エビやらカニやら、妻の好きなものばかり喰って露天風呂に入るわけだが、これがまた、なかなか楽しい。妻は2日連続でアロマエステ~?なんとかをしていた。私は「ナガシマビール園」に行けたから満足だった。





「なばなの里イルミネーション・オーロラ」

妻が来たがるはずだわ。。。。にしても、うまく撮れた(なっとく)。





平成大不況もどこ吹く風、バスツアーのおばちゃん連中の多いこと。旦那は今頃、会社の近くの牛丼屋で300円以下の「並弁当」とか喰って、さあ、これから残業だと気合を入れているときに、嫁はんはビール園で1000円のソーセージ喰いながら、わぁわぁと大ジョッキで乾杯である。夜は宴会でまたビールを飲んで、終わったらカラオケで騒ぎ、大浴場で腹と尻を洗って寝るのだろう。日本はまだまだクソ平和である。ありがたやありがたや。

戻って翌日は天長節である。しんどいしんどい言いながらも、こうやって何かと呑気に贅沢に暮らせるのも天皇陛下のお陰である。「足りないモノ」を数えればきりがないが、「あるモノ」を数えて感謝したほうが圧倒的に人生は楽しいし面白いのだが、この「あるモノ」の究極、あってよかった、あってしあわせの頂点にあるのが皇室である。

「日本国にあるモノ」で「諸外国にないモノ」は結構あって、昼間から地ビール飲んでフラフラ歩ける治安の良さや、24時間、いつでも綺麗なお湯が溢れる天然温泉の衛生観念、部屋に貴重品を置き忘れて遊びに行っても無くならない道徳観念、変なものを高く売りつけない土産物屋さん、朝市では「イカの一夜干し」を買った。私は喰わんが倅が喰うらしい。そして、なんといっても、この四季を彩る景色であるのだが、それよりなにより、実にありがたいのは、この日本国には皇室があるのだという誉である。

日本の国土の75%は森林だという。つまり、それは土地が肥えていることを意味する。また、豊満な美しく旨い水がある。周囲は海に囲まれ、豊かな海産物がある。そして、2600年以上続く皇室を戴く国なのである。今日、12月23日は、その象徴であらせられる天皇陛下のお生まれになった日である。酒飲んで騒ぐ必要はないが、ちょっとだけ落ち着いて考えてみる。目を閉じて、心静かに、日本の国を想ってみると、なんとも皇室のありがたさが沁みるのである。天皇陛下は、こんな我々のために、毎日毎日、祈りを捧げてくれている。この日本国が繁栄を続けるために、日々、心を尽くしてくださるのである。

天皇陛下、万歳。
天皇陛下、万歳。
天皇陛下、万歳。

だからこそ、アメリカはこの日に日本のリーダーを絞首刑にしたのである、先帝陛下のお誕生日である4月29日に起訴し、当時は皇太子殿下であらせられた今上陛下のお誕生日に、いわゆる「A級戦犯」の7名が絞首刑に処されたのが今日、12月23日である。

また、明治天皇陛下のお誕生日である11月3日は「文化の日」とされた。この日はGHQが日本国憲法を公布した日だ。日本人の心に楔を打ち込む白人らしいやり方である。

ちなみに、これらは白人の癖のようなもので、イラクのフセイン大統領が絞首刑にになった12月30日は「犠牲祭」と呼ばれるイスラム国家のお祭りの日だ。日本の正月に該当する祝いの日である。白人様が「民主主義」というプレゼントをしてくれた日を忘れないように、その民族が大切にしている日を選ぶという思い上がった「クセ」なのだ。

そういえば、何かと叩かれている「小沢団長と訪中団」であるが、アレは12月10日だった。12月8日の真珠湾攻撃から2日後の10日は、マレー沖海戦、日本海軍陸上攻撃隊が、チャーチル自慢の「世界最強」のイギリス艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈せしめた日である。チャーチル大ショックである。

その1941年12月10日から68年後の同じ日、日本の大物政治家が、ぞろぞろと子分を従えて胡錦濤にご機嫌伺いをしているとは、あのイギリス東洋艦隊を撃滅した松永貞市中将も夢にも思わなかっただろう。しかも、もしかすると、天皇陛下との会見をバーターにした歓待であり、支那共産党の序列争いに天皇陛下を政治利用したかもしれぬと聞いたら、九十六式陸上攻撃機を民主党本部へ向けたかもしれない。やっちゃってください!



そんな小沢が2006年に「小沢主義」という、信じられない偉そうなタイトルの本を出していた。この度、文庫化されたというので買って読んでみた。500円だった。

ンで、文庫化されるにあたって本人が読み返したらしい。「まえがき」を書いている。

なにやら「政治とは生活である」とか「国民生活の再生」とかが「成った」と書いてある。「政権交代」も、ほら、成ったでしょと。そんで2006年から「ぶれていない」ことが確認できたから、これは喜びであり誇りであるとか書いちゃってる。2009年11月だ。


一通り読んでみたが、感想はひとこと。

「ずるい。汚い。卑怯」

である。理由を述べよう。


まあ、本のタイトルが「小沢主義」だから、ある程度の自画自賛で埋められているのは想像どおりである。思考停止した「小沢チルドレン」が読めば、涙を流して悶えるだろう。しかし、案の定、ヤバいことは書いていない。不利なことは書いていないのである。

献金問題もない。社会主義批判や独裁政党の問題に触れるときは、旧ソ連や北朝鮮のことをさらりと書く。支那の「し」の字もない。中国の「ちゅ」もない。小泉元首相の靖国参拝にも触れるが、「ど左翼」チックに非難するのではなく、要するに「参拝するなら堂々とやれ」と批判する。そのうえで「靖国問題は日本の対応が悪いからだ」と断じ、2004年の日中首脳会談の際、胡錦濤から「靖国参拝は見送るように」と言われた小泉は「わかった。適切に対処したい」と答えたと非難する。しかしながら、小沢の言うとおり、<参拝するつもりだったのならば、「主席の立場はよく理解した。しかし、私は日本人の立場から参拝せざるを得ないのだ」と堂々と語っておけばよかった>(154P)というのもおかしいのである。なんだその「参拝せざるを得ない」という文言は?

小沢の言いたいことは、すべからく、「許してもらえ、許可を得よ」ということなのだ。これを「嘘は良くない」とか「誤魔化しは最もよくない」とすり替えている。そんなことは、おたくの「とらすとみー」に言ってほしいものだが、まあ、そこらの「ど左翼」よりは頭が良いみたいだから、うっかり読めば「なんだ、小沢、わかってるかも」とか思ってしまうかもしれない。しかし、ちゃんと読めば、なんのことはない。ただの支那の走狗であると知れる。織田信長が好きで大久保利通が好きでイギリスが好きで、支那には逆らえないだけだとわかる。そして、やはり事実誤認が少なくない。

今回の天皇陛下の政治利用を責められた際も、公的行為を「国事行為」だと強弁して恥をかいているが、これも認めず、さらに恥の上塗りをしていることは報道されているとおりである。先ほどの靖国参拝に関しても、およそ日本の政治家とは思えぬ間違いぶり、あるいは支那共産党の言い分通りの誤認を強調する。小沢は「靖国にはA級戦犯が祀られていることが問題だ」としながら、<実際のところ、いわゆるA級戦犯の合祀が行われるまでの靖国神社には、数年ごとに天皇陛下が参拝なさっていて、それで国際的には何の問題も起きなかった。問題の本質はあくまでも戦犯合祀にある>(152P)と言い切る。

これは小沢チルドレンの中にいる民主党の良心、保守派の政治家にも聞いてみたい。この、あなたのボスの認識は正しいのですか?と。

こんなもん、大間違いも甚だしい。というか、本気ならば、ほんと、その程度の認識なのかと情けなくなる。北京に気を使ってベンチャラ言っているとしても酷過ぎる。見識が安すぎるのである。他を読めば、結構、ふぅん、なるほど・・ということも書いているのに、急にここで阿呆になる。「世界のナベアツ」ではないが、支那朝鮮が絡むと阿呆になるというルールでもあるのかと思う。まったく理屈が弱い。

支那朝鮮が騒ぎ出したのは1985年からだと知れている。1978年に、いわゆる「A級戦犯」が合祀されてからも、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘らは総理大臣として参拝した。その最後、1985年8月15日の中曽根が参拝する直前、いきなり朝日新聞が「特集・靖国参拝~アジア諸国の目~」と題したネガティブキャンペーンを8月7日から展開した。これに人民日報などの支那メディアが喰らいつき「中国人の心が傷ついた」とやったのだ。それまで支那人は靖国神社がなんなのかに興味もない。

アメリカのボストングローブ紙の記者が、麻生さんが外務大臣のときに「靖国神社にはA級戦犯の死体が埋まっているのに参拝するのはどうか?」と質問して恥をかくほどだったではないか。本来、日本の神社に誰が祀られているかなど、外国人がどうのこうのと言うわけがない。興味もないだろう。しかしながら、それが「外交カードに使える」ならば話は別だ。これを朝日新聞などの「ど左翼メディア」がマッチポンプで悪用したに過ぎない。それに、いわゆる「A級戦犯」がどうのというなら、安倍元総理の母方の祖父である岸信介元首相は「A級戦犯」として巣鴨に拘置されていたのである。A級戦犯が総理大臣であるぞ?小沢チルドレンは、そのとき「なぜに支那朝鮮が騒がなかったのか」理由を400字以内で述べよ。ああぁ?述べよ。

また、天皇陛下の御親拝は、たしかに1975年11月21日を最後に行われなくなった。これを「A級戦犯の合祀」を原因だとする論が蔓延している。いわゆる「富田メモ」から勢いづいてもいた。小沢が言いたいのもこれだ。つまり、「A戦犯を分祀すれば、天皇陛下の御親拝は復活するのに」ということだ。天皇陛下が反論もできず、意志表示もできぬと知りつつ、好き勝手、都合のいいように解釈して愚にもつかない罰あたりを垂れ流す。本当に薄汚い連中だと思う。ちなみに、この1975年に何があったかというと、三木元総理の「私的参拝発言」があった。同年8月15日、三木は靖国参拝のあと、マスコミに阿って「私的参拝」だと明言してしまう。その後、靖国神社に群がるマスコミ人はマイクを向けて「私的ですか?公的ですか?」と阿呆な質問をするのが流行ることになった。今も昔も「ど左翼」は意地汚くて、その手があったかと鼻息荒くした社会党が内閣委員会で「天皇陛下の靖国神社御親拝」を問題とする質問を初めて行うことになる。それは先帝陛下が御親拝される前日の20日であった。なんのことはない。原因はこれだ。


天皇陛下は「天下万民」と共にある。古来から日本民族の象徴であり、常に「公的な存在」である。天皇陛下は毎日、日本民族のために祈っておられる。日本民族の平和、幸福を祈っておられる。そのような存在を政治的に利用しようなどとは、先ず、日本民族としてどうなのか。生きていて恥ずかしくないのか?息をする必要はあるのか?


この「小沢主義」という本。まあ、いろいろと突っ込みどころ満載だが、最後のほうで本性が見える。ざっと読んだだけでは「保守っぽい人」でも、すっと読んでしまう危険もあろうが、ちゃんと最後まで読めば最後にボロを出している。


小沢は、天皇陛下が愛する日本民族を心の底からバカにして舐めている。小沢は、日本民族が皇室に対して抱く敬愛の念を心の底からバカにして舐めている。

この薄っぺらい本の最後のほう、だ。

<戦前の日本では、御承知の通り、富国強兵のスローガンのもとに「上からの愛国心教育」が行われた。ことに軍隊では、愛国心の重要さが過度に強調されてきたが、その結果はどうだったか?本物の愛国者が生まれただろうか>(184P)


この男は、自分をどこに置いて先人が「愛国者ではない」と言い切るのか。どのくらい思い上がれば、このようなことを書いてもメシが喰えるのか。こんなボンクラに付き従う新人議員は「英霊よりも小沢が愛国者」だとでもいうつもりか。


<また、日本の兵士は世界一忠実だと当時の軍人は誇っていたが、実際には捕虜になったたくさんの兵士や将校たちの中には、軍事機密を自分から相手に教えた人もたくさんいて、連合軍の側がかえって呆れたほどだという>(同P)


許し難い暴言である。この男は、当時、その「連合国側」とやらが日本の捕虜に対して、どのような拷問を行い、どれほどの人種差別感覚を持ち、どんな目に遭わされたか知りもしないのか。100歩譲って、だ。日本兵捕虜が敵に機密を話したところで、いま、ぬくぬくと暮らすこの現代から、心臓が悪いから昼寝は欠かさないという恵まれた環境から、よくぞ、まあ、そのような腐った言葉を吐けるものだ。呪われてほしい。

例えば、南京市街周辺に不時着したパイロットの日本兵は自害したそうだ。それをみた「連合軍側」とやらは、小沢と同じような感想をもらしたという。曰く「命を粗末にする」と。

なぜか?

この小沢のいう「生きて虜囚の辱しめを受けず」とはなんだったのか。

この小沢のいう「自分から軍事機密を話していた」はなぜだったのか。


不時着して息があった日本兵はどうなるか。日本軍が捜索隊を派遣して見つけた例は少なくない。ある者は「両目から針金が通されていた」とある。「鼻と耳がそがれ、手の指は全部落とされていた」とある。同胞を発見した日本軍は「絶命していたのが救いだった」と語る。あるとき、手の指を全部落とされ目をくり抜かれた日本兵が、数十センチほどの「木箱」に詰められて列車で運ばれているとの情報が入る。駐屯軍は列車の爆撃を行う。同胞を「死よりも苦痛な状況から救うため」である。アメリカ軍は日本人捕虜に何をしたか。オランダ軍はどうだったか。支那国民党軍はどうだったのか。息も絶え絶えの日本にソ連軍は何をしたのだ。日本人捕虜をバカにするなら、ちょっとは調べてから書いたらどうだ。


この平成日本の大物幹事長は、

<結局のところ、いくら上から押し付け、洗脳したところで、本物の愛国心は生まれないということだ>(同P)

と結論付ける。なるほど、「洗脳」である。支那朝鮮人らしい発想だ。



また、小沢は「戦場にかける橋」という映画がお気に入りらしく絶賛する。

これも「捕虜の扱い」だ。大好きなイギリス軍の将校はジュネーブ条約に則り、紳士的であるとしながら、例のごとく、日本軍はダメ過ぎるとバカにする。条約では、労働させてよいのは「一般兵士に限る」とあって、イギリス軍はそれを守るが、日本軍は将校にも労働を強要すると。それで勇気を持って労働を拒否するイギリス人将校を、イギリス人兵士たちが喝采するシーンがお気に入りのようだ。そして、「日本兵ではあり得ない」とする。

理由がすごい。

<同様に捕虜になっても、日本人の場合はこうはならない。「俺たち兵士が働かされているのに、将校の連中はなぜ働かないんだ。不公平だ」という反応がきっと返ってくるに違いないと思ったからだ>(186P)


私はぺリリュー島で日本海軍司令本部を見て歩いた。頑丈なコンクリートで造られており、現地の人も「あと100年は壊れない」と言っていた。その1階部分にトイレと風呂場があった。それをみたガイドの女の子は「良い身分ですねぇ」と嫌味を言った。ここに来る前、サンゴ礁の塹壕を見たからだ。あの狭く暑苦しい中、2ヶ月半も戦い抜いた1万5千名の日本軍一般兵士がいたと思えば、たしかに本部の風呂場は魅力的にみえる。しかし、だ。

問題はそこではない。大切なのはそこではない。そして、そんなことあり得ない。

「上のもんはいいよなぁ、なんで、俺らが穴にこもってよー、あんなにたくさんの米軍と戦わなきゃなんねーんだよ、やってられんよ、弾もないしよー、艦砲射撃とかマジ、たまんねーっす」

という日本兵ばかりだったら、アメリカ軍の予想通り「2・3日でカタがつく」となっていたであろう。あれほど米海兵隊を損耗させることはできず、白旗を振りながら「降参、降参す、まいったョ♪」と簡単に攻略されて、日本本土はもっと爆撃に曝されていたはずだ。

小沢のいう日本兵ばかりだったら、アメリカ軍師団長「ウィリアム・リュパータス」率いる米軍は4万9千人。戦力差数十倍。火力に至っては数百倍の戦力を誇る米海兵隊に、死を覚悟して向かっていく日本人はいないことになる。小沢はもう、切腹しても許されないだろう。マトモな日本人なら、これはもう、相当に怒るはずだ。



そもそも、原作者のピエール・プールは「猿の惑星」を書いた反日作家ではないか。「猿の惑星」を書いても日本人は怒るどころか大ヒットした。日本人は、ンなもん、たかが映画じゃないかと受け入れる度量があるのだ。それだけの話だ。この「戦場にかける橋」も同じく、たかが映画だから目くじら立てないだけで、日本の政治家を名乗るならば、そこらの阿呆みたいに影響されてないで、ちゃんと「反日作品」だと認識してから見てもらいたい。まったく情けない話である。




私は、どんな本であれ、書物を破いたり、捨てたり、燃やしたりはしない。だから、こんな本でも書棚に置いてやることにする。印刷する人、運ぶ人、売る人には関係ないからだ。

しかし、これほど握り潰して燃やしてやろうかと思ったのも久しぶりである。






ま、


12月23日。とくに今日は天長節である。貴様のような売国奴でも、天皇陛下は祈ってくださるだろう。ありがたく思いなさい。この売国奴よ。


ところで、1945年の9月11日って、GHQが戦犯の39名を逮捕した日らしいね。

怖いよなぁ、おい。


ちなみに、「民主党設立委員会」を結成した日も9月11日だという。

こ、怖いよなぁ、おい(笑)

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