忘憂之物

2011.10.1

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110928/scr11092812310007-n1.htm
<韓国で「東日本大震災を祝う」の幕 C大阪が抗議>

<サッカーJ1のC大阪が27日にアウェーの韓国・全州で臨んだサッカーのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)準々決勝第2戦で、対戦相手の全北サポーターが東日本大震災で被災した日本をやゆする内容のメッセージを掲げ、C大阪がアジア連盟に抗議文を提出していたことが28日、分かった。
 チーム関係者によると、応援席の幕に日本語で東日本大震災を祝うという文字が書かれていたのを発見し、マッチコミッショナーを通じて掲示をやめさせた。(共同)>


職場の「韓流おばさん(本物)」は強い。このニュースにも「韓国人にも酷い人がおるんやね、びっくりした」でお仕舞いだ。どうせびっくりするなら、私のようなマトモな在日にこそびっくりしてもらいたいものだが、まあ、それも施設内のテレビで流れたから「びっくり」することができたわけで、少し前、例えば2002年の日韓ワールドカップの前ならわからなかった。当時の日本マスコミなら絶対に扱わなかっただろう。

しかも、そのすぐあと、相変わらずの「韓流ドラマとK-POPの広報マシーン」と化す。周囲の職員らと違い、少女時代であろうがKARAであろうが、まったく興味を示さぬ私に対し、若干、意地になってきた感も否めず、アレは知っているか、コレは見たことがあるか、と問い詰めてくるのにも慣れた。最近はもう、あちら側も慣れてきたのか、朝鮮人歌手の歌を聞かせて、ソレをカラオケで歌ってくれとまで言い出す始末。私の頭の中には「2ちゃんねる」でよくみる「お断りします」のAAが数体、お断りしますお断りしますと踊っていた。渾身の力を込めたお断りします、己の生命エネルギーを全て放出するかの如き、お断りします、であった。

「カシコギ」という朝鮮ドラマがあるらしい。最近、日本でもリメイクされてテレビか映画かしらんがやったらしい。これが「これなら、ちよたろさんも見るはず」とのことだった。ふぅ~ん、てなもんだが、この「韓流おばさん(本物)」は口から泡を飛ばして「仕事」をし始める。「カシコギ」というのは魚の名らしく、この魚はオスが子供を育てるのだとか。まあ、タツノオトシゴが育児休暇を取るようなものか違うか。

ドラマのストーリーもそうらしく、ひとりの父親が白血病の子供を助けたい一心で、まあ、何かと苦労する話だという。とても感動するから、是非、みるべき、みなさい、みろ、という「韓流おばさん(本物)」らしく高圧的、まるでフジテレビのような広報活動を展開するのだった。もちろん、その予定はない。私は「観たいモノ・観なければならないモノ」が、あんたと違って多すぎるのである。いつかあんたの借金が終わり、目出度く韓国に旅行できる日がくればお祝います、なのである。

しかし、まあ、職場の縁は大事にせねばならない、ということで、私の知っている朝鮮ドラマもいくつか紹介しておいた。タイトルをメモしていたから、いずれネットか何かで引っ掛かるだろう。「韓流おばさん(本物)」は、自分がまだ知らない朝鮮映画・ドラマがあるのだと知り、ちょっと興奮状態になった。最初はもちろん「ムクゲの花が咲きました」である。

統一朝鮮が日本に核爆弾を投下する、というストーリーだが、これは「日韓恋愛ドラマのパイオニア」と教えておいた。ま、内容を間違えることだってある。私だってヒューマンである。他にも教えた。社長マンも絶賛していた「将軍の息子」も紹介しておいた。

主人公は実在する人物、韓国の政治家だった金斗漢だ。映画は金斗漢の武勇伝のようなものだ。ピストルを持った日本人ヤクザ相手に、卑怯なことが大嫌いな金斗漢は素手で立ち向かい、これを叩きのめす。実在の彼はこの後、国会で糞尿を撒き散らして伝説となるのだが、なぜだか映画では触れられていない。また、この映画は「高句麗の王子が身分の低い女性と恋に落ちる話」としておいた。私だってホモサピエンス、間違えることくらいある。

お勧めは「嫁三国志」だ。これは日本人嫁、支那人嫁がソウルに嫁ぐ話だ。そこに朝鮮嫁も加わって義理の三姉妹となるドタバタだ。悪夢のような設定だが台詞が良い。日本人と支那人の嫁は「ソウルは東京より北京より素晴らしい」と感激する。ちなみに、日本人嫁は東大卒業の天然ボケだ。これは「日本の女は馬鹿だが愛嬌がある」という朝鮮男の好みを体現させているわけだ。名前はなんとも「ミチコ」だ。もちろん「ミチコの父親」がソウルにやってきて「慰安婦も強制連行も竹島もすべて日本が悪いんだ。すいませんでした」と土下座するシーンもある。コレが日本人嫁を「ミチコ」とした理由だ。

他にもたくさんある。「従軍慰安婦だった母親」を持つ朝鮮人女性に恋をする日本人男性もいる。「愛の条件」だ。コレもお勧め、評価は380キムチとする。案ずるなかれ、ちゃんと「元慰安婦」が出てきて、日本兵の残虐非道ぶりを語るシーンも用意されている。ストーリーに関係なくとも、朝鮮ドラマで「日本」を出すならコレは外せない。視聴率が取れない。映画も売れない。無論、コレも「日韓恋愛ドラマブームの火付け役」と紹介しておいた。私も所詮は哺乳類、間違えることくらい・・・いや、マテ。

「韓流おばさん(本物)」のことだ。これらを見て、それをそのまま丸ごと美味しく、生のまま信じてしまう可能性はないか。私はなにか、とんでもない間違いを犯したのかもしれないが、まあ、そこは私も山葡萄原人の子孫、間違えることもある。

―――しかし、だ。

程度の低い横断幕やら観る価値もない反日ドラマなどをして、これを「民度の違い」ではなく「文化の違い」と称して論点をずらし、如何にも「互いの文化の違いを認め合いましょう」とする傾向が日本にだけ存在する。これで納得する、あるいは溜飲を下げることができる日本人がいるなら、それは本当に「文化がある国」だからだという実感はともかく、日常生活にも混在してどうしようもない「日本の文化」がDNAレベルで覚醒しているのかもしれない。これは日本の良さでもあり、呑気に過ぎる思考の根拠なのだろう。

「文化」というものも「安全と水」と同じく、あって当然、生まれて既にあったものは「あること」が前提として思考を止める人もいるが、これに「もし、ないとすれば?」という発想ができるようになれば、少しは「今あるモノ」に感謝出来てしまうことになる。それを護り、連綿と繋いだ先人の労苦が想像できる。例えば、日本人は台風でソウルが水に浸かっても笑わないし、笑えないし、笑う人がいても何が面白のかまったく理解できない。しかし、これは「生まれてきたらあったモノ」に数えることができる。世界にはそうじゃない国があるからだ。

私が産まれて1年後の1972年、アメリカではディープパープルがライヴをやっていた。「ハイウィスター」でリッチー・ブラックモアが超絶的な速弾きを披露している頃だ。比して、日本では森昌子が「せんせい」を歌っていた。私の世代が年頃になれば、もう、野口五郎の歌は「オヤジ臭い」とか「古い」と興味を示さない。森昌子など「懐かしの歌謡曲」となっていたが、空前のバンドブームの中、リッチー・ブラックモアは巷にたくさんいた。いま思えば、これがアメリカの「人工的文化」なのだとわかる。根付いたのではなく、自然発生したものでもなく、あくまでも「作られた文化」なのだ。あまりにも合理的なのだ。

日本人は無邪気に「リッチーすげぇ」となる。これは「ハンバーガーうめぇ」と同じく、無駄がなく洗練された「人工的」の成果である。邪魔臭いことは一切、取り去ってしまったシンプルな「文化」のことだ。例えば、日本には「茶道」がある。これは誤解を恐れず、その行動だけをあっさり書くと「茶を飲むだけ」のことだ。これにまあ、ありとあらゆる作法が組み込まれることで、そこには「伝統」とか「こころ」という概念が発生する。意義が生じるわけだ。また、日本の僧侶が抹茶道とかやりだしたのは鎌倉時代だ。コロンブスがアメリカ大陸発見する数百年前になる。つまり、現在、アメリカにはまだ「歴史的文化」と呼べるものがない。花鳥風月の概念がない。あるのはすべからく、自由主義に代表される合理的で機械的な「人工的文化」となる。ある意味、機能的でカッコ良く見える。だから元祖リフ職人、リッチー・ブラックモアの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」はいまでもカッコイイと断言できる。暑い夏にコカコーラを飲むように、だ。

比して、韓国はどうだったか。日本では森昌子が「せんせい」に続き「おかあさん」を歌っている頃、韓国は第三共和政だった。軍事政権だ。森昌子が「おかあさん、ありがとう」と歌って日本人を泣かせているとき、韓国のオモニは日々の生活に難儀していた。サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」で衝撃デビュー。「愛しのエリー」で恋人たちを席巻してから、初の日本武道館でコンサートという頃、韓国では光州事件となる。すなわち、それどころではなかった。日本のような「歴史的文化」も元々なく、アメリカのような「人工的文化」も流入しなかった。民度が成熟するはずがない。

支那はまだ気付いていないか、もしくは「喰えないモノ」に興味がないか、もしくは「元々は大中華のものアル」と余裕こいているのか知らないが、軍事経済、領土領海、侵略戦争、民族浄化で忙しい。しかし、とりあえずは腹一杯食える国、アメリカも韓国も「歴史的伝統文化」が欲しくてたまらない。しかし、それだけは戦争して奪うこともままならない。自国で作り続ける他ない。また、それを既に持っている日本が妬ましくて仕方がない。それに気付かぬのは、まさに張本人の日本人だったりする。だから、冗談ではなく「お祝います」は間違いじゃないの?悪気はないのでしょう?などと、相手の悪意すら浄化する高度の民族性を発揮する。コレは高レベルすぎて、まだ、世界がついて来ない。
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