「闘魂ビンタ」推奨ダメ 維新・橋下氏、体罰事件考慮か
< 日本維新の会の橋下徹共同代表は7日、参院選比例区に同党から立候補するアントニオ猪木氏(70)おなじみの「闘魂ビンタ」について「そういうことを推奨しているような形はあってはならない。単なるショーでは終わらない」と述べ、公の場で「闘魂注入」は受けない考えを明らかにした。橋下氏が大阪市長として対策に取り組んだ大阪市立桜宮(さくらのみや)高校での体罰事件を考慮したとみられる。
猪木氏は平手で相手の顔をビンタする激励で知られる。6日に猪木氏と街頭演説をした際、橋下氏は握手はしたが「政治の場で(ビンタは)受けない」と述べ、7日には「選挙戦を控えて、これほど燃え上がるような状況はない」と、ビンタなしでも気合十分だとアピールした。
桜宮高では昨年末、バスケットボール部の男子生徒が、顧問の男性教諭(当時)から暴力を受けた翌日に自殺。それまで体罰容認ともとれる発言をしてきた橋下氏は「認識が甘かった」と体罰根絶の考えを示していた>
意見が変わることはあって良い。自分の過ちに気付くことは素晴らしいことでもある。ただ、それは「勘違い」のレベルとは一線を画する。「カバはゾウのメスじゃなかったの?(妻)」とか「タヌキは人間と話すことができる(妹)」などは勘違い。思い違いだから笑って済む。
しかし、私がある日突然、もしくは数日後に「従軍慰安婦は存在した。日本による国家的犯罪の被害者であり、人類最大の人権侵害」とか言い出したら、それはたぶん、家族が誘拐されている。つまり、それほどのことだ。決して「間違えてました」で納得できない。
また、長年積み重ねてきた信念もなかなか曲げられない。曲げるには相当な根拠も時間も必要になる。例えば、私は学生時代、担任やら体育教師やらに挨拶代りに殴られたが、それでもやっぱり「体罰は必要」というスタンスだ。これは「体罰が原因で自殺した」とか「体罰が原因で死んだ子がいる」と言われたくらいでは変わらない。そんな突飛な事例を挙げて「だから全部がダメ」という極論にはならない。
橋下市長は「闘魂ビンタ」を問うてくる記者にこそ「ふざけた質問するなら会見しません」を言うべきだった。あなたは遊びでやってるんですか?と詰めるべきだった。ましてやメディアが<体罰事件考慮か>と不謹慎を書くのも予想できることだった。
これは遺族にビンタされても仕方がない。
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