忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「書かない」という選択肢

2013年06月07日 | 過去記事



こういうブログを書いていて躊躇するのは「一過性のブーム」を取り上げること。瞬発力のある話題だ。理由は単純。かぶるから。どうせ他の誰かが必ず書いているし、見解もそうは違わない。ならば自分は違う話を、と思うことになる。

たしかに閲覧数は上がる傾向にある。拙ブログでも「キンコン西野」で検索すれば出てきたりする。書いた文章がどこぞの掲示板に貼られたりもする。しかしながら、この「虹が消えるまで」は下町の食堂、鶴橋のガード下、立ち飲み屋の雑談だ。お客さんは「この店の味」とか「大将の人柄」できてくれている、と思っている。「流行っているから」で急にスイーツを出されても嬉しくない客ばかりだ。たぶん、クセが強い。

こういう素人の弱小ブログでもそういうことを気にする。長年書いていれば尚更だ。

しかし、今日の「天声人語」は<その警察官はネット上で「DJポリス」と名付けられた>と冒頭からマトモにやった。物書きとしての矜持すらないらしいが、それならせめて、他の皆さんとの見解の相違を示してみせるのか、と期待したが<集う人々を警備の対象としてだけ見るのではない。喜びと高揚をともに感じている同じ人間として、協力を求める。そこに当意即妙の才がのぞく。理より情への訴えが、共鳴を呼び起こしたとも思える>とツイッターでみんな書いてたけど、みたいなことを連ねていく。

どうせなら「公権力が大衆に阿る。いまの安倍政権を思い浮かべたのは小欄だけではあるまい」とか「公務員が勤務中に軽口を叩いて人気を博す。この姿をみた大阪市長の感想を問うてみたい」とやれば、読者は「む?さすがは朝日新聞」と唸っただろう。相変わらずの馬鹿だと感心もしたに違いない。

だけど、天声人語はたくさんの字数を使って<警備にあたっている怖い顔をしたお巡りさんも、皆さんと気持ちは同じです。皆さんのチームメートです。チームメートの言うことを聞いて下さい」「お互い気持ちよく、きょうという日をお祝いできるよう、ルールとマナーを守りましょう>とか「Djポリス」のセリフを並べている。時数に限りあるコラムではなかなかやれないことだが、このあと更に<映像で見ると、路上から驚きの声や笑いが起こり、「お巡りさん!」コールが広がった。「声援もうれしいですが、皆さんが歩道に上がってくれる方がうれしいです」と返すDJ。こんな光景は珍しい>とTBSのニュースを見ればわかることを書く。「看板コラム」はこれで半分を使っている。

そして〆はサッカーだった。

<劇的なPKを決めた本田圭佑(けいすけ)選手が5日の記者会見で言った。「どうやって自立した選手になって『個』を高められるか」。たぶんDJもそんな気概の持ち主だろう。若い人たちにいいものを見せてもらった>

これでお仕舞い。超がつく一流の記者がチームでやってこの程度。受験生諸君には天声人語を書き写す、という苦行をしている者がいるとか。この内容ならスポーツ新聞の見出し、それから太文字の記事だけ読めばいい。同じようなことを書いている。

また、この日の天の声を人の語にしたものは致命的な欠陥品でもあった。つまり、スポーツ新聞の見出し以下だった。順に説明していく。




先ず、この「DJポリス」の名言だ。

<「警備にあたっている怖い顔をしたお巡りさんも、皆さんと気持ちは同じです。皆さんのチームメートです。チームメートの言うことを聞いて下さい」>

<「お互い気持ちよく、きょうという日をお祝いできるよう、ルールとマナーを守りましょう」>



引っ掛かる。つまり、ここで天声人語は「書きたくない部分」を意図的にカットしている。これは邪推ではない。上記のセリフだけなら、大した話題にもならなかったと思う。とくにふたつめに引用している<お互い気持ちよく、きょうという日をお祝いできるよう、ルールとマナーを守りましょう>なんか、毎年の成人式でも耳にするだろう。

この警察官のセリフが「名言」とされたのは、例えば、動画の「日本代表のように素晴らしいチームワークで進んでください」のセリフだった。「日本代表のユニホームを着ている皆さんは12番目の選手です。日本代表はルールとマナーを守ることで知られています」の声もほとんどの動画で確認できる。他のメディアでは「見出し」にされていた部分だ。この部分がとくに大衆の心理を突いた、と誰でもわかる。群集心理における「一体感」の概念を押し広げて受け入れさせ、それから客観性を自覚させることで自主的に抑制させる。高等技術と言っていい。


しかし、天声人語は「日本代表はルールとマナーを守ることで知られています」に抵抗があった。書きたくなかった。

だってずっといままで、日本軍だけではなく、日本人はルールとマナーを守らないと書いてきた。1989年にも<日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。精神の貧しさの、すさんだ心の……>と書いたばかりだ。日本人を腐したくてアザミサンゴにまで迷惑をかけた。その日本人が「ルールとマナーを守ることで有名」なら、朝日新聞は今までなにを書いてきたのか、と問われなければならない。

それに「フェアプレイ」も認められない。日本は過去、東アジアの国々を恐怖のどん底に叩き落としてきた。極悪な暴力である軍事力にモノを言わせて、平和で大人しく暮らしているアジア諸国民を支配して搾取しまくる。まさにアンフェアの代表だと書いてきた。もちろん、過去だけではない。戦後、豊かになってからは「世界に日本は何ができるか」と囃してきた。支那にODAをもっと出せと、技術も資金も人材も差し出し、それでも大きくなった日本の企業は支那に行って支那人を雇えとずっと書いてきた。そうしなければまるで「日本はフェア精神がない」という誹りを受けるかの如く、紙面で脅してきた歴史がある。それをいまさら、ワールカップ決勝進出くらいで引っ繰り返せるわけもない。

また、〆の<力量のある前線が信頼されて働く姿は気持ちがいい>から強引に引っ張ったサッカーの話もそう。本田選手の記者会見から<どうやって自立した選手になって『個』を高められるか>だけを切り取った。ここだけ読むと個人が重要、個人の自立こそが大事と読める。

きっかけは今野選手の<ビッグクラブでプレーしている人と一緒にプレーできるのは楽しい>だった。また、長谷部主将も<1つになって戦えるのが強み>と言った。要すれば日本の武器はチームワークだと言った。

そこで本田の発言になる。しかし、本田も<日本の最大のストロングポイントはチームワーク>と認めている。天声人語はこれにふれない。そしてこのあと<でも、そんなものは生まれ持っている能力>と述べている。つまり、日本人ならチームワークがあって当然、と言っている。本田は世界という舞台、それだけでは限界があるし、チームワークという最大の武器はもうあるんだから、これからは「個人の能力を高める努力が大事」と言ったに過ぎない。なのに、天声人語は勝手に<たぶんDJもそんな気概の持ち主だろう>としてしまう。そうだろうか。

当日の渋谷交差点。試合開始前から何百人もの警官がスタンバイ。日本が同点に追い付き、俄かに人が集まり始めるとスクランブル。計画通り、訓練通りにバリケードを築き、人員を速やかに配置して群衆整理を行い、同時に「DJポリス」が語りかける。その成果として当日、とくに大きな事故もなく午前零時には撤収、実にスムーズに仕事を終えた。絶妙なコンビネーション、収斂されたチームワークが成せる技だった。だから本人は<日ごろの訓練が生きただけ>と謙虚に応える。煮ても焼いても日本人マインドだとわかる。


自民党の支持率もまだ高い。とくに失点もない。またテキトーな悪口書いたら、最近の世論は黙ってない。他のネタ話で日本を腐すにも時期が悪い。慰安婦問題の捏造もバレている。そうして困りながら鉛筆を舐めていると、ふと「書くことがない」と気付く。

それで天声人語はとりあえず、ワールカップや「DJポリス」を書くことにしたが、これも今更、日本人はルールとマナーを守る民族だとか、日本に最初から備わっている武器はチームワークだとか、普通に書くには照れ臭い。いきなり日本を褒めると、読者は熱でもあるのかと心配もするだろう。だからこんな中途半端になった。受験生諸君、これは悪い見本です。




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