職場の人らと飲みに行く。もちろん、話が合わないから楽しくない(笑)。職場内での瑣末な出来事など興味ないし、誰かの悪口も退屈、施設への不満もお腹一杯、韓流スターの話など虫唾がダッシュ、酷いモノになると「誰が誰と付き合っていたけど最近別れた」とかある。そのくだらぬ恋愛ドラマの登場人物は共に30代半ばに到達している。
私はあまりの「レベルの低さ」に戸惑い、もしや、ニュートリノの所為でタイムスリップして中学2年生に戻ったのかと慌てたが、どうやら40歳、不惑の初老がそこにいたから安心した。カラフルなアルコールドリンクを飲みながら、唐揚げやらポテトフライを貪る中二病を前に、大人の男は「タコわさび」で日本酒を飲むのであった。
フローレンス・ナイチンゲールは言った。キリストが伝道を始めたのは30歳からだと。30歳になったらもう、子供っぽいことはお仕舞い。恋愛や結婚も、無駄なことは止めようね、とのことだが、そこは現代日本の30代、そういうわけにはいかない。
黙っていると問われる。仕事楽しいですか?
「楽しいですよ、どうしてです?」
えぇ~!!楽しいんですか?
「ええ、楽しいですよ。楽しくないんですか?」
えぇぇ~~なんで楽しいんです?
「いや、それは、楽しいからです。ところで、あなたは楽しくない・・」
わかんないっすわ~~楽しい??なにが楽しいの??
最近、施設に新しい入所者の方がやってきた。女性だ。年齢は80代後半か。認知症は軽度だが、やはり、足腰が立たない。女性は50代の娘さんと来た。ひとり娘だそうだ。挨拶しようと思ったら、もう、既に帰った後だった。光の速さ・・・いや、ニュートリノの速さだ。居室を案内していた相談員が私の横に来た。「娘さんね、あ、はい、さっきの」と話し出した。挨拶を拒んだそうだ。
普通、家族の方が付き添いでついてきて、それから我々職員と挨拶を交わす。はじめまして、ヨロシクお願いします、という程度だが、この娘さんは「居室案内」に関しても「行かなくちゃダメですか?」という有様だったそうだ。親の面倒を見てくれる連中に挨拶するのも邪魔臭いんだろう。もちろん、こちらはお仕事、相手がどうであれ、することはする。しかし、だ。相談員が続けた話には驚いた。
この女性、仮に「青木さん」としておくが、青木さんは独り暮らしだったそうだ。娘からすれば、自分の母親はまだ施設に預けるほどでもない、という理由からではなく、おそらくは、コレも邪魔臭かったんだろう。ほったらかしだったそうだ。ある朝、青木さんは洗濯物を取り込もうとしてバランスを崩し、窓から転落してしまう。幸い、青木さんの部屋は1階だったが、これがちょうどブロック塀の真裏に落ちた。怪我はしれていたが、転落の痛みから青木さんは動けず、声も小さいから助けも呼べず、なんとも発見されたのは次の日の夕方だった。もし、管理人がその日、見回りをサボったとすれば、コレは間違いなくマスコミのメシの種になった。真夏だった。もう一晩で死んでいたはずだ。
管理人は「ひとり娘」に連絡。猛然と非難したらしい。あんた、この人の娘だろ、毎日とは言わんが、せめて週に1度は顔くらい見にきたらどうだ―――ああ、わかりました、施設に入れますよ、じゃ、ということらしい。
この話を横から聞いていた女性職員が怒った。なんたる外道かと。許せないと。
ショートステイの「森山(仮名)さん」はディサービスの送迎後、とても悲しいことになっていた。すぐに家族が来ると思った男性職員はそのまま、森山さんを玄関に放置して施設に戻った。しかし、家族は次の日の夜まで来なかった。哀れ、森山さんはたったひとり、車椅子に乗ったまま玄関で24時間以上を過ごした。ホッタラケにした職員も馬鹿だが、この仕事はそういう部分が歴然としてある。訪問介護員がディサービスの職員に利用者を引き継ぐ際、玄関から車までは送ってはならない、とか平気である。職務外だからだ。
ディサービスを利用したお婆さんを家まで送り、そのまま一緒に家に上がり込んで布団を敷き、ついでにオムツも交換して寝かせれば、それは訪問介護の仕事となる。また、介護職員は家政婦ではないから、訪問介護であっても犬の散歩やらリビングの清掃などはできないことも常識だ。つまり、あくまでも「利用者の生活空間」しか用を供さない。犬の散歩は生活支援でもなければ介助でもないからだ。料理もそうだ。利用者が「息子が来るからひとり分、多めに作ってください」と言っても、それは出来ない相談となる。料理をする人ならわかるが、どうせ作るならば一人前も三人前も手間は同じようなモノだ。どころか、多く作るほうが効率的であるし、経済的な場合すらある。しかし、コレもルールだ。やってはならないことはダメなのだ。
だから、森山さんは車椅子から降りれず、メシも喰えず、水も飲めず、大小便を垂れ流しながら、真っ暗な玄関でじっとしている他なかった。この話をしてくれた古参の女性職員も怒っていた。阿呆かと、馬鹿かと。だから自分はそんなことをせず、誰から文句を言われようが、ちゃんと布団を敷いて寝かせて、家族に連絡してから施設に戻るのだと威張って言った。介護保険の適用外?ンなこと知るかと。利用者の負担になるなら、自分が黙ってやればいいだけだと。臨機応変、ケース・バイ・ケース、これが仕事じゃないかと。
古参の女性職員は、ポテトフライを咥えて言う。
―――だから、楽しくないわけよ。
「いやいやいやいや、だから楽しいんでしょ?」
だから――――
「成果の出ない仕事」だと言う。利用者の認知症が回復し、どうもお世話になりました、それではそういうことでさようなら、は一度もないと。寝たきりの老人がある日、突然、立ち上がり、いやぁ、この施設の介護のお陰ですっかり良くなりました、どうもありがとう、御世話様でした、もないだろうと言うわけだ。どころか、みんな頗る順調に弱り果てて行く。今日より明日、来週、来月、来年に息をしているのは何人いるのか、みんなみんな死んでいく。家族が来て見送られる人もいる。知らん顔して「とりあえず、施設にお任せで」みたいなのもいる。最近、通夜に来ない家族もいた。職員と利用者さんで送った。
予期せず孤立した私に他の職員も襲いかかる。
「ちよたろさんは、まだ、わかってないんですよ、この仕事のキツさが」
この餓鬼、毒々しい色の液体を飲みながら生意気なことを抜かす。しかし、まあ、わかっていないと言われたら、それは、わかっているとは言い難いし、まだ、1年も経っていないし・・・
「毎日毎日、同じ場所で同じことして・・・・楽しいわけないじゃないですか」
なんだと畜生。それでは私がまるで馬鹿みたいじゃないか。しかし、まあ、それは毎日、私もウキウキするかと問われれば、それは、しないと言う他ない。で、でも、ウキウキすることばかりが人生じゃないぞ、ソワソワも大事だし、フワフワするときだってあるし・・
「医者だったらいいのにな~給料もいいしなぁ~」
だったらなればいいじゃん、と言えば、それは無理、と即答だ。そんな頭があったら、こんな仕事はしていないときた。ちょっと、その唐揚げは全部喰うな、私がまだ・・・
「ちよたろさん、休憩のとき、いつも新聞読んでますよね?面白いの?」
いや、面白いから読む、面白くないから読まない、というものでもなかろうと・・・いや、ちょっとマッテ。だったら、あんたらの楽しいこと、面白いことってなに?いま、こうやって職場の人らで飲んでるけど、コレは楽しいの?面白いの?ねえねえ?
「うぅ~~~ん・・・楽しくない人がいたら、それは楽しくない・・・ね?」
ンじゃ、その「楽しくない人」って誰のこと?
「それは・・・いろいろと・・・ねぇ?」
「そうそう。ムカつくヤツとか。阿呆な施設長とか?ww」
違う違う。楽しくない人、というのはね、楽しくないって言う人。つまり、あんたら。
楽しくない人っていうのはね、あーでもない、こーでもない、って不満ばかり言う人。私はいま楽しい。いや、正確に言うと、楽しくなってきた。さっきまではつまらなかった。
「―――なんで?」
『この中でエリザベス・ブラックウェルって人、知っている人いますか?いない?ああそう。ンじゃ、荻野吟子は?コレも知らない?ああそう。ンじゃ、ナイチンゲール、フローレンス・ナイチンゲールはどう?なるほど、コレは全員知ってるわけですか』
『エリザベス・ブラックウェルはイギリス人女性。おそらく初めて女性で医師免許取得した人。おそらく世界で初めて、女性として開業医もやってる。荻野吟子は日本人女性で初めてのお医者さん。どちらも1800年代後半。でも知らないでしょ?知らないんだなコレが。エリザベス・ブラックウェルなんて、名前も凄いけど、ナイチンゲールと一緒に看護学校作って働いたのに、ほとんどの人は知らないと思う。でも、それでもナイチンゲールは知ってる。もちろん、それは偉人伝とかになってるから。子供の頃読んだりしたと思う。ではなぜ、ナイチンゲールが偉人なのか。ここがポイント』
『ナイチンゲールがクリミア戦争に従軍してやったことは、先ず、便所掃除。十何人かのシスター連れてね。そのあとは夜の見回り。だから彼女は“ランプの貴婦人”とか言われた。彼女が“クリミアの天使”と言われるのはもっと後ね。ま、そこから白衣の天使とか言うんだけどね』
『ナイチンゲールが献身的に看ていたのは戦傷者。JINはドラマの話だから、現実の世界では1929年までフレミングはペニシリンを発見しないし、過酸化水素、それが医療用のオキシドールになるのも1920年のイギリスを待たなければならない。つまり、何にもない。包帯すら足りない。清潔な水だってあったかどうか怪しい。だから大怪我した兵隊は死ぬ他ない。ナイチンゲールはクリミア戦争を見て、わたしは地獄を見た、って言ってる。それでも献身的に、少しでも苦痛を和らげるように、少しでも安楽な方法を探した。死に逝く兵隊のために祈った』
『ナイチンゲールは死に逝く兵隊を見ながら、この人らを死に追いやったモノと戦う、とかも言ってる。これは私の解釈だけど、ナイチンゲールは、殺し合うなら殺し合え、殺すなら殺せ、それでも自分は“看護”するのだ、と言ってるような気がする。私が今、働いている職場のマトモな先輩諸氏、いま、この場でイカリング食べてるあなたも、利用者さんを人として、あるいは親として扱わない連中に腹を立てている。ンじゃ、自分らが仕事で大事に扱ってやるぜ、と憤っている。これはナイチンゲールと同じ感覚だと思う。だから、私はいま、楽しくなってきた。仲間と酒を飲んでいる気がしてきた』
私は例の如く、猪口を人数分注文した。さあ、飲んでもらう。コレが日本酒、大人の味だ。
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