忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2009.2.1

2009年02月01日 | 過去記事
女性2人をドラム缶で「生きたまま」焼き殺し、仮出所中にまたもや強盗殺人を犯し、身勝手な理由から連続強盗殺人を行った外道の死刑が執行された。「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」という団体(?)は「私たちは、死刑の廃止を願う多くの人たちとともに、また、森法務大臣に処刑された牧野さん、佐藤さん、川村さん、西本さんに代わり、そして連続的に死刑を執行させられている拘置所の職員に代わって、森法務大臣に対し強く抗議する」と息巻いている。▼もちろん、我らが福島瑞穂女史も本領発揮だ。「社民党は死刑制度が人道と社会正義に反するものとして、その存置に強い疑問を呈してきた立場から、今回の4人の死刑執行に強く抗議する」という抗議声明を出した。▼何の罪もない人間を、生きている人間を、生きたままドラム缶に詰め込み、ガソリンをかけて火を放つという「社会正義に反する行為」に対する法の執行に対し、なんという無茶苦茶な理論で威張っているのか。善人ぶるのは勝手だが、被害者の人権や遺族の心情はどこに捨て去ったのか。▼「言い出したら仕方がない人」というのはいる。また、明らかに矛盾しているのに開き直り「良いこと言ってるつもりの人」もいる。こいつらはその類であり、もう、話してわかる場所にいない。▼カルトと同じようなものだ。こちらが誠心誠意をもって、あくまでも客観的に、一般常識として説明すると、逆に哀れんだ目で見られるのだ。「かわいそうに・・・」と。まるで人類にとっての重大な危機を知らぬまま放蕩にふける愚か者のように扱われる。▼「自分たちは知っている」「自分たちは正しいことを言っている」という前提であるから、マトモな批判も通じない。一度、相手の言い分を考えてみようという姿勢はあり得ない。▼その原因は思考停止に過ぎないのだが、本人たちは「頭が良い」と思い込んでいる。「何もない」から負けることに耐えられない。翻すわけにはいかない。正当化し続けるしかない。▼「こういう人たち」はある意味、既に死刑囚なのだ。

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