忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

衆議院きょう解散へ15日公示・27日投開票自民党は午前の選対会議で公認問題決着

2024年10月09日 | 随感随筆



妻が新車を買ってきた。「買ってきた」というのは、私が関与していなかったからだ。つまり、勝手に私が乗る車を買ってきた。たしかにもう8年目だったから、そろそろかな、とは言っていた。しかし普通、そういう大きな買い物をする際は、いくら30年以上夫婦であっても一言くらい相談とかあるはずだ。ましてや、それを乗るのは私だという。

「おとしゃんにサプライズやねん」と50代半ばになっても可愛らしい妻は喜んでいたが、いくら車音痴の私であっても、せめて車種くらいは選ぶ権利はあるのではないか、と思ったが、言っても無駄なことはこの30年と少し、十分に身に染みていることも事実であった。

しかしながら、世の中からすべての無駄を排除すると共産主義みたいなアレになってしまう、と危惧した私は妻に挑んでみた。なんでそんなこと、相談もせずに買っちゃうの?

「それがサプライズやんか。なんやねん、喧嘩する気か」

思い出したことがある。我妻は「サプライズ」と称して、勝手に引っ越したことがある。当時の私は仕事に燃えていたので職場に泊まり込んで、毎日毎日、誰かと喧嘩しながら勝ち続けていた。何ヵ月ぶりかに妻が職場に迎えに来て、一緒に帰宅している途中、道順をナビゲーションしはじめた。なるほど。見た目はおっさんだが中身はおばはんな私のことだ。何か月か帰宅していないなら家を忘れる可能性もある。心配してくれているのだと従っていたが、明らかに見知らぬルートを選択し始める。ワザと遠回りさせる安モンのナビでもあるまいし、と訝しんでいたが、これはいよいよおかしいと気付き始める。

もしかすると、妻のほうが自宅の場所を失念しているのかもしれない。もしくは、頭の中で「アイスが食べたい」と思って、最寄りのアイス屋に行こうとしているのか、あるいは「犬みたい」でペットショップを探している可能性もある。私は質問をせず、指示されるとおりに運転していたが、やはり、聞いてみた。どこいくの?

「いえ」

やはり自宅のようだ。が、もう、明らかに住所が違う。鶏しかいない動物公園も図書館も過ぎた。大将の名をつけただけの安易なネーミングの居酒屋もとっくに過ぎている。

そのまま走っていると、妻から「そこひだり」。そして「駐車場はそこ。24ばん」とのことだった。初めて見る場所に緊張しながらも車を停めて降りると「こっち」と勝手に歩いていく。エレベーターに乗り、妻が階数ボタンを押す。私は知らぬ間に妻の身内がこの辺に引っ越してきて、いまから、おにいちゃんかおねえちゃんの自宅にお邪魔するつもりなのか、もしかすると数か月前に過ぎた私の誕生日を、まさかのサプライズのサプライズで祝うつもりなのか。半年くらい前やないかい!!とツッコむべきかどうかを逡巡していると、

「ついたで。じゃーん」。

玄関を開けると、どこかで見た顔の子供らがいると思ったら我が子だった。一緒に「じゃーん」とか言っている。「こっちがおとしゃんの部屋やで」と妻に案内されると、6畳ほどの洋室にどこかでみた本やらPCが置かれていた。私のモノだった。人に相談した。

「逃げるつもりだったんじゃ?」

まあ、普通はそう思う。周囲の反応はほとんどがそれだった。しかし、私から子供を連れて逃げるつもりなら、何故に職場に迎えに来る必要があったのか、それに親子揃って「じゃーん」とかアタオカとしか思えない。というか、何故に私が家族から逃げ出されねばならないのか、何故だ、ほわい、と思ったが、所詮は他人様だ。いわゆる「家庭の事情」というアレだが、常人の理解が及ぶところに我が妻はいない。つまり、私は理解していた。妻は本当にサプライズのつもりだった。だから、そのときも私の反応に不満を訴えていた。

「もっと、喜ぶと思ったのに、なんやねん」

今回もディーラーさんの前で同じことを言った。担当の営業社員は、私が本当に車種も何も知らなかったことに心底驚いてもいた。いや、悪いのは私だ。あの「引っ越しサプライズ」の際に妻と約束したのだった。

「引っ越しは勝手にしないこと。あと高いモノは勝手に買わないこと」

この「高いモノ」を具体的に言っていなかった私が悪い。金額の多寡など個人の価値観ではないか。我々をして手が出ない、と思う高価なモノを自民党幹部は平然と買うではないか。つまり、この場合は「普通自動車」とか、明確にしておくべきであった。これは早速、明日の朝いちばんで話し合っておく必要がある。最近、私が大谷翔平を好きだと信じている妻は、ややもすると記念ボールとかセカンドベースを何十万、何百万も出して購入する可能性がある。地区優勝したときのユニフォームを持って「じゃーん」など悪夢でしかない。

ということで、なんでいま、こんなことから書いているのかというと、ブログの更新が久しぶり過ぎて世の中、どうなっているのかわからないからだ。とくに留置場とかにいたわけではない。入院もしたが、それはもう、書いた。

最近のサプライズと言えば石破か。仕事中だったが、ネットニュースで第一回投票の結果を見て、祝杯の予定を考えながら仕事をしていると、しばらくして周囲がざわついた。

「え~~~」という嘆く声の中、一定数の「やったぁ!」もあった。おばちゃんだった。

私は見逃さずにおばちゃんに問うた。おばちゃんは興奮気味に「高市さんの顔が嫌いやねん。意地悪そうな顔やろ」と、やったぁの理由を教えてくれた。い、いや、それなら石破の顔は好きなのか、と問うも「男は顔ちゃうねん」とのことだった。このルッキズムに地上波のご都合主義を足したようなおばちゃんに私はさらに追いすがった。

「でも、女性初の総理大臣だったのにね」

「でも高市さんはアカン」

なんで?

おばちゃんは、あらまあ、しらないの?という表情で

「安倍の子分やし。今回の選挙でもずるいことしてたやんか」

いわゆる「リーフレット問題」のことだ。平の仕事はちゃんと結果を出していた。ただ、20年前と比して明らかに少数派だ。悲観の声を挙げていた社員らも呆れていた。ちゃんと知っている人はいるし、さすがにもう憤っている。これがいまの世論だ。

議員票も党員票も1位ながら総理総裁になれなかった、という事実は軽くない。勝てるはずもない、勝つつもりがあるのかも怪しいのが何人か出て、過半数に届かなかったら決選投票というルールも、ルールはルールだから仕方がない、とはいえ、これほどまでに「高市潰し」が堂々と行われていた中、多くの国民、ましてや票を投じた自民党員がすんなり受け入れるのには難しい。自民党に致命傷を負わせてまでも「高市だけは勝たせない」という明確な悪意の正体にも、多くの日本人はいま、やっとのことで気付いている。

うっかりする日本の有権者は減ってくる。平和呆けも冷めてくる。

先日も妻とメシ喰いに行った。まあ、少々お高いステーキの店だったが、他の客の外国人の多さに圧倒される。中国人も多い。我が社の社員、同僚はこういう店でメシが喰えているのか、と心配になった。また最近、私の周囲にもいるが、小銭を投じて資産運営、とか言っている若造をみると溜息が出る。世の資産家と呼ばれる人間はどれほど、命がけで金を増やしているか想像もできない。「必ず儲かる」が詐欺だというなら「かしこい運用で資産が増えます」も怪しいと思うのが世の常だ。そもそも、そんな生半可な付け焼刃のぺらぺらで金が溜まるなら世界に貧乏はない。何事も成功している人はすべからく「本気でやっている」が前提条件だ。目の前の仕事もふらふらなのに、なぜに小銭を人に預けて放っておけば増えると思うのか、

金は使わねば溜まる。稼げば増える。だから使うときは吟味する。使うと決めたら気前よく使う。そしてまた、稼いで貯める。先ずはコレがちゃんとできてから、の話である。

ところで、上司の給料も知っているが、安いとは言わんが、それでも子供育てながら、なんとか学費も捻出して、共働きでひいひいやっていると思われる金額だ。これも20年以上前から懸念していたことでもあった。日本人だけもらえないし取られるというルールの中、中長期的に見れば格差は当然ながら発生する。これがいま、視認されてきただけのことだ。

経済界から政治の世界まで、学校教育やマスコミにどれほどの中国人を蔓延らせているのか。これを「超限戦と言います」は20年以上前からずっとわかっていたことだ。それになんら対応せず、なんら対策もせず、ずっと放擲してきた「ツケ」はいま、膨大な負債となって日本人全員に公平に降り注ぐ。選挙に行く行かないどころでもなく、オノレの選挙区もよくしらない有権者は日々、仕事に学業にバイトに文句ばかり言いながら、怠惰な生き様に気付きもしなかった。いい歳こいた大人が「難しいから。よく知らないから。興味ないから。関係ないから」という理由で無関心でいる間に、隣近所にもナニ人かわからんのが大量発生し始めていた。

日本語を解さない中国人が運転免許を取得できるのは最近になってからでもない。人民解放軍をリストラされたような人間を「留学生」と称して大量に受け入れたのも20年以上前からである。「招き入れて」いるとして、返済不要の奨学金も出し、バイトしても所得税も取らず、日本人の学生にだけは負担を強いる状況も、いま、始まったわけでもない。

もう、どうしようもないレベルにきて、いま、もう、見て見ぬ振りもできなくなったわけだが、こちらが見て見ぬ振りせぬなら、あちらには「形振り構わぬ」という仕上げがある。教育とメディアは仕上がっている。もう、あんなの「反日勢力」でもない。単なる敵の組織である。NHKもわかってやっている。中国共産党の日本支部である。そんなところに、いまさら、日本の公共放送じゃないのか、は初に過ぎる。聞いてるこっちが小恥ずかしくて照れる。この能天気さが安倍元首相を護れなかった遠因だ。

高市さんにSPがついた、とニュースになった。大臣でもない国会議員に警護がつく、というのは日本では異例のことだが、状況はもう、既に「そうなっている」ということがわかる。

貧乏は胸張って誇ればいいが「貧困家庭」とか「低所得者層」には怒れ日本人よ。いったいなぜ、そうなっているのか、本気で考えよ。ナニ人か不明な政治家やマスコミに小馬鹿にされていることに憤れ。

いま、地上波テレビに映っている顔面の男がこの国の首相である。実に今の自民党らしい、いまの自民党にふさわしい総裁である。いまの日本の現実がこのおっさんである。我々の無関心、不勉強、不見識、体たらくがこのおっさんである。目を逸らさず、この事実を認めてから27日、投票に行くのである。地元選挙区の自民候補には総裁選で誰に投票したか、くらいは聞いていい。答えないならそれが答えだ。

一所懸命に働いているのに、マスカット如きが高くて買えない、と嘆く職場のおばちゃんがいるなら、山盛り買って机にドンと置き、サプライズです。みんなで分けて食べなさい、と言い放て日本男子よ。私は今から新車に乗って仕事に行く。ああ、もう。




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