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CO2「25%削減」見直し 岡田氏明言(産経新聞)>2012.6.1

2012年06月01日 | 過去記事

    



CO2「25%削減」見直し 岡田氏明言(産経新聞) - goo ニュース


< 岡田克也副総理は30日の衆院社会保障・税一体改革特別委員会で、温室効果ガス排出量を2020(平成32)年までに1990(同2)年比で25%削減する目標について「従来のような原発依存を望めない中で全体の見直しが必要になるのは間違いない」と述べ、撤回は不可避だと認めた。政府は、今夏にも新たな目標を打ち出す考えだ。

 岡田氏は、25%削減について「原発にかなり依存することを前提にはじかれた数字だ」と説明。政府のエネルギー・環境会議を中心に新たな目標を検討していることを明らかにした上で「どこかのタイミングで数字を決めて対外的に発信する」と述べた。

 25%削減は、政権交代直後の平成21年秋、鳩山由紀夫首相(当時)が国連演説で国際公約として打ち出したが、当初から実現困難との見方が強かった。竹本直一氏(自民)への答弁>







昨年2月。横浜市内で開かれた民主党神奈川県連のパーティーで、当時は幹事長だった岡田克也副総理は激しいヤジに晒された。「マニフェストを守れ」とか「挙党体制をしっかりしろ」というヤジに対し、岡田克也は真顔で<誰が見てもできないことをいつまでもできるというのは、まさしく国民に対する不正直だ>と開き直って出席者や支持者、その他の有権者を驚かせた。居直り強盗というか説教強盗というか、いったい、お前はなんなんだ、というのが素直な感想だった。同時に「本当に最悪な政党に政権を奪われたのだ」という現実も思い出した。この政党の恐ろしさはまだまだ、ルーピーや空き缶だけではないと、今更ながら背筋が凍ったものだ。

今月の30日に行われた衆院消費増税関連特別委員会では、消費税増税について民主党の近藤和也氏が質した。「マニフェスト違反と言われる。私も前の衆院選では、当選させてもらえば任期中は消費税は上げませんと言ってきた」と泣きごと半分、岡田副総理に「任期中の消費増税(方針の決定)に違和感があることは間違いありません」と正直に吐露すると、副総理は<マニフェスト違反とは思わない。(テニスでボールが線上に落ちる)オンラインみたいなものだ>と嘯いた。「ぎりぎりセーフ」だということだが、さて、それを判断する「審判」は民主党の副総理ではなく、民主党に1票を投じた有権者なはずだ。

こいつらは基本的なところを誤解している。普通、政党の政権公約においては「賛成か反対」というスタンスしかない。賛成派は「それでOK。よろしくどうぞ」と言う。反対派は「それじゃあダメだ。やるべきじゃない」と言う。郵政民営化もそうだった。防衛庁の省昇格もそうだった。定額給付金もそうだった。高速道路の土日1000円とか、エコポイントとかも同じ。人権擁護法案や夫婦別姓法案、外国人の地方参政権もそうだ。中身の不気味さはともかく、この法案、政策に賛成か反対か、ということで議論が進むのが普通だ。

これらの議論は「やるか・やらないか」を問うていた。中には「憲法改正」とか「ハードルが高い」と言われるものもあった。この場合の「ハードル」というのは、単純に「数」のことだったりした。日本国憲法第96条で憲法改正の手続きが定められている、とはいえ、これが二段構えの高いハードルになっていた。衆議院、参議院それぞれの総議員3分の2の賛成で「憲法改正案」が発議される。そして今度はその改正案を国民投票にかけて、過半数の賛成を得なければならない、これが「ハードル」の正体だった。だから政治家は「やります」とか「できます」ではなく「努力します」とか「実現を目指します」と言うことになる。もし、これに対して「やります」と断言すれば、それは解散して信を問う以外、方途がないはずだった。だから小泉純一郎はそうした。

2009年の「悪夢の政権交代」の際、民主党のマニフェストは「賛成・反対」という議論はされなかった。実のところ「可能・不可能」のレベルの議論がなされていた。頭がマトモな有権者は「不可能だ」と言った。そんなウマい話はないと。どう考えても民主党の言うことはおかしいと。どう考えても不可能なことばかりだと。だから「できないことを言う民主党はウソつき、詐欺師だ」と警鐘を鳴らした。民主党に「一度ヤラせてみよう」と言う人が周囲にいれば、どうか冷静に、どうか再考してもらえないかと懇願するほど、民主党の政権公約は出鱈目に過ぎた。結果は蓋を開けるまでもなかった。民主党は「マニフェスト言い分け集」まで作成した。前代未聞の公約詐欺が露呈された。

民主党のマニフェストに対する「反対」とは不思議な反対だった。それはできるなら結構なことだけど・・・という反対が過半だった。なにか特殊、特別な理由がない限り「ガソリンを安く」に反対する人はいない。ただ、それをどうやってするのか?大した考えもなく、そんなことして大丈夫なのか?という疑問、不安だった。鳩山の「最低でも県外」とか「CO2の25%削減」もそう。その他の影響、具体的な計画、そしてその結果が示されぬまま、その場その場の人間に喜んでもらえるだけの言葉を羅列するから、マトモな頭の有権者は溜息を吐く他なかった。

そして都度、その言い抜けは酷い有様だった。「法的に問題ない」「知らなかった」「そういうつもりで申し上げたのではない」「方便だった」「とらすとみー」――――

<従来のような原発依存を望めない中で全体の見直しが必要になるのは間違いない>も詭弁に過ぎない。そんなの鳩山由紀夫が国連で演説する前からのことだ。みんな馬鹿なことを・・・と呆れていた。原発は後付け、結果オーライということだ。その証拠に、あのとき鳩山政権は「環境税」を言い出した。日本人にいま流行の節電でもなく、新たに税金を作って支払わせ、さらには途上国に金を払うことを「エコ」だと強弁した。

増税はしない。赤字国債は刷らない。埋蔵金がある。無駄遣いをなくせばよろし。予算を組み換えるだけ。新しい予算は必要ない。将来の子供に負担を残してはいけない。国民生活という母屋に予算を取り戻し家計所得を2割増やす――――全部ウソだった。しかし、頭のマトモな有権者は誰も驚かなかった。嘘だと知っていたからだった。

もう騙されるのは勘弁だ。民主党に投じた有権者を虐めるつもりもない。ただ、現政権のていたらく、売国ぶり、無能ぶり、恥ずべき国家運営は「有権者の責任」だ。いまの日本、もう「二度目」を受容できる余裕はない。本当に「次」で滅びるかもしれない。

どこの馬の骨がわからない、どこの誰だかも知らない、何を考えているのかも知らない、どんな経歴だったのかも興味ない、ただ人気の看板がかけてあった、で投票するのはもう勘弁だ。雰囲気とか風とかムードとか、もう結構、もういい加減に懲りたはずだ。



関西電力大飯原発3、4号機が再稼働すると決まった。「電気は足りるんです。騙されちゃダメですよ」と強硬に反対していた「浪速の剛腕」は<机上の論だけではいかないのが現実の政治だ。エネルギー供給体制の変革も進んでおり、この夏を乗り切るための一時的な稼働はご理解いただくしかない>ということらしい。事実上の容認だが、この人気爆発の第三局の「浪速の剛腕」が、近い日に「浪速のルーピー」に落ちぶれないことを祈るばかりだ。




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