忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「NSI」

2008年07月01日 | 過去記事

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」1

いやぁ、バタバタとした。

もう、バタバタしすぎてちょっと“浮いた”ほどだ。

『自分が悪い』というなかれ。その通りだから(笑)。

妻も『最近の私の異変』には気付いているようで、いつもの6月後半よりも我侭はマシだった。この最近では「スイカ買ってきて」とか「さくらんぼぼぼぼ」くらいであろうか。

先日も、深夜遅くの「帰るコール(古い)」の際、朝まで自室に篭ろうと企てた私が「アイスコーヒーのストック」を確認すると、

妻(寝起き):「あいすこー??・・・・」

私:『あるのか、ないのかだけ教えてくれんかな??』

妻:「うぅ~~あ~~~~あ~~~~・・・・」

私:『あ~~~~る・・?なぁ~~~~い?』

妻:「あぁぁ~~~~・・・・・」

私:「る?なぁ~~~~い・・・・?」

妻:「れ!!」

私:『・・・・!!れ??あ~~れ??コーヒー、あ~れ??』

妻:「れ!!・・・・・うぅ~~」

私:『・・願望??あったらいいということ?“コーヒーよ、あれ!!”って??』

妻:「もうぉ!!れ!!」

私:『・・・・・・・。わ、わかたよ・・・』

-

無論、「ある」に賭けた私は間違っていた。
普通に全然なかった。買って帰ればよかったと、今は反省している。

「2」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」2

しかし、そんなバタバタの中でも、妻の誕生日は忘れない私であった。妻は「忘れている」と決め付けていたようだが、そんな「大切なこと」を忘れるほど忙しいなら、仕事なんぞ辞めたほうがいい。

ただ、そんな「おとしゃん」のアイスコーヒーはストックしておいてくれという今日この頃、そんな妻も40にして「祖母」。孫の「そーちゃん」はもうスタコラ歩く。ほらほら、じーじだよ♪ほっぺた噛ませろぉ♪あはは♪

こんばんは。ちよたろです。

さてさて、恒例の映画紹介コーナーから(やったときない)。

http://kodomonokodomo.jp/
<コドモのコドモ>

さっき、canakoのブログから拾ってきたww

なんと、今度は「小学生」が妊娠!!

ストーリーのようなモノを読んでみるとだな・・・

小学5年生の女の子が幼なじみの男の子と「くっつけっこ」という遊びをする。で、妊娠してしまうのであった。だんだんと大きくなるお腹。それでも女の子と友達は、コドモのチカラだけで赤ちゃんを育てようとするのだった。小学5年生の妊娠、出産という衝撃的なテーマを通して「子供達の力強さ」と「命の尊さ」を考えるんだと。

映画のキャッチはこんなんだ。

“春奈。小学5年生。出産まで115日。お腹の中にはみんなの愛がつまってます。”

なんだ?

みんなにヤラれたのか?おいおい・・・

なにが「くっつけっこ」だ。そんな風に教えておらんくせに。狂ってるというか、腐ってるな。完全に。吐き気がする。

で、調べてみたら、

やっぱり毎日新聞からんでたww

http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20080530spn00m200004000c.html
<奥田民生:初映画主題歌 「コドモのコドモ」>

もちろん、もう、削除されてますがね。さすが変態新聞。

で、某巨大掲示板なんかで叩かれまくってるから、毎日新聞のサイトを覗く。特集のとこ。

「3」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」3

正気ですか?コレ?

6月26日 抱かれてから火がつく女、抱いたら冷める男

6月23日 夫に言えない妻達の理想のセックス

6月19日 すぐ寝る女は愛される?男の恋愛深層心理

6月16日 彼がセックスをしたがるのは愛がある証拠?

6月12日 夫が幻滅する下着姿・抱かれる妻の下着選び

6月9日 初対面で男性のセックス傾向を見分ける秘訣

6月6日 「自分勝手なSEXをする男」に喝!

6月2日 恋のはじまりにSEXの相性をよく見せる方法

5月26日 プロポーズしたい、されたい場所BEST5

5月22日 恋の賞味期限になる前にプロポーズ

5月19日 男がプロポーズしたいと思うタイミングとは?

5月15日 プロポーズ目前、男が逃げたくなる女の発言

5月12日 恋するよりも「結婚できる年下男」を探せ!

5月9日 元カノとうまく付き合う方法とは?

5月7日 彼女に見切られるNGポイント4

5月1日 結婚に向いていない人は、結婚すべきでない?

たまってるんすか?毎日さんは。

もちろん私も、某巨大掲示板から「チラシ」をコピーして、あちこちに『置き忘れて』いますがね。最近、バタバタしててね、うっかりポカが多くて・・・・すいませんね。

早く潰れろ。腐れ売国新聞。死紙に変態よ。(※中傷の意図はありません)

「4」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」4

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在日つながりで申し訳ないが(笑)、私の大好物が美味しいところで面白くないことになっている。ああぁ・・・ふぐ喰いたし・・・・ああぁぁ~~~

さすがに、朝日新聞(死に紙)が詳しく書いてる。

http://mytown.asahi.com/yamaguchi/news.php?k_id=36000000806280002
<植民地支配 認識に溝/下関市教育長発言>

イクイクマイトガイ・井筒並みの阿呆レベルであるな。
このレベルは久しぶりだ。

つまぁり、だ。

「各種学校」扱いとなる朝鮮学校が、自治体の助成策だけではなく、国庫から補助金を出さんかいと「嶋倉教育長」に求めて断られたわけだ。で、断られた「山口朝鮮学園の金鍾九理事長」と保護者などが、

「日本は韓国を植民地化して~~~~」

という「井筒レベル」のヤカラを理由に「だから出せ」と迫ったわけだ。

んで、そういわれた「嶋倉教育長」は、極当たり前に、普通の感覚で、

「植民地支配ではなく、併合ではないですか?歴史的事実でないことを根拠にするのはダメじゃないですか?」

と諭したところ、ふぁぴょーん!!となって、なにやら民主党まで出てきて謝罪と撤回を求められているそうな。そして、私がここで確認しておきたいことは、

もうすぐ、こんなことくらいは、とりあげるまでもなくなる

ということだ。珍しくもなくなるだろう。より「都合の良い情報」や「辻褄の合う報道」がなされるだろう。もう、これですら「かなりの無茶」なわけである。映画にする阿呆とか、本に書くキチガイはともかく、このような公の場で政党までもが出張ってくるということがもう、何らかの根拠に基づいた行動なのであると私は思う。

「5」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」5

つまり、意図的に取り上げている感すらあるわけだ。自信の裏返しであり、目的達成のプロセスとして認識されているのではないか?淡々と履行される「捏造報道」を鑑みるまでもなく、バレるまで(バレても)出さない報道機関(笑)が取り上げているということ自体、薄気味悪いと思わねばならん。

で、朝日新聞(死に紙)は、これでどうだとばかり教科書の記述を載せる。これが我々の成果、それもほんの一部であるぞとシュプレヒコールを挙げる。

普通の人は頭を抱え込む。

< ◆下関市内で使われている教科書の記述(抜粋)
「日本は韓国の植民地化を進め、陸軍・海軍の軍備を増強させるなど、帝国主義国としての動きを活発にさせていきました」「1910年、日本は韓国を併合して、植民地としました(韓国併合)。朝鮮総督府をおいて支配を開始し、韓国を朝鮮と改め、首都漢城(現在のソウル)も京城と名をかえさせました」=「社会科中学生の歴史」(帝国書院)

「日清戦争ののち、台湾を植民地とした日本は、日ロ戦争後、朝鮮(韓国)を支配しようとしました。朝鮮の人々の抵抗を軍隊がおさえ、1910年(明治43年)、朝鮮を併合しました(韓国併合)。植民地の学校では、日本語の教育を受けることになり、朝鮮の歴史は教えられず、民族のほこりを大きくきずつけられました。土地の制度が変えられ、その結果、多くの朝鮮の人々が土地を失いました」=小学校の「新編新しい社会6上」(東京書籍) >

国際社会、いや、清やロシアですらも承認したということも、どこからの抗議もなかったということも書かない。当時の歴史的背景に一切触れず、まるで朝鮮が主権国家、独立国家であったかのような記述はどういうことか。下関の学校であるのに「下関条約」締結における「朝鮮の清国からの独立」を承認する米国の通達もスルーしている教科書とは?

「6」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」6

日本語の教育だぁ?1942年での「日本語普及率」は、たしか20%ほどだったと思うが、ならば、よほど朝鮮人が阿呆だということか?差別してるのか?この教科書は?ああぁん?

・・・などと、こんな「プロパガンダきょうかしょ」に突っ込んでも詮無い話なのだ(笑)。読者諸賢はともかく、まあ、ほんと、私の周囲では何の反応もない(泣笑)。

きっと、どうでもいいんだろう。

「物価が高い」と嘆いて見せても、ではなぜ高いのかはわからない。

「税金がまだ上がる」とわいれて、旦那の小遣いを減らすも(我が家ではないww)、では、なぜ、まだ上がるのかは知らない。「税金の無駄遣い、居酒屋タクシーはけしからん!」とワイドショーと共に怒って見せるも、もっと凶悪な「無駄遣い」は興味ない。

「知らない・わからない・興味ない」で国が滅びる。

「誰がやっても一緒」と斜に構えて選挙権を行使しなかったツケは、議会制民主主義の国だからこそ利息がついて支払うことになろう。己の金策に奔走し、己の既得損益のみを重視し、そのためには国を売ろうが領土を売ろうが、国民がさらわれようが殺されようが、その場しのぎと開き直りで切り抜ける売国奴に、いつまでもいつまでも議員バッジをつけさせて国会でのうのうとさせていたツケを払うがよい。

さあ、もう破産するしかないほどの「金利」を前にどうあがくのか。首を吊るのか、降参するのかと問えば、満面の笑顔で「降参しますとも!」という列島に生息するヒトなどには「憲法9条」がぴったりだ。

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でも、私は、これからも一所懸命にバタバタしたいと思う。

「そんなの知らないっす!」

という愛すべき阿呆どもと勉強しながら、少しでも「前」に進みたいと思う。仕事をして、酒を飲んで、家族と仲間と生きて行きたいと思う。ただ、それだけのことに理屈もなにもない。それはもう、なんか、仕方がない(笑)。

「7」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」7

私は生来の「生意気」が災いして、皮肉にも『30を過ぎて』から「先生」と呼べる人に多く出会ったと、ありがたく思う。そしてそれは、これからもそうであって欲しい。

そして、例えば「虹の会」とは「そんな(場所)ところ」なのだと思う。

いろんな人がいろんなことを言う。最近、「海の向こうから」送られてきた「応援メール」には勇気付けられた。モチベーションが戻ったというか健全化されたww

もちろん、批判もあろう。会費制やデモなどの参加についての賛否両論もあろう。それらは真摯に受け止めるところではあるが、誤解を恐れずにいえば、所詮は「仕事(職業)」ではないのだ。

先日も会長と電話で、

「まあ、どうでもいいじゃないですか。そもそもは、ただ、ハゲとデブが日本って好きだなぁ・・・日本っていいなぁ・・・とか言いながら酒飲んでただけではないですかww」

と笑いあった。そう。それだけなのだ。

そこに「ネット」という媒体を通じて、あるいは「職場の仲間」であったり、「家族」であったりする「仲間」が集っただけの話である。少なくとも、私も会長も「そのまま」であるし、それはこの先も変わらない。それは、どんな「先生」が来ようとも変わらない。

私は2007年「虹の会発足」に際して、このような説明文を書いていた。抜粋する。

<(前略)大切なのは「日常からの声」であり、一般的な「国民からの働きかけ」であることは言うまでもなく、すなわち「非常時における緊急招集」であることが前提となるのであります。普段は日本国民(在民)としての役割を十分に果たし、社会や地域に目を向けて家族というもののあり方を考えながら、その延長線上において「国を憂いている」という良民の集合体であります。そしてこの「憂国談義」なる「有志の集い」において、より一層の国民が参加することを促すことに意義はあります。(後略)>

「8」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」8

虹の会・会長:二代目弥右衛門は、

「暗雲立ち込める日本の空に虹が架かれば会は解散するんです!解散を目的とした会です!」

と言う。しかしながら、現状の日本の真っ暗な空を鑑みるに、それは「会長の髪の毛がゴーゴーフサフサ」となるか「私がスリムビューティー&ビューティー」になるかの如く、おそらくは寿命が尽き果てるほど先の話であろう。生命を維持している間には間に合うという希望すらない(笑)。

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「人の価値観」まではわからない。とくに「保守とは!」などといわれても困る。当たり前だが、運動家とか活動家でもない。ンなもん、本物に怒られるほどお粗末なもんだ。

繰り返す。

「虹の会」とは、普通の「おとしゃん」とか「主婦」、「おっさん」に「学生さん」や「フリーター」や「ニート(※おっさん連中に働け!と怒られますがww)」の集合体であり、保守団体ですらないかもしれず、ましてや右翼などとは全く違うということだ。

だが、

それを否定してもいい。

批判してもいいし、不参加でもいい。

失敗しながらでもいいし、反省しながらでもいい。

警戒しながらでもいい。疑ってもいい。馬鹿にしてもいい。

遊び感覚でもいいではないか。

ともかく、

なんとかせんといかんのだ。(NSI・なんとか・せんと・いかん)

己の焦りをベースとし、価値観を求め、理屈をこねくり回し、揚げ足の取り合いでは「何も」進まない。イデオロギーや思想で連帯しているのではないと断じておく。

「9」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」9

しかし、例えば、だ。

竹島の問題について、

「日本固有の領土です。」

というスタンスは必要だ。これをイデオロギーというかどうかは知ったことではない。ここで「戦争してでも取り返せ!」という過激な人、「国際法廷ではっきりさせろ!」という理論的な人、「まあ、そのうち返すんぢゃないの?」というお気楽な人に共通していることは「NSI・なんとか・せんと・いかん」ではないのか?その「価値感」を共有しようとしているだけだ。「南京あるある大虐殺」はあったのか?「いんや、なかったっす!」という常識だけでいいのである。それこそが「普通の日本人」の意見ではないか。

そこに「やり方」や「主旨」を問う必要がどこにあるのか?それこそまさに「運動家」の求める意義ではないのか?「そんなヌルイことやってたらダメ」という批判と「そんなことまでするのか?」という疑問は、その根底を同じくする愚問である。

「わからない」から「こんなこと」しているのだ。

常識の範疇で判断して参加したり、手伝ったりもする。逆に「行かなかったり、無視したり(笑)」もする。いずれにせよ、あくまでも常識の範疇で行動しているのだ。だから、客観的に見て「アドバイス」こそしてくれても、「なんか違う」とか「それはいかがなものか?」とか言われてもどうしたものか。はっきり言って「そうですねぇ?」としか言えんww

だが、明確なことはある。例えば、竹島を「独島」と呼ぶ人は参加させない。お断りだ。それはもう、虹の会では「普通の日本人」と呼べないからだ。基準があるとすればそれくらいなもんである。で、それだけでいいと思う。

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それと、コレは蛇足だが――――

仕事でも感じる私の主観であるのだが、ちょっと上から目線の大上段で振りかぶって書くが、私の日記だから文句は聞かない(笑)。

※ここからは気分を害する可能性があります。

「10」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」10

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私は3度、転職をした。転勤はもっとした(当たり前)。

で、そこそこ仕事に慣れてくると「問題」が見えてくることがある。それなりの職位となって転勤した際などは「初日」から気付いたり、転勤前から知っていたりする。極端に言えば「何とかして来い」と言われることすらあった。

みんな困ってる。で、私は考える。調査して準備もする。

でも、思う。

リスクがあるのだ。よく考えるまでもなく、私だって普通に仕事して、普通に家に帰って、普通に給与をもらっていたい。たかが「勤め先」ではないか。「問題」に気付かないフリをしながら仕事をすることもできる。それはそんなに難しくもない。

「正義感」だと思っていた。恥ずかしくも勘違いしていたのだ。私の評判を聞きつけ、転勤初日に「助けてください!」とドラマがかった阿呆もいた。私もその気になった。

資料(証拠)をまとめて報告し、その改善策も提出する。私自身がプロジェクトリーダーとなって奔走する。摩擦や軋轢もある。でも、邪魔は撃破するか取り込んでしまう。で、いつしか業務効率が上がり、サービス残業がなくなったと現場も喜ぶ。結果、業績も上がるので上層部も評価することになる。「働きやすくなった」と離職率も下がる。

そこで言いたい。

普通はこの場合、3種類の人間に分類されるのだが・・・

1:問題となる人(改善すべき対象。不正絡みなら救えない。)
2:敵に回る人 (動機は二つ。既得損益を脅かすか、単なるやっかみ。)
3:味方になる人(被害者である人。味方になるのは以外に少ない。)

実は「もうひとつ」あることに気付いた。

4:信じない人

これは、あっさり言うと、

「そんなことで、本当に改善されるのか?」

と詰め寄ってくる人のことである。

「11」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」11

無論、敵でもない。むしろ「味方に近い」存在である。

とはいえ、「ならば、こうすればどうか?」というアドバイスはない。ただ、

「本当にそうなるのか?」
「そうじゃないんじゃないか?」
「意図がわからない。」
「協力したいが、そのようなことでは無理だ。」

とネガティブに言い放つ。

こっちは「NSI・なんとか・せんと・いかん」から、「なんとかしようと」している。とはいえ、完全にパーフェクトに自信満々であるわけではない。ともかく、手をつけられるところはどこか、どこからなにをすればよいのかを模索しながら奔走しているのである。

「正義感」なんかではなかった。

それこそが、

「公共心」だったわけである。

確かに振り返れば、私の口癖は、

「おじいちゃんのことが好き。おじいちゃんにはちゃんとしたい。」

であった。「おじいちゃん」というのはグループの会長である。

私を突き動かしていたのは、いつでも「会長」であり「社長」という「存在」であった。

忠誠心といえばカッコが良すぎるだろうか。

私は現在でも、部下に対しては「NOを出すときはYESも出せ。」と言う。言い逃げは許さない。ならば、黙って従えと言う。先ず、別の「YES」を探せと、それから「NO」を出せと、でなければ、全てが止まってしまうという怖さがある。

「信じること」とは、「信じられるものを探す」ということでもある。

ともかく、来たばっかりでよくわからんが、みんなの職場をなんとかしようぜ!という私の熱意や気持ちを「信じてくれる」人もいた。それは「失敗を咎める人」ではなく「失敗を補ってくれる人」であった。

「やろうとすることに賛同する」ということはそうであると思いたい。

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この際だから、はっきり書いておこう。

私が「虹の会の会長」に賛同するのはなぜか?いや、河内屋顧問をはじめ、多くの賛同者が「虹の会の会長」を「信じる根拠」とはなにか?

それは、「おばあちゃん」であるのだ。

あの明治生まれの会長の祖母様のことである。残念なことに、昨年、亡くなった。5月22日。なんとも因果なことに私の誕生日でもある。

「12」へ

■2008/07/01 (火) ガチコメ的「NSI」12

「おばあちゃんが繋いだ縁」なのである。会長の「ハゲリーマン」時代の日記もそうだし、私や河内屋顧問、その他大勢の虹の諸賢は「あの姿勢」に胸を打たれ、大切なことを意識するに至った。大阪護国神社で小雨降る中、車椅子を押して語りかける会長の「人柄」に惚れたのだ。雨粒を吸った桜の木の下、車椅子を押す後姿に手を合わせたくなったのだ。

理屈ではない。イデオロギーとは笑わせる。

主旨などクソ喰らえ。

人が人を信じないで、なにが「日本国を憂う」のか。

私は、万が一、虹の会長が失敗しても咎めん。それを補うためにいるのである。私は、万が一、虹の会長が方向性を失っても咎めん。速やかに修正する。そのためにいるのだ。

普通に飲んでたおっさん同士が「NSI・なんとか・せんと・いかん」と思った。太ったほうのおっさんは、ハゲたほうのおっさんの人柄に惚れた。「なにかするなら手伝いたい」と思った。ただ、それだけなのだ。理屈も主旨も「後付」だ。

工作員1号・2号も快く参加してくれる。今までも、ことあるごとに動力となり、宴席ではウェイターにもなり、大いに活躍してくれたことは、私だけでなく「虹の諸賢」もご存知かと思う。今回も、なけなしの小遣いから1万円を捻出するという(笑)。

理由は聞かないでもわかる。

私を信じているし、私が信じる人を信じているだけだ。

そして、そんな彼らを私も信じている。

もちろん、虹の会員諸賢も。

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