今日は我妻の誕生日であり、久しぶりに書くさるさる日記には「ソレ」を書こうと思っていたのだが止めた。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080627/kor0806272226014-n1.htm
<役割終えた冷却塔爆破で対米交渉 北したたか>
誰かが言っていた。
「戦争の弱い国ほど外交は上手い」
愕然とするほど真実だ。つまり、逆も然りである。
では、「日本は戦争強いのか?」と問われれば、「いや、できないんです。」としか答えようもないのだが、そのあとにはこう続く。
「でも、しやけど、バックについてるアメリカが最強ですねん。」
軍事力がある国、いや、もっと正確に言うと、戦意溢れる勇猛な国(※左派は意図的に誤読するだろうが、この意味は己の国の安全が脅かされたら武器を取って護るという気概のことである。言うまでもないが、単に野蛮な国など無い。)は妥協をするにも義を欠かさない。「それは我が国にとってどういうことなのか」を審議し、祖国を軽んじたものでないかどうか、子々孫々に「恥」となることではないかを問題視する。その国における「正義」を重視し、伝統を重んじる。用意周到ではあっても姑息ではなく、威風堂々であっても威張ってはおらず、目をぎらつかせていても他人の顔色は関係ない。
そして、姑息にも強国に取り入り、裏切りを是とし、嘘を手腕とする国の民は、自国に対する誇りもなく、統べる者は単なる「時の為政者」に過ぎず、民選からならざる政治指導者は己の保身と金集めに明け暮れ、愛国心など、民を扇動するがための「用具」と堕している。
独立国家は、その外交力(軍事力含む)をもって自国の国益を得なければならない。それは、例えば戦争の形が人対人、船対船、飛行機対飛行機、核兵器対核兵器と移り変わる歴史の中においても、己が国益を拡張する、もしくは既得損益を護るために戦ってきたわけである。その観点からして、やはり、アメリカは間違っていないと言わざるを得ない。
「2」へ
■2008/06/27 (金) 「連鎖する絶望」2
もちろん、人道的に道義的には外道に位置する振る舞いもある。しかしながら、国家としてならばどうか。日本国との「同盟」と、アメリカ国内の問題からなる「国益」を天秤にかけて、万が一でも「同盟」を取るような餓鬼っぽい国家だったとすれば、あの大東亜戦争にして連合軍の敗戦は決定的だったのではないか?先の大戦の際、占領軍として乗り込んできたGHQ(日本占領連合軍)の最高司令官はコーンパイプを燻らせながら、
「アメリカが40歳ならば、日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある。」
と述べたというが、たかが一回、戦争に勝ったくらいで、歴史も伝統もある日本国に対し、所詮は人工国家風情が何をエラそうにと言う前に、普通に(冷静に)考えてみると、マッカーサーはその「外交手腕」に対してのみ評価した言葉であったと知れている。
純真な少年が、でかい大砲にビビらされて、薄汚い大人たちの世界に「無理矢理」に放り出されたと揶揄することからみえるものは、「このままじゃやばい」という危機感と同時に、周囲の「かっこいい大人」の真似をせねばならんと、タブタブのスーツを着てみせた少年の姿ではなかったか。そして、懸命に学び、鍛錬した少年は8歳か、9歳のころ町内のゴロツキをぶっ飛ばす。周囲が唖然としていると、今度はマフィアの親玉から一本取ってみせる。蓋を開けてみると、実に「ケンカが強い少年」だったわけだ。
しかし、決して「ケンカが好き」なわけではなかった。愚直に頭をさげ、損な役割も引き受ける。小手先も器用な、金儲けの上手い少年だった。
そして、とどめを刺し損ねた町内のゴロツキと揉めている間、ギャングは少年を追い詰める。それでも少年は「自分が生きるために」戦わざるを得ない。気合と根性、知恵と努力で立ち向かうも、ギャングのボスはとうとうピストルを抜く。両膝を撃ち抜かれた少年の体はボロボロだった。その時が「12歳」というわけだな。
あれから63年。つまり、「75歳」。なんとも面妖な。
なんだ、日本国自身が後期高齢者ではないか。
「3」へ
■2008/06/27 (金) 「連鎖する絶望」3
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金満主義と平和ボケで、かつての「純心で強かった少年」の面影は消えた。己の両膝を撃ち抜いたギャングのボスの子分と成り果て、今、もう、その価値すらが希薄となりつつある。「戦争の強い国は外交が下手。逆も然り。」
では、「戦争のできない国」の外交とは・・・?
そう。
上手いも下手もないのである。それがこの様だ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080627/plc0806271201004-n1.htm
<テロ支援指定解除、唯一のカードではない 官房長官>
国家の縮図はコミュニティである。そして更にその最小形態といえば、無論、「家庭」という共同体であろう。この拉致問題。つまるところ、己の家族(国民)が攫われても助けられないというだけの話なのである。最初に戻ると、如何なる国家であれ、如何なる時代であれ、およそ国家とは自国の国益のために考え、行動し、また、戦うことも辞さないわけだ。そのためにならば、同盟国であるアメリカに協力を頼むことも「手段」のひとつとして数えることもおかしくはない。しかし、もう明らかにアメリカは困っている。困っているどころか苛立ちすら隠さなくなった。ブッシュの個人的感傷はともかく、アメリカという国家とすれば、
「もう勝手にしてくれよ。おたくも主権国家でショ?」
と放擲されているに等しいわけだ。しかし、日本国にとって、拉致被害者の方々やその家族の方々にとっては、「アメリカ、実に身勝手極まりない」と愚痴る時間はない。
「北朝鮮は崩壊する、その時こそ好機。」と言っている場合でもなくなった。だって北朝鮮は崩壊しない。韓国は難民が困るから太陽政策を続けた。それがやっと終わったとなれば、大統領が変わってすぐ、「肉」だけであの騒ぎである。韓国内の左派が活動し始めているのだろう。それに統一朝鮮が民主主義なれば金正日一族の存続は危うい。安易な南北朝鮮統一はあり得ない。
「4」へ
■2008/06/27 (金) 「連鎖する絶望」4
また、支那も懐に「民主主義の統一国家」の誕生は困るだろう。だから北朝鮮を延命させる。宗主国様であり続ける。アメリカはもう日本を観ていない。もう、監視する必要もない。とっくに属国化しているではないか。
日本国の首相とやらは、テロ国家指定解除を受けて「歓迎する」と世界仰天発言をされている。その恥と名を暗黒の歴史に刻むことだろう。
なればもう、経済制裁どころか、日本からの経済援助も引きずり出されることになるかもしれない。国辱の腐れ内閣の支持率などどうでもよいが、それでも国内世論を鎮めるために「そのためだけに用意された拉致被害者」が何人か戻るだろう。それで解決、日朝国交正常化とする筋書きは明らかではないか。拉致被害者の方々は絶望に暮れることだろう。
http://www.asahi.com/special/08001/TKY200806260296.html
<「日本、顧みられない」拉致被害者家族に危機感>
すなわち、この「危機感」とは「拉致被害者家族の方々だけの問題ではない」と繰り返し繰り返し述べられてきた。自分の家族が拉致されている被害者家族の方々は、ずっと「これは日本人の問題です。」と訴えてこられた。日本民族の子々孫々の運命であると訴えてられるわけだ。そして、それは決して大袈裟なことではないともう気づいているだろうか。
周囲に蔓延する無表情、無関心、無慈悲に絶望しそうになる。あと半年の大統領が「忘れない」と言ってくれたところで何の解決にもならん。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/080626/amr0806262143020-n1.htm
<「拉致問題、決して忘れない」 ブッシュ米大統領が表明>
急速に日本が壊れていく。
年配の保守の方は「我々世代ではないかもしれないが、子々孫々の代には大変なことになる。」と言う。しかし、例えば「私くらいの年代」からすれば、まさに当事者の問題であると明白である。我々世代はもう、年金問題や医療問題どころではないのかもしれない。
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