私が実家というか、地元から離れていた理由は、先ず仕事。それから本音の部分には「カネの無心」があった。17歳で実家を出た理由もそれになる。もちろん、親の面倒を見よ、はわかる。だから私も母親にだけは援助も続けてきた。問題はその姉妹や親戚になる。
子供の頃は可愛がってもらった。小遣いもくれたし、遊びにも連れて行ってくれた。しかし、社会に出て働きだすと、給料日には一斉に「お願いがあるんだけど」ときた。現金支給だった給料は見事に散って消えた。名目は「貸して」だが、返ってくることはまずない、というパターンだ。
結婚しても同じ。「手持ちがなくて貸せない」というと「借りて来い」だった。若かりし頃の私は「ホンマに困ってるのか」と思って何度か、30万とか50万とか借りて渡した。もちろん、返してくれるわけもないからエライ目に遭った。そのうち疲れ果てた私が嘘をついて「事情があって借りられない」というと、なんと、私の妻に「あんたの名義で50万、明日までになんとかして」と頼んでいた。その借金の理由も嘘だった。中学生の子供まで使って私を騙そうとしていた。咎めると逆上。口汚い言葉で私や妻を罵った。付き合いを止めた。
過日、見知らぬ番号から電話があった。付き合いが切れていた叔母の子供からだった。子供と言っても、もう20代半ばになる女性だ。久しぶり、とか社交辞令の挨拶が済むと、なんともまあ、叔母が死んだと言う。地元は狭い町だ。私も「危ない」とは知っていた。人伝に聞いてもいた。それから「葬儀も済んだ」とか。とりあえず、改めて驚き、それからショックだった。叔母はまだ若かった。50代を過ぎたばかりだった。無茶が祟った。
それじゃあ、線香の一本でも、と言うと「他の身内には言わないで」とのことだった。でも「ちよたろ兄ちゃんだけに来てほしい」と言う。財産があるでもなし、何を言っているのかと問うと「いま、揉めてるから」。
そんなのダメだ、常識で物事を考えなさい、と少々キツク言い放つ。そして連絡はするぞ、と念を押した。それから他の身内に連絡すると、みんな口を揃えて「知っている」と言う。どうやら私が最後だったらしく、狭い地元、近所のアレや向かいのコレが情報を提供していた。「葬式は?」と問うと「行ってない。行くわけない」と返ってきた。瞬間、脳裏に亡くなった祖母の顔が過った。頭痛がした。
携帯電話の向こうからは「だって玄関から先は入れない、と言われた」とか「あいつらは無茶苦茶だ」とか悪口が聞こえてきた。私は「村八分でも火事と葬式は付き合いをする。身内でナニやってるんだ?」と言う他なかったが、それに対しては「あんたになにがわかる」と喧嘩腰だ。叔母が亡くなったことを伝えようとした電話で詰められる覚えもないから、適当に誤魔化して電話を切った。それから実家にも電話をすると、やっぱり「知ってるよ」と返ってきた。妹だ。
一応、線香をあげに行く、と伝えると「行くの?」と冷たい声。そりゃ行くだろ、だって身内じゃないか、と応えると「じゃあ、わたしらは身内じゃないの?」と絡んでくる。
「いや、それは身内だろう。ナニ言ってる?」
「でも、お兄ちゃんには来てくれ、わたしらには来るな、これっておかしくない?」
「おかしい。だから行けばいい」
「でも、来るなって言われてるのに、なんでこっちから頭下げて~」
「行きたくないなら、行かなければいい」
「身内じゃないから?ああ、そう。お兄ちゃんもわたしらは身内じゃないの?」
そして次の言葉に私はショックを受けた。
「なんでお兄ちゃんは、身内なのに一緒に暮らしてないの?」
は?だれと?だれが?なにが?
「年に何回かしか顔も出さないし、オカンが入院したときとか、正月とか」
いや、まて、おまえ、いまいくつだ?
「え?年取ったら他人になるの?へぇ~知らなかった」
・・・・オカンと代われ。
代わったオカンも亡くなった叔母、つまり、自分の妹に対して罵詈雑言。そしてそれはその子供らにも広がった。「あいつらの所為で身内がバラバラにされた」とかやってる。また、電話する、と溜息ながら電話を切ると、しばらくしてから、やはり見知らぬ番号から電話。だれだろう、と電話に出ると「いま、聞いたけど」と藪から棒。これまた久しぶりの別の叔母の子供だった。子供と言っても、こちらも20代半ばの女性だったが、とても十数年ぶりとは思えぬ話から入った。いま何してるとか、元気にしているか、子供は大きくなったか、仕事は順調か、などというフレーズは一切なく「いま(叔母の子供)から聞いたんだけど、そっち(オカンと妹、もうひとりの叔母との連合)に言ったの?なんで言うの?あんた何も知らないクセに、知らん顔して自分だけ、ぬくぬく暮らしてきたクセに!!」―――
私が発した第一声は「あんただれ?」だった。すると3番目の叔母の子は一瞬、え?ちよたろ兄ちゃんやろ?と戸惑った。教えてもらった電話番号に勢いでかけてきて、相手を確認もせず「自分だけぬくぬく」はないだろう、と呆れた。それに未だ、少ない身内同士で「そっち」とか「こっち」とやってる程度の低さに絶望した。だからこちらもテキトーに、はいはい、と流して切った。オカンや叔母らが繰り返してきたのと同じ、身内の中でのゴタゴタ。売り言葉に買い言葉、言った言わないの水掛け論。はした金のトラブル。
まるで「再現フィルム」だった。妻が心配して声をかけてきた。「叔母さんが亡くなった。次の休みにでも、線香あげに行ってくる」とだけ言った。
ま、なんというか、だ。
朝鮮半島の縮図だ(笑)。朝鮮半島では身内から「出世頭」が出ると群がる。自慢の息子や娘は「自分が一家を養っている」と自慢してもいい。それは親の自慢でもあって、それが「孝行」だと本気で思っている。息子の嫁は女中。妻の友人の日本人女性、よせばいいのに朝鮮どっぷりの在日一家に嫁いで泣いている。顔も知らない旦那の弟に顎で使われる。何もなくても身内が集まり酒盛りする。その給仕はすべて嫁がやる。親と男は動かない。これは我が身内にも同じ傾向があった。私は唯一の男の子。それはもう、ちやほやされて貧乏ながらも過保護に育った。私は当然のように「自分で目薬がさせない」「靴下を自分で履かない」などをして、最初の嫁の度肝を抜いた。マザコンではなく、王子さまだった。
酒盛りも同じ。亡くなった叔母の旦那は長らく失業中だったが、相変わらず偉そうに叔母をこき使っていたから、子供の頃の私は大嫌いだった。他の叔母の旦那連中も同じ。酒飲んで怒って殴るとか、碌なのがいなかった。しょうもない大人は腐るほど見た。
でも例えば、いまの妻の家族と海水浴に行く。お兄ちゃんらが飲みモノからなにまで準備する。バーベキューをするとなれば出番が増える。私は荷物持ちくらい。あとは掃除を手伝うとか。運転からなにからメインは男連中でやる。子供と遊ぶのもオッサンの仕事になる。キングじーじはカメラマン。孫の写真を撮りまくっていた。5日もすれば現像してアルバムに入ったそれが送られてくる。
妻を含む女連中はおしゃべり、そして旦那連中が焼けた肉とか冷たいビールを運ぶ。我が妻が「小さい肉とって(噛み切れない)」とか言うから、私は細かく切って皿に乗せてあげたりする。アイス買ってこい、ジュース持ってこいに振り回される。つまり、真逆だ。
最大の差異は何か。私はとりあえず「良く働くこと」だと思っている。妻の身内に無職はいない。自閉症の従兄も職業訓練に通い、少しでも「働きたい」と頑張っている。その親らは言うに及ばず、毎日毎日、朝から晩まで働いてクタクタだ。比して我が身内はどうか。これがまあ、過半以上が無職になる。その子供らもそう。就職してもすぐに辞めてくる。
どうやって暮らしているのか?は敢えて問うていない。知りたくもない。無責任なようだが、それはもう私の許容範囲を超えている。それに病気も障害もない、普通に両親もいる立派な「御家庭」になぜに私が関与せねばならないのか。それも経済的に、だ。
旦那連中の「彼ら」は平然としている。恥の概念がわからないからだ。例えば従姉妹の学費を出した(貸した)私に会うと「悪いな」くらいは言える。しかし、私がそこで「なんとかすれば?自分の子供だろう?」とやれば、おまえになにがわかる、と修羅場になる。お前が小さかった頃、小遣いやっただろう、とブチ切れる。私だってランドセルか学習机を買って「お兄ちゃん、ありがとう」と言われたい。しかし、それが学費から教科書、夜遊びの金から親のパチンコ代まで、すべての日常における「生活費」までを面倒見て「ありがとう」とは言われたくもない。それは「おまえら」の勝手だろが、となる。
今年、我が孫にランドセルを買う(もう買ったかも)。非常に楽しみである。しかし、孫には両親がいる。無論、金の無心などしてこない。若さゆえに「ちょっとくらい、なぁ?」と妻と言うほどだ。こちらが寂しいほど自立している。娘もトカゲも私に経済的余裕があったことも知っている。さすがに「スタートダッシュ」から半年ほど、家賃を支払ってやったりもしたが、娘一家は私の「いま、すぐに返さなくていいから」に対して「それはダメ」と言い切り、事実、コレを速やかに完済している。その代わり、トカゲは朝の4時から仕事に出て、遅いときには11時に帰宅する仕事を数年続けている。
月に何度か、あるかないかの休日には娘の買い物に付き合い、ちゃんと家族を連れて遊びにも行く。それを娘もパートで助けている。子育てでふらふらながら弁当を持たせ、留守の家を護っている。まだまだ若い夫婦だ。幼子が二人。決して楽な生活ではない。それでも「子供手当なんかいるか」と頑張っている。親馬鹿ながら大したもんだと感心するが、しかし、これが「普通」なのだ。
「普通のこと」が出来ない者のことを「落伍者」という。落伍した者を救えるか救えないか、それは落伍した者しか成しえない。間違っても「救う義務」など生じない。福祉を学ぶ私が言うのだから間違いない。自分の人生を放棄して救うことは「共倒れ」という。
冷たいようだが、私は相変わらず、身内とは「村八分」で付き合う。オカンは母親であるから、妹に嫌われても顔は出す。困っていればなんとかするし、いままでどおり、いろいろ相談にも乗るだろう。しかし、その他身内のことまでは知らない。薄情とか自分勝手などは散々言われた。もちろん、子供の頃に遊びに連れて行ってもらったり、小遣い貰ったりはした。でも、社会に出てから、正確に言うと17歳からは経済的援助を受けたなどと言うことはない。むしろ、とっくに逆だった。だから家を出た。自立した方が楽だった。
アルジェリアで日本人10名を含む37人が人質にされて殺された。安否の確認が難しく、まだ、被害者も増えるかもしれない。冷たいようだが、企業が進出して被害を受けるのは「想定内」のことだ。支那のイオンが壊されて放火されるのと同じ。「それくらいはあるだろう」でやっているはずだ。
亡くなった日本のビジネスマンにはお悔やみ申し上げるが、それでも「覚悟の上」だったかもしれない、という想像もできる。それでも「まさか、本当に(こんなことが)起るとは」くらいは思っただろう。でも結婚式の挨拶通り、まさか、はあるのだから、それはやはり「想定の範囲内」になる。いまのところ、まだ東京や大阪でアルカイダに人質にされて殺された、は聞かないが、アルジェリアに行くなら、その可能性は増す、とだれでも知っている。亡くなった人らは「危険な場所(国)だ」という認識もあったはずだ。
企業が儲かると判断して、危険を承知で進出する。そこで勤める社員もいろいろと考えた結果、引き受けて仕事をする。無論、こんなことは「あってはならないこと」に違いないが、絶対にないこと、ではないとも常識だった。その可能性は常にあったし、最初からわかっていたことでもあった。だから残念であり、我々とすればお悔やみ申し上げる他ない。
しかし、ここに政治的に介入する愚は理解できる。金にもならない、あるいはだれも得しないのに口を入れて「介入」する愚かのことだ。長々と書いた「身内の恥」からすれば、私が資金を用意し、各々の「揉めている理由」を理解、勘案しながらパイプ役になり、働いていないならその理由はなぜか?たちまち困っていることは何か?と相談を受け、年に数回は「トラブルの塊」の身内を一堂に集めてパーティーでも開く。そこで料理を喰わせながら話を聞き、料金を支払い、困っていると言う身内に金を貸したりあげたりする。これがどれほど「屁の役にも立たない」ことか。また、どれほど身を削らねばならないのか。
アメリカは無責任にもフセインを殺し、カダフィを殺して地獄の蓋を開けた。オイルパワーでアラブ諸国がまとまると困る、という19世紀から変わらぬ驕り高ぶった白人様の自意識だ。今回、アルジェリアでテロ組織が使った武器はリビアからの流出品と支那製。長らく続いた白人国家の植民地支配のお陰さま、民度が低いままの連中は「トラブル」を止めない。話し合って解決などは知らない。そこに混乱と武器を放り込むとこうなる。
日本も負けてはいない。イオン岡田は鳩山政権時代の外務大臣。アフガニスタン政府に「職業訓練プログラム」を提案した。金も人も日本が出します、という訓練対象者は「元タリバン」。あそこは普通の人々が盗賊をやる。外国人を見れば浚って金が取れると知っているから、すぐに農具を放り出して徒党を組む。そんなところの反政府組織のテロリストに「職業訓練」を言う馬鹿さ加減はカルザイ大統領やスパンタ外相に大歓迎された。さて、そろそろ元タリバンがマクドナルドで働いているころだが、その効果はどうだったのか。
管直人もアフガンには何度か、十億円単位で金を出した。アルジェリアにも総額200億円以上の金を出しているが、なんのための「資金協力」だったのか。その金で買った武器で日本企業の社員らは守られたのか。アルジェリアに安定した企業でも出来たか?経済状況はよくなったか?治安は回復したか?雇用は増えたのか?
人を見たら「たかる」ことしか考えない身内は切るしかない。迷惑をかけて当然、という非常識に付き合っていれば、いずれは私の大切なモノが壊される。朝鮮半島や中東、アフリカは白人に任せておけばいい。日本が金だけ出して嫌な思いをする道理はない。変わらないモノはあるし、変わらないこともある。関われば迷惑しかない国もある。それから大きくなれば牙を向ける国もある。日本はまだ、そんなところと「友好」とかやっている。
日本に付き合う義理はない。さっさと「火事と葬式」だけにすべきだ。
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