忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」

2008年05月07日 | 過去記事
■2008/05/06 (火) ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」1

いやぁ、ゴールデンウィークやらなんやらも、我が社の社員は全員、世間から隔離し「連休ってなに?」という洗脳教育を施してあるので、知らぬ存ぜぬ、日々、坦々と黙々と働いていたようですが、それを半笑い、且つ、横目で見ながら、私は広島の呉というところで遊んできました。いい天気でしたよ。いえい。からすさん、夏も行きますよろしくね。

原爆ドームをみて、平和記念館。メシ喰って、少し寝てから宴会&宴会。次の日は大和ミュージアムからフェリーに乗って江田島へ。旧海軍士官学校、今の海上自衛隊幹部候補生学校で興奮して、海軍墓地にお参りして帰ってまいりました。さるさるでの報告終わり。

しかし、偉そうに言わせてもらうが「社員教育」としても使えると思った。思ったら次の行動が早いのが私。さっそく、我が社の店長に相談。今年の社員研修旅行は「広島・呉→江田島海上自衛隊幹部候補生学校」という提案をしてみる。「広島の牡蠣が美味い季節」の話を織り交ぜると、全面的に賛同してくれるとの確約を得た。この男は、食いもんで釣るのが一番効果的であることを私は知っている。

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■2008/05/06 (火) ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」2

とくに旧海軍士官学校は是非とも、我が社のボンクラどもを連れていきたいところである。元海軍士官の引率付きということで企画してみる。夕食&宴会は、もちろん、呉の「大将」であろう。肴の美味さは確認済み。地酒もハイパー。というわけで、からすさん。冬にも行きますよろしくねという今日この頃、ゴールデンウィークとやらも今日で終わり。明日から、また仕事でつね。うぷぷ。「労働」とは「朗働」と書きましょう。ちよたろです。ただいま。

ここで、お知らせです。

江田島海軍士官学校のお土産を読者諸賢に買ってまいりました!!メールをくれた方の中から抽選で10名様に、旧日本海軍の「特殊潜行艇・海竜」のストラップをプレゼント!(※ええと、嘘です。ほとんど自分にしか買ってません。)

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で、不謹慎だがわろた。

http://www.asahi.com/national/update/0506/TKY200805060076.html
<マクドナルドに車突っ込む 子どもら9人搬送 宮崎市>

だから、ドライブはスルーしろとあれほど・・・インしてどうする。

<同署によると、乗用車は店の前にある駐車場に止めようとした際に、車止めを乗り越えて店に突っ込んだらしい。>

で、突っ込んだのは大阪の人間らしいが、ならばとりあえず、ちゃんと言ったんだろうな?

突っ込んで、騒然とする店内。瓦礫の中、泣き叫ぶ子供たちの中で、

「すいません。ビックマックのセットひとつと・・・おやじは?あ!あと、シャカシャカチキンひとつと!ドリンクはダイエットコーラで・・・おやじは?だから、ホットチリドッグはモスだっていってるだろうがぁぁぁぁぁ!」

まあ、しかし、どうせ突っ込むなら・・・

・・・・・。

そうはそうと、胡錦檮が来たらしいな。

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■2008/05/06 (火) ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」3

http://www.asahi.com/politics/update/0506/TKY200805060074.html
<胡錦濤・中国主席来日、7日に日中首脳会談>

日本のメディアは早くも、両国間に介在する諸問題を「進展なし」と報道しているようだが、それは少し違う。胡錦檮からすれば「大いにあり」だし、日本からすれば「後退する」と認識せねばなるまい。外国のメディアから言われるまでもなく、領土問題や毒餃子、そして過日の「4.26長野事件」をして、たかだかジャイアントパンダをぶら下げて偉そうにやってくる「独裁虐殺集団のボス」を歓迎ムードで招き入れようとする日本は、もはや異常な国、いや、もう名実共に確実な支那共産党の傀儡国家であり、その主権などパンダにも劣る、そう、まさにレッサーパンダ国家として認識されることだろう。

帰省ラッシュの最中、多くの日本国民に迷惑をかけながら来日するなど、まさにジャイアントパンダの昼寝、日本など屁とも思わない支那共産党の本音が、こんなところからも垣間見える。もう、なんとも・・・

ところで、大阪にも立ち寄るらしいが、そういえば、我が社の近くを通るという情報も入ってきている。何を期待して教えてくれたのかしらんが、我が工作員はその日、チベット国旗を体に巻いて通りかかったり、ガチコメタンクをチベット仕様に飾り付けて昼飯を買いに行ったりはしない。なぜだか、沿道で「王将の餃子持ち帰り」を3人前ほど口に入れて倒れ込んだりもしない。そういえば、もうすぐ、賞与査定をせねばならん季節か・・・

ともかく、反支那感情で揺れる日本にニコニコと、微笑外交よろしく降り立った大虐殺の主導者は何を想うのか。大中華思想丸出しの、その驕り高ぶる姿勢を嫌悪することを、日本国民は我慢しないだろう。職場や家庭、酒場で、口々に語られ繰り返されるのは、「パンダがくる(はぁと)」などではなく、それはもう、普通に「支那バッシング」という「本来の世論」を無視し続けることが、いつまで可能だと思っているのか。

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■2008/05/06 (火) ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」4

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そして、それは何を齎せ、なにを壊すのか。呑気に「ピンポン外交」している虐殺主導者とその家来の日本猿を無表情でみる国民は、もはや何も期待していないのかもしれない。もしや、そうすることが、この国で生きる術であるかのように振舞い続ける多くの日本国民は、無関心で無表情でなければ「生きていけない」と無意識に知っているのかもしれない。

3日の夜、お世話になった呉の居酒屋の店内には「南京の真実」のポスターが貼ってあった。が、トイレには「ピースボート」のポスターがある。私はそういうもんだと思った。なんか、妙に納得した。みんな普通に生活している。自分の生活レベルで、自分の生活する範囲で考えたり、悩んだり、困ったり、喜んだりしながら生きていく。それが国民なのだ。

だから、政治に携わる仕事の人、行政に携わる人、国家に公務する人、すなわち、「税金」で生活する人たちの責任は重大であり、そしてその分、少しだけ優遇されていてもいい。金銭的に待遇的に、普通の人よりも「お得なこと」があっても然るべきである。優秀な人はリーダーとなる。引率する人は優れてなければ、みんなが困るのだ。

普通の国民は「自分だけのこと」を考えて生活しても、法律を犯さない限り責められる覚えはない。他人を気にかけない身勝手な行動のほとんどは、周囲の人々から「自分勝手な人だなぁ・・・」と後ろ指さされることで済まされる。しかし、リーダーや中心的人物、もしくは国家の公務に携わる人がそうであっては、その迷惑レベルが格段に違うと明白であろう。また、一般の社会でそれを言うなら、例えば「地位のある人」になろう。会社の経営者が「自分だけのこと」を考えて行動し続ければ、その企業なり会社なりの行く末は知れている。つまり、その対象とは「国」そのものにも、そのまま当てはまるのだ。

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■2008/05/06 (火) ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」5

大阪府知事は「大阪は倒産しかけている会社」と揶揄し、倹約精神を説く。が、とっくに、国レベルでの破綻は現実のものとなりかけているのである。すなわち、大阪府知事は、「日本」という巨大企業の子会社である「大阪」を立て直そうとしているに過ぎない。その小さな子会社の中で数多くの厳しい制約をもって泣き事半分、「やりましょう!協力して!」とホントに泣くから冷笑と反感を買っている。無論、「子会社からマトモになる」という考えには控えめながらも賛同はするが、現実問題として捉えると、やはり、生意気ながら「お子様理論・理想論」と揶揄することも禁じ得ない。気持ちも理屈もわかるが、そこではないと思うわけだ。無理だと思う。

当たり前の話だが、先ず、ダメにした親元である会社の「経営者」を選任し直さねばならんはずだ。その経営陣を見直さねばならんはずなのである。それを放擲して「ともかく、子会社だけでもよくせねば」という「目先の熱意」にも異論を唱えておきたい。それも無駄であると。

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「私のよく知る、とある会社」で例えてみよう。

例えば、そこの経営者は「ゴルフ」をする。なんだかんだと名目をつけてはクラブ担いで出かけていく。出かけて行くだけならば、つまり、「仕事をしないだけ」ならばたいした問題ではない。無論、好ましいことではないが、そのフォローも誰かがするし、損失とは限られる。その部分を「無駄」だと認識することで対応できることもあろう。しかし、ゴルフには「会社の金」が使われる。「接待」という大義名分を掲げながらも、本当は趣味で、更には見栄のために、もしくは、個人的な虚栄心を満たすがために莫大な費用がかけられている。そのコンペの度に「提供する景品」や「賞金」も馬鹿にならん。ましてや、他社の人間を連れ歩き、夜の繁華街を豪遊する費用までを考慮するに、こいつの頭の中は20年ほどタイムスリップしているのではないかとさえ感ずる。

そして、例えば「親会社」で問題発生。それは深刻なものだったとする。

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■2008/05/06 (火) ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」6

「経営者」の対応は、その隠ぺい工作に加担するばかりか、その負担までをもするという。その際の「理由」は、「事なかれ主義」必殺の常套句「今後の付き合い」である。明らかに我が社にとっての負担であり、それは「信用問題」にまで発展しようかという重大な問題であっても、まさに我が身の保身のみを頑なに守り、信じられないほどの「当り障りのなさ」で先送りする。もみ消す。蓋をする。事なかれ主義ここにありである。

そして、そんなことを会社では多くの社員が知る由もない。月に何度かの朝礼や、たまにすれ違う時の挨拶から、そのような問題には気づきもしない。第一、興味がない。

それよりも「もらえるはずの給与」や「あったらいいな賞与」が気になり、その次は「その使い道」を考えながら日々を過ごし、与えられた環境に応じて「意味のわからない仕事」を事務的にこなす。それが「食べるため」に必要であると己も家族も納得させ、深く考えることを止めるのだ。

そして、事情を知る幹部社員は、およそ4つに分裂する。

先ずは、同じような「事なかれ幹部」。これの多くは、何らかの利権を受けている。利害が一致しているから手先となって動く。「事なかれ経営者」と同じく、己の保身に全力をあげるのみ。金満主義であり、人生、それが全てだと豪語する。残念ながら、日本の政治家にはコレが多いと思われる。組織の被害は甚大なものであろう。まさにゲスの中のゲスである。

そして「無関心幹部」。これは一般従業員と比して変わらぬ「問題意識の低さ」を特徴とする。成り行きや親戚縁者である者が多く、なぜその立場にいるのかもわからない。往々にして能力もモチベーションも低く、超個人主義的で冷笑主義者が多い。まったく使えない。

次は「モヤモヤ幹部」。現状のままではいけないと、小さく警鐘を鳴らす。が、具体的な行動はしない。もう、クールにあきらめている。稀にリアル過ぎる不安感に襲われたり、イライラしたりするも、それを無理矢理に諦観しようとする。今の私がこれに近いかも(笑)。

最後は「火の玉幹部」である。これは一点集中での問題提起で燃え尽きる。総合的に、包括的に判断せず、現象だけを取り上げて騒ぐものだから、周囲の賛同を得難い。そして、いずれは共感しない周囲をも見下し、非難しはじめる。気合が入り過ぎて曲がった保守系団体のようなものか(笑)。敵だらけになる可能性があり、更には目的も果たせず自爆する傾向にある。昔の私がコレだったかも(笑)。ンなことないかww

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■2008/05/06 (火) ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」7

「経営者」は、その権限を用いて己個人の判断で「会社の金」を使う。そして、その使途が明らかに一般常識から乖離するものであっても、単純な個人の利益に過ぎないものであっても、また、損失が出ることは明白であっても、「経営者」というだけで「会社の利益」を貪り喰う。そして「人件費」と呼ばれる分配が削られることの意味を理解せず、実に安易で愚鈍な思考経路を辿り、最悪の結果を出しながら恥じることもない。自省することもない。そもそもなにもわかってないのだ。そして、コレを国に置き換えてみると・・・

似ている。というか、同じである。

民主主義という建前の中にある社会主義。
社会主義という建前の中にある資本主義。

この大いなる矛盾は国から企業へと移行する。デモクラシーの最少形態である「家庭」というものにおいては、真っ先に「崩壊」という結果が周知となっている。無能力で身勝手で、リーダーシップのない「家長」であれば、その組織、グループ、例えば「家庭」というものも至極当然に崩壊する。

その意味、意義が壊れてしまえば、その形も崩れてしまうのだろう。

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「なぜ結婚せねばならんのか?」

という問いに答えられない者は、

「なぜ企業に就職するのか?(なぜ働かねばならんのか?)」

もわかっていない。わかるはずもない。

そして、

「なぜ、会社を経営するのか?」

に答えられない経営者と同じく、

「なぜ、政治家になったのか?」

に答えられない(答えたとしても大いなる矛盾が存在するならば)国家公務員も有害なのである。

「会社」とは「公器」であるという。組織化すれば既に「私物」ではないのだ。ましてや「公務員」となれば、そのまま「公」に務める者であるわけだ。実に単純明快な原理であり、その重責を果たすには自覚と覚悟なるモノを要すると自明である。

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■2008/05/06 (火) ガチコメ的「ゴールデンウィーク終了のお知らせ」8

しかしながら、やはり、それを支えている社員(国民)が「動かないこと」も罪ではないのかと思う。そして、あえて言うが、それは決して「残業」がどうした、「賃金」がどうだなどのチンケな労働者の権利チックな話ではなく、もっと「公的」な問題提起であり、その意義を護るための、いわば「労働者の尊厳を護る」、もしくは「その組織の尊厳を護る」べきことではないのか。

無論、これが国ならば「国民の尊厳」、つまり「国家の尊厳」となろう。

会社でも末端の社員が動けば何かが変わる。「経営者」など労働者がいて成り立つモノではないか。国も同じく、国民あっての国家であるというまでもない。

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私のよく知る「とある会社」も危ない。

倒産ではない。優れた管理職たちが、我が身を削って支えている。倒産の心配はない。

すなわち、崩壊である。

「もう付き合ってられん。いい加減にしろ。」と三行半を突きつけられることになろう。
そしてそれは「負ける」よりも情けないことだ。

日本は過去の戦争において敗北した。正々堂々と戦って敗れた。日本国はその名誉ある敗戦から、数多くの武勇伝を残し、数多くの英雄を生みだした。それは今尚、光り輝き、我々を導いてくれる。負けてこそ誇れる魂もあると教えてくれる。

だが―――――

今の日本が向かっている先、それは敗北ですらなく、崩壊なのである。

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