そういえば・・・もうすぐ、私の37回目の誕生日である。
ちなみに、我ら夫婦の誕生日の「祝い方」というか「ルール」は、他の夫婦と少し違うようだ。まあ、我ら夫婦も、それほどおかしいことにはなっていないのだが・・・
妻の誕生日→「妻にプレゼントを買う」+「どっかで晩飯喰う」
私の誕生日→「妻にプレゼントを買う」+「どっかで晩飯喰う」
ま、まあ、アレだ。
どっちも同じなんだな。
つまり、私の誕生日も「祝ってくれてありがとう」と感謝を込めて、妻にプレゼントを渡さねばならんのだ。私の妻は胡錦濤みたいなもんだな(笑)。
で、今年は「パンダが欲しい」というので、さっそく胡錦濤に電話して1億円を振り込んでおいたから、明日には届くだろう。妻の驚く顔が目に浮かぶ。男一匹・久代千代太郎。ンなもん、パンダの一匹や二匹、ウダウダ言わずにさくっと段取りしまっせ。
い、一応、中華料理の店を予約しておいた(マジ)。食後の「スイーツ食べ放題」も気に入るはずだ。ちゃんと・・・あの・・なんだ、あの作る人・・・パテパテ?いや・・あの・・パテポテ?なんだったか・・・ま、まあ、ともかくスイーツを作る人が作ってるらしい(笑)。
おお!そうだ!
明日届く「パンダ」は「パテパテ」と名付けよう。
朝っぱらから、まさかパンダが宇治市を散歩するとは思いもせんだろう。これも日中友好の証であると、宇治市民は小躍りしながら喜ぶだろう。国家主席様、ありがとうと叫ぶだろう。しぇいしぇい。それに、ジャイアントパンダなら上に乗れるしな(妻が)。おぉ~~い!パテパテ!こっちだぞぉ!あはは♪
・・・と、まあ、チャイナジョークもこのくらいにしてだ。
終わったな。日中首脳会談と日本が。
-
自民党内部からも「成果はパンダだけ」といわれる始末。困ったもんだ。
レンタル料金も1億円とかなんとか。阿呆。ビルマに送れ。ビルマに。
http://www.asahi.com/international/update/0507/TKY200805070195.html
<ミャンマーに3600万円の追加緊急援助へ 日本政府>
2万人以上が亡くなって、ぐちゃぐちゃのビルマには2~3千万円を分けて送って、日本の動物園には1億円でパンダですか。そうですか。
「2」へ
■2008/05/07 (水) ガチコメ的「パテパテの話」2
ああ、そうですかという今日この頃、昨日の日記で「江田島旧海軍士官学校」と書いたら、今日、虹の会顧問、河内屋蒼湖堂氏(虹の親父)からダメ出しが・・・あわわ・・・正しくは「海軍兵学校」です。「士官学校」は陸軍であるとのこと。訂正致します。嗚呼、今回は「往復ビンタ37回(年の数)」で済んでよかった。てっきり中指を折られるかと思っていたが、虹の親父も優しくなったのだろう。あわわ・・。
こんばんは。ちよたろです。
で、もっとびっくりなのがコレだな。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080507-00000048-jij-pol
<中国に無償協力5億円=行政官の日本留学支援>
マスコミは汚いなぁ。毒餃子とチベットは取り上げて、とりあえず「公正中立」っぽい雰囲気を作ってだな、コレとか、日本の常任理事国は「支持しない」というのをスルーするわけだ。ガス田の話もそうだが、「具体的な内容は言わない」ということがどういうことなのか。よく考えんでも想像はつくだろうに。福田は「金を出す」と言ったんぢゃないのか?支那の盗掘費用を出すから、日本にも少し掘らせてくださいと言ったんぢゃないのか??
ならばもう、こいつは「親中」なんかではない。「反日」・・・いや、もう「売日」である。支那共産党の小日本自治区の管理責任者である。なにが留学支援だ?だからビルマにやれ。
しかもだ。
<政府は7日、中国の人材育成奨学計画に対し5億7700万円を上限とする無償資金協力を実施すると発表した。2009年度から2年間、中国の外務省や財政省などの若手行政官48人が日本の大学院に留学するのを支援する。高村正彦外相と陳徳銘商務相が同日、都内で書簡を交換した。>
普通の学生ではないのだ。
支那共産党の行政官を日本国民の血税で養おうというのだから、もはや、なにがなんだか。『フリーチベット!』とは支那共産党にだけでなく、日本にも向けて叫ばねばなるまい。完全に加担している。『日の丸』が血塗られた侵略主義の象徴と呼ばれるのは、本来、ここからであろう。人権弾圧の旗印とは五星紅旗と日章旗のことだと認識されるまで遠くない。
それに―――
ずいぶん前だが、私はこの日記に「日本は支那化している」と書いた。
・・・。
残念ながら、外れてはいなかったようだ。
「3」へ
■2008/05/07 (水) ガチコメ的「パテパテの話」3
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080507/plc0805072257016-n1.htm
<首相、異例のメディア注文「正しく報道を」>
信じられん。
この人は、本当に「日本国の総理大臣」なのか?
<福田康夫首相は7日の日中共同記者会見で、「偏見や誤った報道があれば、両国の国民の理解、信頼につながらない可能性がある」と述べ、メディアに対する異例の注文を行った。
首相は同日夜、誤った報道の具体例を求めた記者団に対し、「一般論だ。真実を国民が知らなければ本当の判断ができない。あなた方(報道機関)の大きな責任だ。心してやってください」と答えた。>
なぜそれを、さっきまで一緒にいた支那人に言わんのだ。なぜ友好関係にあるという「友人」に言ってあげないのか。メシ食いながら言えばいいではないか。酒飲みながら教えてやればいいではないか。「心してやりなさい」と言いながら日本酒を注いでやればいいではないか。この記者が具体例を求めることは無理もない。
ならば、福田ははっきりと言えばいい。
「支那共産党に不利益になる報道はするな!」
と言ってみればどうだ?もう落ちるところまで落ちた支持率なんぞ、タイガースの今岡の打率にも及ばん支持率なんぞ、もはや、どうでもよかろう?
今更、どこの国でなにを言っておるのか。その「報道の自由」とやらを使って好き放題、勝手放題やってきた売国奴がなにを言うのか。
もしくは、
「この私のように言いなさい!」
とでもいうつもりか?
「4」へ
■2008/05/07 (水) ガチコメ的「パテパテの話」4
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20080507/20080507-00000344-fnn-pol.html
<日中首脳会談 福田首相、チベット対話を高く評価 引き続き国際社会の懸念解消求める>
日本を北朝鮮と同じところまで落とすつもりである。国際社会の日本のイメージ、評価は地の底まで落ちるのではないか?少なくとも「理解できない」といわれるに違いない。
通常の感覚なら、どれほどソフトに表現しようとも、
「対話の継続と問題解決を望む」
というニュアンスではないのか。そこに「人権尊重」やら「非暴力の対応」を盛り込むことができんのと、「ダライ・ラマ集団」と称することで一方的に「悪役」に仕立て上げる支那共産党の企てと、まさに同列、同じレベルでの欺瞞的な「おべんちゃら」を、多くの日本国民と国際社会の人々は、大いに白眼視することだろう。
福田の言う「国際社会の懸念」とは、胡錦濤の言う「祖国分裂」であり「破壊行為」であり「五輪妨害」であるということなのか。世界が言う「国際社会の懸念」とは、とっくに併合されたチベット自治区の暴動が「早く鎮圧されること」であり、チベットが文化も自由もあきらめて、支那共産党の言うがままのとして、従順に民族浄化されることを受け入れると言うことなのか。どこまでもふざけた話であるな。
そもそも、対話対話言うが、双方の主張は妥協したり、折衷できるレベルにないことは、もはや周知ではないか。いったい、何をどう対話するのか。
「5」へ
■2008/05/07 (水) ガチコメ的「パテパテの話」5
つまり、「食い違っている」のだ。万が一にも「対話」での(本来の意味での)調和はあり得ない。仮に「問題解決」とされるときは、どちらかが全面的に非を認めざるを得ない状況なのである。そして、いうまでもなく支那共産党にそのつもりは毛頭無い。
また、皮肉にも「調和の旅」と名付けられた聖火リレーと同じく、世界の「普通の国」の人々は支那共産党の見えにくかった、隠されていた一面を見たのだ。沿道を埋め尽くす「赤い旗」に嫌悪することは、長らく民主主義の国で暮らしてきた人々にとって、さぞ異様に、且つ、不気味に感じられたことだろう。日本の「4.26長野事件」でも、マスメディアや長野県警が看過していた支那人の暴力行為を、産経新聞が胡錦濤の来日にあわせて特集したことこそ「高く評価する」と言わねばなるまい。
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それにしても・・
「高く評価する」
この言葉がどれほど国際社会から、また日本国民から「低く評価される」のかを福田は気にもしないだろう。この破廉恥な外交態度をして、いつもはうるさい野党が一切攻撃しないということも、この国の腐敗度を如実に表している。この狂った泡沫政党の党首をみよ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080507/stt0805071901003-n1.htm
<【胡錦濤氏訪日】社民党の福島党首と会談>
こんな、もう、どうにかなっちゃった人が「セイジカセンセイ」として、税金が使われているという現実を、日本人はもう笑ってみている場合ではない。もう、時間も無い。
リアルタイムで侵略している国家の主席に「日本は憲法9条を守って戦争をしない努力をしてきました!」と言って頭を撫でてもらうこの「センセイ」が、普段、この日本国内において「人権」やら「平和」やら抜かしながら、税金で贅沢三昧の生活を送っているかと思うと、もう、bあヴぇrjhれhvfウェhファへrれvれthヴぉいあ・・
・・・・・。
つまり、もう、日本は「わん・ちゃいな」を笑えないのだ。
「6」へ
■2008/05/07 (水) ガチコメ的「パテパテの話」6
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虹の親父から追伸が来た。
「江田島兵学校」の生徒が、昭和7年から毎夕唱和していたという「五省」のことが書かれてあった。私が「社員研修旅行」で、我が社のボンクラどもを連れて行くと書いたから教えてくれたのだろう。兵学校の生徒はこの「五省」を唱和することで、その日を振り返り「自省」していたという。
「五省」
一、至誠(しせい)に悖(もと)る勿かりしか (真剣だったか)
一、言行に恥づる勿かりしか (言行は一致していたか)
一、気力に缺(か)くる勿かりしか (覇気はあったか)
一、努力に憾(うら)み勿かりしか (研鑽を積んだか)
一、不精に亘(わた)る勿かりしか (手を抜かなかったか)
括弧は虹の親父の意訳である。
終戦後、米軍がその精神に感銘し「アナポリス海軍兵学校」の教育資料にしたことも付け加えられていた。私もそうだろうと思った。素晴らしくも厳しい自己評価である。
「7」へ
■2008/05/07 (水) ガチコメ的「パテパテの話」7
私も昨晩、なるほどと感銘し素直にやってみれば、思わず、布団に潜り込んで寝てしまうほど恥ずかしくなった(笑)。まあ、昨日の日中首脳会談での福田なんぞは、布団に潜り込むどころではすまんだろうがな。
それにしても、考え込んでしまう。
私はまだ、本当に「何もしていない」と気付く。
そして、それは「ならば、何ができるのか?」という問いかけに変わり、更には「だから、やれることをやれ」と教えてくれる。「できること」を「ちゃんとやる」ことこそが、己に対する姿勢なのだと納得しかけたとき、ならば「成すべきことを成した」先人たちは、どれほどの精神力だったのかと震えがくる。背筋を伸ばして深夜の書斎で目を閉じる。
「できること」くらい「ちゃんとやって」然るべきであると、己の怠惰な生活や薄ら甘い考え方を猛省せねばなるまい。「真剣さ」がないことをリラックスとし、「言行不一致」をケースバイケースとし、「覇気がない」ことをクールとし、「研鑽しない」ことをマイペースとし、「手抜き」をマネジメントとする所業に気付かされる。我ながら、なんとも・・・。
己が「成すべきを成す」には、全然、まだまだ程遠いと気付き、若干の焦慮に駆られる。
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でも、虹の親父は、それを見通していたかの如く、最後のほうにこう記してあった。
「日暮れて道遠し」
・・・・・。
そ、そういえば、もうすぐ私の37回目の誕生日であったな。
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