http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110111/k10013330541000.html
<“贈り物 とてもすばらしい”>
贈り物が「とてもすばらしい」ならば、大量に廃棄せねばならなくなった「五色霊芝」でも贈ってみればどうか。「腕に巻いているだけで健康になる黄色いパワーストーン」などはどうだ。相手はきっと迷惑だろう(笑)。
そういえば、この「アグネスマスク」は昨年、霊芝、いわゆる「マンネンタケ」をタブレットにして1万8千円とかで売り捌いていて問題になった。この「マンネンタケ」を「目を治し、肝臓の機能を補う」などとしてネット販売していたのだが、早稲田大学の名誉教授である大槻氏から強烈に批判されたことも記憶に新しい。「古代中国では皇帝に献上されていた」などと紹介し、如何にも「貴重でありがたい霊芝」をタブレットにしていたというのだが、この「マンネンタケ」とはその名の通り、10~40℃の環境でどこでも育つ。つまり、マンネンあるほど逞しい野生のきのこだ。
ンで、これを問題視した厚生労働省の「麻薬対策課」が調べた結果、マンネンタケの薬効を喧伝すると「薬事法」に違反するぞ、と脅したらネット販売の世界から姿を消した。アグネスは「ファンの皆さんに心配をさせて本当に悔しい」と支那人らしく「すいません」ではなく「悔しい」と言っていた。これ、代金を返しました、で済ませていいのかはともかく、アグネスはこの「タイガーマスク運動」について「不景気で社会情勢が不安定ななか、どうしても内向きで閉鎖的になりやすいが、自分のことを忘れ、誰かのために行動をしてみたら、気持ちが楽になり、出口が見えるということもあるので、そうした温かい気持ちが共感の輪を広げているのではないか」と日本語で述べておられる。
是非、祖国である支那に申して欲しいところだが、毒までとは言わんが適当な文言を並べて、副作用のきついキノコを日本で売る感覚は祖国と同じ志ではある。
ま、ともかく、タイガーマスクである。大分ではついに覆面まで出た。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110111-OYT1T01029.htm?from=main7
<虎の覆面姿も出た、タイガー運動42都道府県に?
<虎の覆面をかぶった贈り主も現れた。大分市では、タイガーマスクのような虎の覆面姿の男性が、市内の児童養護施設を訪れ、「伊達直人」と名乗って職員にランドセルを手渡すと、施設の子供たちが追いかける中、別の男性が運転する車で去っていったという>
実に楽しそうだ。私も額に「肉」とある覆面で牛丼でも配りたい心境だ。
ところで、このタイガーマスクは阪神タイガースの大阪ではあったのだろうか。兵庫県ではあったようだが、今のところ、私はタイガーマスクが大阪で出た、というニュースを見ていない。どうか、これからも出ないでいただきたい。
大阪人は良くも悪くも合理的だ。それは「ツッコミの文化」があるからだ。「振り込め詐欺」が大阪では通じないのも「なんでやねん」があるからだったりする。「らんらんらん♪伊達直人がランドセルを持ってきたぞ!」→「なんでやねん。現金やったら受け付けるわ」である。「おまえ、そないにランドセルばっかりどないすんねん?」→「貧しい子供に配るねん」→「なんでやねん。キミとはやっとれんわ」であろう。
と思えば昨年、大阪市住之江区のラーメン屋で、餃子とチュウハイを頼んだ男が帰り際に、ぽんと100万円を出して「これで、子供らにラーメン喰わせたってくれ」と置いて帰るということがあった。大量のメンマでも置いて「これ、子供らのラーメンに入れたってくれ」ではなく、ぽんと現ナマ100である。これが浪速のど根性であろう。
結局、そのラーメン屋は100万円、ラーメンに換算して(笑)1540杯のラーメンを無料で提供したとのことだ。猪木が毎年、公園で100や200のラーメンを作ってホームレスなどに喰わせて威張っているが、天下の燃える闘魂もセコいことせんで100ぅ!200ぅ!300ッダーっ!!とかで合計600万円くらい、ぽんと置いて帰ってくればいいのだ。
また、もう過ぎてしまったが、子供にプレゼントする、といえば「サンタクロース」だ。この正体は有名で4世紀頃の「聖ニコラウス(聖ニコライ)」だ。とある貧しい家が「娘を売らねば生活できない」と落ち込んでいた際、聖ニコラウスは煙突から金貨を放りいれた。暖炉には靴下が干してあって、次の朝、靴下を履こうとすると、中からチャリンとなるわけだ。これで貧しい家は娘を売らなくて済んだとさ、めでたしめでたし、である。
この「聖ニコラウス」をオランダ語でいうと「シンクタラース」となる。ンで、しんくたらーす、しんくたろうーす、さんたくろうす、サンタクロース、バンザイバンザイとなった。今は駅前で性風俗店の看板を持っていたり、売れ残りのケーキを売っていたり、ブラブラ歩いていると、カラオケボックスに連れて行こうとしたりする。大変な仕事なのだ。
日本にはサンタクロースの伝説はないが、もう少しだけややこしくて、例えば「鼠小僧」なんかがいる。石川五右衛門でもいい。共に泥棒だが「義賊」だとされていたり、なぜだか大衆に人気があったりした。
「鼠小僧」とは「次郎吉」という鳶職人だ。これも実在した人物で、36歳のとき捕まって「市中引き回しのうえ打ち首獄門」に処されている。「貧しい家に小判を投げ入れる」というのは「伝説」で、次郎吉の家から盗んだ金が出なかったのは、単に賭博と女にカネを使いまくっていたからだ。石川五右衛門も恐ろしい「強盗」だが、豊臣秀吉の命を狙っている、という「伝説」が広まり、時の為政者を打倒するという「ストーリー」が受けたのか、京都三条河原で「釜茹で」にされたとき、一緒に放り込まれた子供を、オノレが息絶えるまで高々と持ち上げて助けようとしたとか(諸説ある)で、とにかく人気者だった。すなわち、日本には本当の意味での「庶民の味方」などというヒーローはいなかった。これらは一種の「ブーム」であり、共にミラクルピースの時代に歌舞伎にされたりして庶民を楽しませた。
残念ながら「管直人」は実在する人物だが、伊達直人はもちろん架空の人物だ。しかしながら、外国にはサンタクロースのような「プレゼント魔」もいるし、ハロウィンなどもそうだが、日本と比して「見知らぬ人からモノをもらう」ことが奨励され、美談とされている。そして、日本もそろそろ、ここまで落ちたのかもしれない。最近も、とくに「良い子」でなくとも子供手当をくれるという政党に騙されたりもした。また、マスコミはこの一連のブームを「心温まる話ですね」としたいようだが、根性が曲がっている私は素直に受け止めることが出来ない。ま、病気みたいなものだ。
その前に先ず、どうして日本には「庶民の味方」がいないのか。季節になると、どこからともなくやってきて、子供らや貧しい家庭に温かなプレゼントを贈り届けて去っていくような夢物語が少ないのか、を考えてみるに、それはやはり「そういう文化だから」としか言いようがない。あるいは長らく「庶民の敵」が存在しなかったから、なのかもしれない。日本の昔話には「正直じいさん」や「心優しい老夫婦」が欠かせないが、外国の童話ならば「王子様とお姫様」が欠かせぬようなものだ。それに外国のお話では往々にして年寄りは「魔法を使う悪者」で登場する。毒リンゴも毒饅頭も怖いのである。
また、日本には「恩返し」というシリーズがある。鶴やら狸、お地蔵様までが「お世話になりました」と言っていろんなものをくれたりする。大判小判をくれるという話もあるが、私が好きなのは「タヌキの恩返し」のような「出来ること」をしてくれるような話だ。
ざっと書こう。
定番だが、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいる。そこは山の中で、老夫婦は自分たちの食べ残した食料を勝手口に置く。「山の仲間よ、どうぞ、おすそわけですよ」と置けば、どこからともなくキツネやタヌキが食べ物を喰いに来る。老夫婦はその様子を暖かく見守るわけだ。そしてある日、いつも夫婦でやってきたはずの「タヌキの夫婦」の夫タヌキだけが来た。夫タヌキは口に咥えることのできるだけの食料を持つと、さっと山の中に急いで帰って行った。
お婆さんは「奥さんタヌキはお腹が大きかったから、動けないんじゃないか?」とお爺さんに相談する。老夫婦が心配して夫タヌキの後を追うと、なんと、妻タヌキは血だらけの怪我をしていた。こりゃ大変だとお爺さんは傷口に油を塗って介抱してやった。しばらくすると、怪我もすっかりと良くなり、まるまる可愛い「赤ちゃんタヌキ」が3匹生まれた。
しかし、家族が増えた「タヌキ一家」は別のところに巣穴を作って引っ越して行った。それからというもの、お婆さんは毎朝、水瓶に満タンの水が入っていることを不思議がる。お爺さんは山小屋にいつも「薪がたくさん割ってある」ことが不思議だった。お婆さんは、毎朝重たい水を運んで水瓶を満たすのが大変だと、自分の身を案じることからお爺さんがこっそりと運んでくれているのだと思っていた。お爺さんは腰が悪い自分を助けるため、山に入っている間にお婆さんが「薪」を割ってくれているのだと感謝していた。
そしてある日、互いに感謝の言葉を出し合う。しかし、互いにそれを自分じゃない、と言い合う。それじゃあ、それはきっと「タヌキの恩返し」なんだろうとして、礼を言うならタヌキ一家に言おうということになる。それからも二人の間には不思議なことがあり、とても幸せに暮らしましたと、さ―――――である。ね?良い話でしょ?
夢のない話をして申し訳ないが、これはおそらく、水瓶に水を溜めたのは爺さんだし、薪を割ったのは婆さんだ。もしくは近所に住むタイガーマスクだ(正体は長男夫婦)。我が家でも「あれ?洗濯もの、取り込んであるけど、だれ?」となったとき、私も倅も「りーちゃん」だと言うのと同じだ。普通の日本人は「こんなことをしているんですよ!どうですかみなさん!」とは小恥ずかしいから言えないことになっている。民主党の代表じゃないんだから、こんなにがんばっているのに!とは日本人マインドなら言わない。
んじゃ、外国にはあの有名な「あしながおじさん」がいるじゃないか、と聞こえてきそうだが、あのお話は「ブルーウェンズディ」というタイトルの日記を書く少女に、評議会議員が目をつけただけに過ぎない。「才能がある」と見込んだから「その子にだけ」援助する話ではないか。しかも最後は結婚までする。動機が不純なのだ(笑)。
しかも、横浜には「ボクシンググローブ」などが届けられたという。もう、既にふざけているのだ。孤児院育ちの餓鬼は少年院でジャブでも習えと言うか。もちろん、タイガーマスクでもエル・カネックでもいいが、親のいない子供がいる施設に寄付することがブームとなるのは結構なことだ。そのきかっけとしてなら、タイガーマスクでもドン・レオ・ジョナサンでもいいが、あまり「ネタグッズ」などは送らんようにしたい。職員さんの仕事が増えるだけだ。「鶴見五郎」とか書いて日本酒を贈ったり「アポロ菅原」と名乗って鉄アレイを置いて帰ったりしてもダメだ。
ま、それに、だ。そういう施設には常日頃から御寄附くださる心の優しいタヌキがいる。ちゃんと派手な格好もせず、マスコミに取り上げられなくても、ずっと「出来る範囲」で続けている立派なタヌキさんがいるのである。
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久代千代太郎
フミさん
karasu
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