9日から12日まで台湾に行ってきた。私は2度目だ。帰国してすぐ、娘の家に土産を持参し、ペットホテルに宿泊していたりーちゃんとむーちゃんを迎えに行った。むーちゃんは「モヒカン刈り」になっていた。わろた。
2匹の宿泊料金は、今回の「人間様の宿泊料金(お一人様)」を超えていた。しかも「食事別」である。更に2割引きなのに、である。おそろしやお犬様―――ということであるが、それだけ大阪日台交流会主催の「台湾勉強会」が、関係者各位、皆々様のご尽力により、旅行会社が裸足で逃げ出すほどのリーズナブルだったことを意味する。我ら家族はくっついて行っただけであります。ありがたや。
また、その中身は「今回も」想像を絶した。ホテルの高級料理の連発で屋台の喰いモノが入らない状態もさることながら、会う人、行く場所がもう、通常の観光旅行者なら絶対にあり得ないことになっていた。これは前回もそうだったが、今回も「御縁」というものが、どれほどありがたいのか、どれほどの広がり、どれほどの可能性を秘めているのかを思い知ることになる。また、私事になるが、やっぱり倅を同行させてよかった。倅の人生に多大な影響を与える「勉強会」となったことに疑いはない。今回、家族連れでの参加を快諾してくださった「大阪日台交流会」会長・野口氏、旅行前から何かとお世話になった同会S氏、倅を弟(舎弟)のように連れて歩き、いろいろと教えてくれていた「若者から日本を変える会」代表の辰巳氏、相変わらず我ら家族を気にかけ、心配りしてくれた大阪日台交流会理事・柿本氏や、その他、多くのお世話になった皆様方に、この場を借りて改めてお礼申し上げたい。ありがたやありがたや。
さて今回、私の小さな夢のひとつも適った。「妻を士林(夜市)に連れて行ってイチゴ飴を喰わせる」というものだ。御蔭様でイチゴ飴どころか、いろんな台湾の喰い物を満喫していた。そしてやはり「八角?だいじょうぶやねん」とのことだった。倅は私を気遣って「ちょっとダメかもしれない」とか抜かしていたが、柿本氏の勧める蛇肉のスープまで喰らっていたではないか。しかも、レセプションで知り合ったお茶の先生、交換留学生の段取りをしているという和服のおばちゃんにまで可愛がられ、冬休みなどの休みを利用して「台湾に住む」とかやりだした。台湾のコンビニでバイトする、などとも抜かす始末。なんと贅沢な。語学を学ぶために留学するだと??小遣いを50万円貯めるだと?ふん。勝手にすればいい。倅は英語で小説を読むし、専攻は支那語であるから、もうすぐトライリンガルになる可能性がある。その母親は1ヶ国語すらマトモに解せんというのに、である。
お前の母親はな、例えば昨日は「ベビースモーカー」と言っていた。これを普通に受け取れば完全に赤子が喫煙している。今やっている映画「ファイナル・デッド・ブリッジ」が観たいと言いながら、誰もツッコまないが、そのタイトルは「ファイナル・ラスト・エンド」になっていた。なんか終わってばっかりである。ならばもう、次回作は「最後の~」もつければいい。インチキ商売人の「閉店セール」みたいになっている。そもそも妻は「本」を「ぽん」と間違えたりする。つまり、音で言語を理解しようとしている。だから、言葉の意味はよくわからんが、ともかくすごい自信だ、みたいになる。その母親のDNAを正味、たっぷりと引き継ぎながら語学が堪能になれると思っているのか。トライリンガルかトライアングルか知らんが、ま、将来、私がアメリカ人や支那人と喧嘩するときには役に立つがね。通訳が倅だと安心だ。むははは(自分で勉強汁)。
まあ、ともかく、平成23年10月9日の朝は早く起きた。京都駅からリムジンバスで関西国際空港へ。柿本氏に連絡すると、今から特急に乗る、とか言うから、家族で「松屋」を喰った。しばらく喰えない「日本の店の味」だ。ご飯はもちろん「特盛り」にした。
柿本氏と合流。妻は「ハゲマンおはよう!」と礼儀正しく挨拶もする。とても40を過ぎた大人の女性とは思えぬ立ち振る舞いながら、妻の中では「アンパンマン」とか「ウルトラマン」のカテゴリーの中に「ハゲマン」がいるから仕方がない。ま、困ったときに助けてくれるのも同じだしな。ンで、その横いるのは辰巳氏だ。私が「日本兵の頭蓋骨みたいな顔の人」と教えていたから、倅は少し戸惑ってもいた。この妻にしてこの夫あり、お父さんも無茶苦茶なのである。それにしても辰巳氏、肉があるのに頭蓋骨・・・はともかく、実は29才だと知ってびっくりした。今でも疑っている。しっかりし過ぎている。また、我が妻が夜市で数分、私とはぐれて本気泣きしたとき、これまた辰巳氏が本気で引いていたのを私は見逃さなかった。明らかにびっくりした表情を浮かべていた(笑)。早く慣れていただきたい。私も妻と知り合って数年間、こんなの演技だと決めつけていた時期もあるが、いやいや、アレは本気でこんなふうな感じなのだと知ったら、とてもいろいろと心配になった。思わず結婚してしまったほどだ。もちろん「ハゲマン」は慣れているから、その様子を報告した際も、あらら、でもだいじょうぶ、今からはみんながいるからね、と慰めてくれていた。さすがは「それいけ!ハゲマン!」なのである。頭に毛が生えてチカラが出ないよぉ~なのである。
関空ロビーで皆さんとも合流する。人数確認などの「班長」を任されて威張る。妻は久しぶりに野口会長を見て「前に会ったときは優しいおっちゃんやったけど、いまは怖い目をしたおっちゃん。なんか違う」とか言い出し「野口会長別人説」を主張し始める。いくら支那共産党でも「人物のすり替え」までするか・・?いや、あり得るか・・?ならば我々は今日、どこに連れていかれて、どんな目に遭うのかわからない・・と疑心暗鬼になったが、ロビーで声をかけてくれた野口氏は、妻のイメージ通りの野口氏だったから安心する。同一人物だ、と小声で妻に報告した。妻はホッとしていた。
荷物を預けて出国審査。妻が「おとしゃんは朝鮮人やからあっち!」とか酷い差別発言をする。出国と入国は違うとあれほど。それでも再入国カードの記入を忘れていた私は、まだまだ外国人としての自覚が足りないと反省するのだった。どこに行っても「こんにちは」と言うのに「あにょはせよ」と返される悲しき運命。チョンに生まれてチョンを断つ、生まれながらにして裏切り者の名を受ける私はデビル・・・いや、激しい火病の心を持ちながら、穏やかな大和魂を同時に宿すことで覚醒する、そう、私は「スーパーチョウセン人」なのである。髪が金色になり逆立つ代わりに目とエラが逆立つのだ、そう!おとしゃんは特別永住者!!説明しよう、特別永住者とは反日改造手術を免れた在日が・・・
きんこーん
なぜだか、いつも金属探知機が鳴る私だった。ベルト・・・??辰巳氏は缶コーヒーを捨てられている。液体はNGなのだが、私はなぜに・・・きんこーん
職員さんが、もういいよ、という感じで通してくれた。手持ち式の探知機でも検査されたが、それでもダメだった。日本に帰ったらオカンを問い質そう。ハーリーレイスのように、体のどこかに金属を埋められている気がする。膝かもしれない。最近、痛いし。
搭乗する前、何の迷いもなく朝日新聞を取る。明日は辛亥革命から100年、台湾での国慶節をどのように書いているのかと楽しみにしていたら、さすがは朝日新聞、ちゃんと社説で書いていた。書いてはいたが、相変わらずディテールは杜撰で、遠目から見ればなんとなく形はわかるが、近くで見れば酷い「手抜き」が散見できる建造物のようになっていた。まるで支那共産党の独裁軍事政権下、そのまま現在の支那丸出しのような駄文だ。
<干支(えと)で辛亥(かのとい)の年にあたる100年前の10月10日、中国の長江中流域、武昌で清朝に対する蜂起が勃発した。これが引き金になって、アジアで初の共和国である中華民国が誕生し、清朝は倒れた。辛亥(しんがい)革命である。
革命を主導した孫文の理想は、民族、民権、民生という三民主義の実現だった。
孫文は袁世凱との対立、亡命などの苦闘を続けたものの、国民党による統一政権は見ることはできずに世を去った。遺言は「革命未(いま)だ成らず」だった>
外観はわかった。大きな問題はない。<アジアで初の共和国>もいいだろう。「蝦夷共和国」などと細かいことも言わない。アジアで初の共和国は中華民国、でいい。しかし、この「外観」で安心して歩み寄ったら、なんとなく、そろそろ違和感が生じ始める。
<その国民党政権も共産党との内戦に敗れ、1949年に台湾に逃れる運命をたどった。
そんな辛亥革命が100年たっても輝きを失わないのは、やはり、中国大陸で連綿と続いた専制王朝を崩壊に導いたという歴史的意義があるからだろう。
「革命の最も堅固な支持者であり、最も忠実な継承者」とする共産党は、台湾との統一を見据えて様々な記念行事を開く。
しかし、孫文が訴えた民主制を求める「民権」や、行政と立法などの権力分立は受け入れていない。そこが健全な発展の足かせとなっていて、国民の不満の原因でもある。とても、革命の忠実な継承者とは誇れまい>
辛亥革命が100年後に輝いているかどうかはともかく、支那共産党が「革命の忠実な継承者」と誇れないのは、孫文の三民主義を受け入れていないから、ではなく、まさに辛亥革命が成した「専制王朝」の打倒後の専制王朝、独裁政権こそが支那共産党だからである。<中国大陸で連綿と続いた~>と、今はもう無いように朝日は書くが、コレは残念ながら今でも連綿と続いていると、報道の自由、言論の自由がある国は知っている。だから支那共産党は辛亥革命から100年経っても世界各地の格差是正デモ、反政府デモが飛び火するのを恐れる。自らが「倒されるべき専制王朝」だと知っているからだ。アリバイ的に「誇れまい」とか書いても仕方がない。元々が大いなる矛盾、的外れな自己欺瞞なのだ。
それに三民主義をいうなら、ついでに支那共産党が如何にコレを悪用しているのか、御都合主義で改竄して「継承者」と抜かしているのかも説明して欲しいところだ。
孫文が言った「民族」あるいは「民族主義」というものは、満州族を倒して漢民族が主導権を握る、というだけのことではない。そのあとに「欧米の植民地から脱する」という結論も導いている。いわば漢民族をまとめて「中華民国」という独立した国家、それも近代国家をつくろうとしたわけだ。だから朝日が言うように多くの日本人も尽力した。戦争の火種になる不安定な国家が近くにあれば、日本が困るのは朝鮮半島も支那大陸も同じことだ。当時の日本からしても欧米の植民地主義に反旗を翻す「アジアの仲間」は必要だった。しかし、支那共産党はいま、孫文の「民族主義」を「五族共和」と歪曲、劣化させて「漢民族とその他の少数民族の平等」と嘘八百、周辺の国々を中華思想の餌食とする方便とした。これを悪用と言わずしてなんというのか。
「民権」もそうだ。これは単純に言うと選挙のことに他ならない。国家権力を選ぶ、もしくは作るのは主権がある在民ということだ。そもそも「中華人民共和国」というくらいだから、本来、支那という国は共和制なわけである。共和制とは人民が統治上の最高決定権を持つことだ。つまり、選挙のことである。言うまでもない。コレも悪用である。
支那にも普通選挙があるにはある。北朝鮮で金正日が投票するのも同じだ。北朝鮮はもっと露骨な国名だ。最近までNHKは生真面目に「朝鮮民主主義人民共和国」と呼んでいたが、コレが正式な国名とのことだ。あの国のどこを探せば「民主主義」が落ちているのか知らないが、支那の選挙も良く言えば「段階的な間接選挙」となるが、普通に言えば単なる一党独裁制度である。共産党しか勝てぬ仕組みになっている。
最後の「民生」などは最も悪質だ。孫文は国家の近代化と社会福祉のことを言った。孫文は資本主義を否定していたわけではない。経済的な不平等については、あくまでも「調整する」という概念であった。国家資本での産業も言うが、資本家の企業についても、その重要性を認めているのである。これを少々、都合よくいじくると共産主義になる。更に支那共産党にだけ都合よく自由経済を取り入れると、今の迷惑国家、支那になる。自由経済の国よりも絶望的な格差が広がるという矛盾した共産主義国、つまり、失敗国家となる。
さて、朝日新聞の続きを読んでみよう。私が乗る飛行機は安定した高度を保ちながら台湾へと向かうが、朝日の社説はいつものように乱気流に突入し始める。
<一方で、台湾は民主化を果たした。民主化は言論の自由を保障し、野党からは「大陸で生まれた孫文と台湾は関係ない」との声も聞かれるほどだ。
日本で辛亥革命が関心を集めるのは、多くの人々が幅広い支援をしたからだ。また、日本留学経験者が革命の主力を担ったことも注目される一因だ。
しかし、現実の日中関係は昨年秋の尖閣諸島沖衝突事件の影響から抜け出せていない。
菅直人・前首相は施政方針演説で「孫文には、彼を支える多くの日本の友人がいました」と語った。これは、革命100年を日中関係改善の糸口にしたい意欲の表れだったのだろう>
先ほど朝日は「支那共産党が辛亥革命の様々な記念行事を開くのは台湾との統一を見据えているから」と書いていた。しかし、台湾の民主化から、何の前触れもなく「日中関係」に移行する文章とは、まるで朝日新聞が「台湾との統一を見据えている」ようである。先ほど「誇れまい」と悪口を書いちゃったから、慌ててフォローしているのか、まったく理解不能でつながらない文章となってしまっている。これは物書きとしては終わっている。
言うまでもないが、内戦で敗れた国民党政府が台湾で民主化を果たしたのと、支那の漁船が日本の海上保安庁の船に体当たりしたのは何ら関係がない。菅直人が孫文を引き合いに出そうが、インターネットで台湾に感謝を示そうが、そこに「日中関係改善の糸口」などあるはずもない。なぜなら、支那と台湾はまったく別、無関係の国同士であるからだ。
途中から何を書いているのかわからなくなった朝日新聞は、ついに最後はぶっ壊れてしまう。
<そして革命から20年後には満州事変が起きた。日本は孫文の求めた「王道」ではなく覇道で中国を侵略した。
そんな歴史を凝視せず、辛亥革命のいいとこ取りをしただけでは、安定した友好関係は築けまい。
来年は中華人民共和国と国交樹立して40年を迎える。
節目の年に次の100年を視野に入れ、政府と民間は重層的な関係構築につとめるべきだし、大国の地位に戻った中国も未来志向で臨んでもらいたい>
「覇道」とやらで中国大陸を侵略したのは支那共産党だ。「辛亥革命のいいとこ取り」しているのも支那共産党と朝日新聞だけだ。支那と国交正常化して40年とのことだが、いまの状態が正常でないことくらい馬鹿でもわかる。それに次はせめて「50年」だろうが。なぜに60年後までを視野に入れてまで、お付き合いさせていただかねばならんのか。また、コレも面妖な話だが<大国の地位に戻った中国も>とは何事か。大国の地位に昇りつめた、でもなく、ついた、でもなく、なった、でもない。「戻った」である。支那共産党の一党独裁国家が過去、大国だったことなどあるのか。この新聞はどこの中国の話をしているのか。
ということで、そろそろ八角の臭いがしてきた(気の所為)。長くなったので続きはまた今度だ。着陸も出来なかった(笑)。
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久代千代太郎
近江謄写堂
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