忘憂之物

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             渋沢栄一

北朝鮮「あとはボタンを押すだけ」

2013年04月12日 | 過去記事


北朝鮮「あとはボタンを押すだけ」

<ミサイル発射準備が整ったとも伝えられる北朝鮮は、「あとはボタンを押すだけ」と述べるなど挑発を続けているのに対し、韓国側は対話に応じるよう、呼びかけを始めています。

 「朝鮮革命武力の威力ある打撃手段は発射待機状態にあり、弾頭には目標の座標が精密に入力されている」(朝鮮中央テレビ 11日夜放送)

 北朝鮮側は、ミサイル発射の動きが韓国では心理戦と報じられている事を非難し、「ボタンだけ押せば発射される」などと挑発を続けています。

 一方、韓国のリュ統一相は11日、操業が止まっている南北共同事業のケソン工業団地について「(北朝鮮側が)対話の場に出てくることを願う」と呼びかけました。また、聨合ニュースによると、朴槿恵(パク・クネ)大統領も対話に臨む考えを与党議員に示したということで、こうした韓国側の呼びかけに北朝鮮側がどう対応するかが注目されます。(12日03:15)>






北杜夫の「さみしい王様」。王様はいつものように大宴会で酒を飲み、酔っ払って階段を133段転げ落ちて頭を強打。すると王様はそのショックでマトモになり、自分の愚かさを知る。頭が賢くなってから自分の王国を見れば、王宮は豪華絢爛だけれど庶民の暮らしは赤貧を極める。冷静に周囲を見れば汚職に不正。大変だ、このままでは国が滅んでしまう。

しかしながら、戦争ばかり、贅沢ばかりだった王様はどうしてよいかわからない。だから優れた役人を呼び付けて「総理大臣」に任命する。その役人は王様の髭が剃れるほど、頭の切れ味は鋭かったが、やっぱり性根が腐っている。「愚かさ」に気付いた王様ながら、どうしようもない「無知」に困惑するも、総理大臣はこれを利用して自分の懐を肥やし、権力を掌握する。王様は懸命に勉強するが間に合わない。だから息子に託して死んでいく。

「物語」はこのあたりから始まるが、現実の世界にはこんなのを3回も繰り返して酷くなる親子がいる。北朝鮮だ。国民は飢えているどころか、子供を交換して茹でて喰ったり、少し前の支那と変わらぬ地獄絵図となっている。それでもコロコロ太った三男坊は「悪い総理大臣」に騙されているのか、自分も馬鹿のままなのか、北杜夫の書く「王様」とは違って、飢える国民を見て落涙するわけでもなさそうだ。

まあ、それにしても賑やかしい。テレビも連日やっている。みたくもない三男坊の顔が毎日流れている。広告宣伝費にすると結構な金額になるだろう。また、巷では「天気が良いから明日じゃないか」とか、花見のシーズンの延長みたいに呑気だ。流行語には「無慈悲」がエントリーされるんじゃないか、と冗談を言いたくなるほど、ネットの中でも盛り上がっている。「お祭り気分」と言ってはアレだが、明らかに面白がられている。

しかしながら、政府関係者や自衛隊などは気楽に構えていられない。それなりに人も金も使ってすべきことをやらねばならない。核弾頭なんか積んでない、も落ちて来なければわからない。民主党じゃないんだから、なにかあってから「まさか」で済まない。もちろん、普通に考えれば「撃つぞ」と言ってから撃つなど、そんな親切な戦争もない。やるならテロになるが、北朝鮮なんかオウム真理教をちょっと大きくしただけだ。しょうもない。

それならアルカイダやタリバンのほうがよほど怖い。2007年のアフガン、ヘルマンド川付近で米軍のCH-47チヌークヘリが撃墜されたが、使われた武器は北朝鮮が売った肩着式地対空ミサイル(MANPAD)だった。相手が米軍であろうが、連中は「やる」と言ったらヤル。北の三男坊みたいに韓国にだけ攻撃する、みたいな見境もない。それに独裁者でもないから権力も要らない。べつに贅沢したいとかもない。実行力もあるから、アメリカが嫌いなスポンサーも付く。支那やロシアに気兼ねしながら外貨を稼ぐ必要もない。

だから国際社会は北朝鮮を怖がらずに心配している。引っ込みがつかなくなる前に「なんとかしてあげよう」と案じている。さっそくにも同胞の誼で韓国も折れた。日本もそのはずだったが、残念ながら民主党政権が終わっていた。鳩山由紀夫や菅直人も日本国民に馬鹿もバレて、おまけに売国奴だったと周知された。社民党も次の参院選挙で消滅するから「人工衛星だったらどうするの」と庇えない。NHKや朝日新聞も支那関連の捏造が忙しく、北朝鮮に構えなくなってきたのか<愚かというほか、言葉が見つからない>と投げやりだ。アドバイスも<失った信頼を考えればすでに遅いともいえるが、今からでも危険な挑発をやめ、国際社会と接する道を残すべきだ>(4/9朝日新聞社説)くらいしか言えない。北京と同じく、馬鹿な三男坊にイラついているように見える。

それに「脅す」というのは存外に簡単じゃない。「押しと引き」における絶妙のバランスを要する。町のチンピラレベルの頭じゃやれない。ヒトラーはミュンヘン会談でイギリスとフランスを「脅し」て、ちゃんと領土、つまりズデーテン地方を取った。ポーランドに侵攻しなければヒトラーの勝ちだった。キューバ危機のときケネディもそう。ソ連首脳部は本気でケネディが「戦争になります」と教会で祈りを捧げ、テレビで緊急放送をすると信じた。その根拠とは言うまでもなく、戦争は避けるけれども怖がってはいない、という主権国家としての覚悟。それからソ連側300発に対して、アメリカの核ミサイルは5000発という軍事的な事実だった。それがわかったから、フルシチョフは建設中の基地もミサイルも解体した。ケネディもキューバに軍事進攻しない、と折れた。

戦争も外交も押したり引いたり、勝ったり負けたり、だ。互いに間違えると結果は悲惨なことになる。どこの外国でも国益のために外交をする。キューバ危機の回避も、べつに「平和に目覚めて」など関係ない。あったのはどうしようもないパワーバランスと「駆け引き」だけである。感情の入り込む余地などまったくない、絶対的にクレバーな「交渉」の結果なのである。そういう意味で北のカリアゲの父親も祖父もマシだった。辛うじて「崖っぷち」とか「綱渡り」とか「瀬戸際外交」と国際社会は呼んでくれた。

遊びじゃないんだからミサイルを上に向けたとか、格納庫から出したけど入れたとか、子供染みたことは止めたほうがいい。そもそも強盗でも「カネを出せ」という。包丁振り回すのはそれからでもいい。「なんか喰わせろ」では笑われてお仕舞いだ。





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