忘憂之物

ドッペルゲンガー



施設の避難訓練。今回の防災隊長は私だ。ボイラー室で火災発生。第一発見者である私は「火災発見!」と叫んで消火器を向ける。ちゃんと「しゅ~~!!」とかも言って臨場感を演出する。しゅ~~!!「・・・消火器は数分で尽きますから(消防署隊員)」と突っ込まれるまでしゅ~!!をやる。

「初期消火活動失敗!!」と言ったあと非常ベルを押す(強く押してください)。結構な音が響く。事前に何度も何度も説明しているとはいえ、びっくりしたジジババが心臓発作で死にはしないか心配になる。ボイラー室付近にいる(と想定される)利用者と職員に「火災です!避難してください!」と告げる。駆けつけた上司(と想定される)に「自分は各階の避難誘導にあたります!」と報告してから決死の救助活動に入る。若狭湾で二度も焼いた背中にオバちゃん職員のハートマークを感じながら、私は危険な火災現場(と想定される)に飛び込むのであった。もし、自分に何かあったら、そのときは妻に・・・・ごほごほ(と想定される)みたいなアレであった。

鉄製の扉を開けてフロアに躍り出ると、そこは平穏な夏の日の午前中、ジジババがのんびりしている。たぶん、半分ほど燃えている。火災発見から時間にして2分少々、既に煙はもくもく状態。他の職員らに利用者をベランダ非常脱出口に誘導するよう指示、私は各居室、トイレなどに逃げ遅れた人はいないかを確認して回る。もちろん、事前にプリントも配っているから誰もいない。「引っかけ」で誰か残っているかと思ったがそれもない。

職員も看護師も利用者の車椅子を押して逃げる。私は全員避難を確認してから、また危険なボイラー室、猛火が唸りを上げ、悪魔の口から吐き出される煙の中(と想定される)を通って報告に行かねばならない。と、そこに妙なテンションの見知らぬ女の子が近寄って来て、私に「わたしも車椅子、押してよろしいでしょうか?」とか聞いてくる。

キミがだれかは今、問わない。私は隊長の「ちよたろ」だ。私の使命は一つでも多くの命を助けること、つまり、友愛の精神だ。この非常時、私は使えるモノは猫の手でも尻尾でも鳩山由紀夫でも構わぬと考える。だからもちろん、キミにも頼む、と言ったあと、私は「とある女性」を思い出して振り返った。・・・??・・キ、キミは・・・・・

しかし、いまは非常時だ。ともかく頼んだ!と告げた私はバスタオルで口を押さえ、階段をダッシュで駆け下りた。施設入り口には天下りの施設長が、明らかにサイズの合っていないヘルメット姿で待っていた。卵の殻をかぶった事なかれ主義だ。「笑ってはいけない」みたいだったが、私は毅然と「利用者62名、職員10名、避難完了いたしました!」と報告する。芝居がかった「了解しました」が返ってきた。彼の人生はすべからくこうであった。就職に結婚、人生のあの瞬間もこの瞬間も、すべてが芝居がかったモノだった。すなわち、よくわかっていなくともそれで結構です、いやいやどうも、ははは、そりゃその通りと、なんでもかんでも「了解」してきた人生だった。

消防署のおっちゃんが「全員避難までにかかった時間」とか教えてくれる。それから改善点とか良かったところとかも伝えてくれる。火災は怖いが、ゲームみたいで面白かった。軽いミーティングを終えて戻ると、先ほどの女の子がいた。眼鏡をかけていてガリガリ。化粧っ気はないが、おっとり美人。色が白くて背も高くなく、ちょっと猫背だった。「秀才臭」がぷんぷんする。

他の職員が「ちよたろさん、ちよたろさん、あの実習生の女の子が探してましたよ」と言ってきた。彼女は時間の少し前に到着し、自分が今日よりお世話になると挨拶をしようと「ちよたろさん、とはどこでしょう?」と探していたというのである。律義である。

「教師になりたいんです」という彼女は19歳。先ず、私が驚いたのは「声」だった。あまりに「とある女性」と同じ声であった。それと「口調」も同じだ。物静かながら伝えることはしっかりと伝える。不思議な力強さを感じる。言葉選びのセンスも良く、不愉快な若者言葉が発せられない。この年代特有のきゃーきゃー言う煩わしさも感じない。たぶん、電話とかなら成り済ませる。見た目の感じも、まあ、似ている。

「なにをすればよろしいでしょう?」

真顔だ。まるで感情がないように見えるが、そうではない。また、とくに緊張しているとかでもない。私は知っている。この中身は普通の女の子。それでも親の躾とか、先輩諸氏の影響とか、ともかく、この子を取り巻く環境がこの子に「社会」というモノを教えているのだとわかる。ちゃんと「好きな男性の前」では甘えることもできる。

物事をはっきり言うことと無礼非礼は一線を画する。このメガネちゃんもそうだ。「大人しくて引っ込み思案」なわけではなく、ちゃんと自己主張すべきときは歯の衣を脱ぎ、大胆、且つ、攻撃的なモンローウォークで歩み寄る(はずだ)。つまり、この子は先ず、しっかりと自分の頭で考える癖がついている。いつも使っている膨大な数の思考経路は整備されていて、スムーズにいつでも使えるようになっている。仮にこの子に「現在の政局優先の国会、消費増税と福祉の一体化法案と解散を絡めたドタバタ、そしてそれを冷静に見据える周辺諸国の動向について、キミは何か思うことがあるかい?」と問えば、たぶん、しばらくの沈黙を要した後、自分はこう考えます、みたいな答えが出るに違いない。

それから「わからないこと」と「知らないこと」を峻別し、知的好奇心溢れる怒涛のような質問が降りかかってくる。その吸収力は砂漠に水を垂らすかの如く、すぐにこちらの準備が間に合わなくなって白旗を振ることになる。私は知っているのだ。そう。私は「彼女」を知っているのだった。

彼女は実習生だから、利用者さんの「介護」はできない。しかし、やれることは結構あって、それは私の匙加減にも大きく影響される。「車椅子を押すこと」も私の許可があればやっていいし、なければ「触ってはならない」とされているからだ。

私はひとりの「風呂上がりの爺さん」を用意した。この爺さんにドライヤーをかけてくれと。その際、私は「この人はね、阪神タイガースのファンだから。ちゃんと阪神タイガース風にドライヤーをしてあげてね」と伝えてみた。すると彼女は困惑する様子もなく、ドライヤーを手に取り、お爺さんの頭に向けた。私は距離を取って観察する。

彼女はしばらく黙っていた。コレも予想通りだ。それから私を見つけると歩み寄り「わたし、阪神タイガースの歌をしりません」―――

真顔だ。くすりともやらない。とはいえ決して怒ってはいない。冷静沈着だ。これもわかる。私は知っているからだ。だから私も真面目な顔で「六甲おろし、しらないのか。それなら仕方ないね」と言ってみる。それから、ろっこぉ~おろぉ~しにぃ~さっそうぉぉとぉ~♪とちょっと教える。すると彼女は先ず、その曲なら知っています、と頭の引き出しを開けて取り出してから、すぐに画期的な提案をする。

「鼻歌でもよろしいでしょうか?」―――

素晴らしい。おちょくられている自覚はない。単なる浅薄な負けず嫌いとかでもない。つまり、誠実なのだ。目の前の問題、あるいは試練に対して正面から受け止める癖がついている。先ず、ちゃんと考えてみる。課題に対して取り組む。妥協案や改善策を提示して見せる。いま、私の眼前で繰り広げられる「六甲おろしを全力の鼻歌ながらドライヤーをかける19歳女子大生」の姿がソレだ。私が殺されるのはその後になる。

しかしながら、まあ、オバサン職員が反応し始める。なによ、あの子、トロくさいわね。

違う。あんたらと違って彼女は反射神経で動いていない。ちゃんと観察して、考えてから行動している。とろく見えるのはその所為だ。そして、1週間もすればあんたらは敵わない。1ヵ月もすれば改善案を出してくる。1年経てばあんたらは彼女に指示を受けている。



休憩時間、ところでキミは非力ですね?と問うてみる。彼女はなんの躊躇いもなく「はい。私に腕力はありません」と答える。その知的誠実性から「なぜ、そんなことを?」がない。

例えばキミは「スマートボールの発射レバー」を引くのも難儀するレベルの非力だね?連発で発射できず、なんというか、その玉をひとつずつ、かこーん、ぽこーんという感じのアレで、周りからしたら、この子はコレの何が楽しいのだろう?と心配になるほどの・・

「・・・??・・・すまーとぼーる??」

いや、いい。忘れてくれ。


彼女はジジババと「コミュニケーション」をする。これは仕事が忙しくなってきて、実習生を構っていられないときなど、とりあえず「コミュニケーションしてて」と言われるアレになる。私も実習の際、一日中、コレをやらされて認知症が感染したことがある。終日、あーうーとしか言わぬ「這いずりゾンビ」の相手をさせられた苦い思い出がある。

施設に話すのが好きな婆さんがいる。もちろん、真面目に聴くのだが、これがまた99%以上、なにを言っているのかわからない。私を含む職員も「ああ、そう」とか「なるほど」とか、適当な相槌をうってお茶を濁して逃げるのが通例となっている。もちろん、彼女にはその婆さんを用意した。さあ、相手をしてやってくれ。

彼女は婆さんの目を見ながら何か話し、それから懸命に聞く。しかし、やはり、解さない。頃合いを見て私が近づき、どう?とやる。彼女は正直に「ちょっとわからない部分があります」と小声で返してきた。私は余裕をこいて婆さんの肩を叩き、よ!元気?とかやる。すると、婆さんは「かkれhv愛rjゴアいjpろgjkろkぺ」と話し出す。私はふんふん、え?そうなの?でも、うん、まあ、そうかな、などと「会話」する。彼女は興味深々、私と婆さんのやり取りを観ている。

なんて言ってたかわかる?

「いえ、わかりません」

いまのはね、安定した財源確保としての消費税はナンセンス、景気を回復させてから、ある程度のラインをキープするのが先。右肩上がりはなくていい。高めキープが大事。それなら世界有数の日本企業、ばっちり納税もしてくれる。経済が動けば雇用も確保できるから、これまた税収が見込める。税金上げれば税収が安定する、というのはまやかし。喜んでいるのは日本の景気回復が不可能になる、つまり、経済力という国力が衰退して欲しい国、だから社民党や共産党は消費税に反対。たかる相手がいなくなる―――

みたいなことを話してたんだよ。一世紀を生き抜ける先人からの警句だね。

「・・・・・で、でも、ちょっとはわかります、あのですね・・」


彼女はなにを話していたかというと、先ずは簡単な挨拶だった。ぽぽぽーんではないが、例えば「おはようございます」と言えば「なwqhgくぇお」と返る。相手は老化しているだけで呆けているわけではない。すなわち、この婆さん、なに言ってるかわかんないだけで、確実に「何か」を言っているのだ。「お名前を教えてください」「今日は何曜日でしょうか」「ここの施設はなんという施設ですか」―――相手の答えを予想出来る質問はいくつかある。これでなんとなく、その発音からヒントを得る。ならば単語を拾える。単語から意味を組み取り、前後の出来事、あるいは状況、環境を合わせて予想する。婆さんの言葉が「見えて」くる。

「fhうぃwqjfgくぃおれjg・・・・」

・・・・????

「・・・・お手拭ですね!」

彼女はお絞りを持ってきた。はい、どうぞと。婆さんは喜んでいる。私の負けだ。




キ、キミ、キミは虫の死骸を躊躇いなく触れるね?

「はい。とくに問題なく」

死んだセミを見るとつまんだりするね?

「・・・・とくに抵抗はありません」

今日、決まった時間よりも、ちょっとなんでだろう?とみんなが思うほど早く着いたのは、歩いて数分の最寄り駅から施設までの道のりが不安だった?

「・・・!!は、はい、そうです。お父さんと下見をしたンですが・・・」

曲がり角は3つしかない。それでも「迷うかも」と思ったね?「迷うはずだ」と。

「はい。駅からすぐの場所、それも駅前と言って差し支えない場所に着かず、しかも帰れなくなってお父さんに電話したこともあります。先月です」

いま、キミが立っている場所から東西南北、これ、まったくわからない、あるいは考えたくもないね?

「はい。私には上と下、右と左という概念しかありません。自宅から数分の市役所に2時間かけて到着して感動したこともあります。先々月です」

はい!そのまま!駅はどっち?!

「・・・!!え、えっと、こっち・・???」

合格だ。そっちは山だ。というか、そもそも見えているぢゃないか。キミはまた、遭難するつもりか。




私の頭の中には「桜の花が散った後の大阪城公園」が広がっていた。


私はたぶん、キミに出会ったのは2度目だ。

「・・・???えぇ??いつですか?どこかで??・・・???」


いや、あの、すまない。正確に言うと、それほどキミは「とある女性」に酷似している。その女性は頭が良く美人、知的好奇心溢れる尊敬に値する女性だ。その大和撫子は私が尊敬してやまない禿げたお兄さんと結婚して、いまは元気な男の子のお母さんとして頑張っている。キミも禿げには気をつけるんだ。


「・・・???ハゲ・・・?」

いや、いい。気にしないでくれ。

「でもなんか、すごく嬉しいです。ありがとうございます」

そうか。それなら今日のレポートを書いてくるんだ。事務所にある。

「はい!それじゃあ、書けたら持ってきます!!」



うむ。初めて笑った顔を見た。可愛らしくてよろしいが、彼女が走って行った先は事務所に下る階段がある扉、ではなく、障害者用のトイレの入り口だった。「評価」の欄は楽しみにしておくがいい。合格だ。

コメント一覧

久代千代太郎
>▲

19だからなぁ~~せめて45からでしょ、女性は。


今後、「ちよたろさんに惚れる」に1票入れときます。

しかし、僕もある方のお顔にしか変換されませんでした。
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