片桐被告のアパートの近くにある理容店の店主は「(片桐被告は)母親の手を引いてよく散歩をしていた。母親が疲れて座り込むとおぶっていた」とインタビューに答えている。片桐被告は認知症の母親の介護をするために2005年の9月に退職した。最初は仕事を休みながらデイケアを利用するなど努力したが、母親はついに昼夜が逆転、徘徊して警察に保護されるようになった。片桐被告は致し方なく職を辞し、母親の面倒を見ながら、ハローワークで仕事を探していたのだという。しかし、50代男性が「時間の融通」まで条件にすれば、おのずと雇える職場は限られる。そのうち失業給付金も期限が切れ、カードによる借り入れも限度額となった2006年1月、ついに翌月の家賃が払えない状態に陥る。
片桐被告は「京都市保険福祉局」に2度、母親を介護するために生活保護の申請を行っている。最近、大阪市では「生活保護目的で入国した支那人48人中の32人」には滞りなく支給されている生活保護だが、片桐被告の場合は申請要件から外れているとされて支給を断られた。片桐被告の供述にはこうある。
「父親に他人に迷惑をかけるな、人に後ろ指を指されることはするな、と躾けられた」
片桐康晴被告は京都市中京区の西陣織の職人の息子だ。この父親の躾こそ「日本の職人気質」である。ギリギリを過ぎても「自分で何とかすべし」という気質が、片桐被告を2度しか保健福祉局に向かわせなかった。職員は「申請の条件に当てはまれば支給していた」と答える他ないそうだ。ちなみに、この翌年の2007年7月には北九州で「死後1ヵ月」が経過した高齢者の遺体が発見された。生活保護は4月に打ち切られていた。6月上旬の日記には「おにぎりが食べたい」と書かれていた。これも職員は何度も会っている。
また、その翌年の1月、福岡県では生活保護を受けていた64歳の女性が、実の姉(75歳)の孫にあたる26歳の男から「1年半」も生活保護費を取り上げられ、あまつさえ暴行されて死亡するという事件があった。死亡時の被害者の体重、実に30キロ。お金がなくて何も食べられない日が続いたという。なんということだ。なんで生活保護を受けている64歳のおばあちゃんが、何日も食べないでいなければならないのか。なんということなのか。
細身の体には暴行を受けたと思しき痣が無数にみつかった。福岡県嘉麻市の福祉事務所の職員は「情報が入らなかった」と言った。ならば、被害者の自宅を訪問していたケースワーカーはといえば、これがなんと「顔面の痣」に気付いていただけではなく、被害者から直接「お金を取られている」と相談を受けていたのである。なのに、この被害者女性の「生活安定度」は「C評価(安定している)」であった。顔面にアザがあるおばあちゃんが「金を取られている」と相談しているのに「安定している」と評するのである。だからヤクザに対しては我々の税金である生活保護費をジャブジャブ抜かれ、支那朝鮮人にも我々の税金である生活保護費をジャブジャブ渡すのである。いやはや、さすがは「生活保護法」に基づいた公正、且つ、適正な基準である。恐れ入った。
さて、これらの事件における市の福祉事務所職員、あるいはケースワーカーが、なぜに深く調査、追求しなかった(できなかった)のかと言えば、その理由は見事なまでに一致する。身の毛立つ話だが、それはずばり、
「プライバシーへの配慮」である。
福岡の64歳女性は殺害される前年の夏から電気・ガスが止まっていた。支払えないからだ。この26歳の鬼畜は気が向いたときにカップラーメンを放り込んだらしい。奪った生活保護費は外人パブで遊んだそうだ。事件を捜査した幹部は「完全に金ヅルにしていた」と話している。被害者女性は生活保護費を奪われるだけではなく、知り合いから金を借りるようにも脅されていた。これを調べて警察に相談するのに、なにが「プライバシーへの配慮」なのか。プライバシーに配慮すれば、暴行されて死んでも仕方がないのか?
認知症の母親の介護しながら、50代の男性がどうやって仕事を探すのだ?その詳しい状況を確認して上に報告して、上司が馬鹿なら机叩いて説得して、なんとかして差し上げるのが仕事ではないか!なにが「プライバシーの配慮」なのか!生活保護を打ち切り、その後「死んでしまうような状況」をなんとかして差し上げるのに、なにがどうして「プライバシーへの配慮」なんだ!貴様ら、頭の中にクソでも詰まっているのか!なぜ、自分の頭で考えない?なぜ、自分の心に問わないのだ?「弱者救済」などと抜かしている政党も、自分の足で歩いて炊き出し喰いに来れる若造はどうでもいい。ネットカフェでインターネットできる連中は放っておいても死なぬ。年寄りを救え!年寄りを!!
「プライバシー」とは私生活のことだ。
自分の私生活を「守りたい」と抜かすなら、まだ、余裕があるとみなしてよい。福祉の仕事とは「私生活を守れない人」を救うのが先ず、優先されるべきはずだ。それは「救わねば守れない」からだ。それから自立を手伝うのであろう。「自分で立てるかどうか」をプロとして見抜かねばならんはずだ。見極めねばならんはずだ。そのためにはプライベートもプライバシーも後回しである。
生活保護費も納税者の血税を充てるのである。役人が必死にならんでどうするのか。私生活を守れぬ人は死ぬのである。人が必死にならんでどうするのか。
―――――桂川の遊歩道。夜の10時を回る頃、周囲に人はいなくなった。
「もう生きられへんのやで。ここで終わりやで」
片桐被告は母親にこう告げたという。すると母親は「そうか。あかんか」と答え、「康晴、一緒やで。おまえと一緒や」と言ったという。
「すまんな。すまんな・・・・・」
「こっち来い康晴、こっち来い」
母親は片桐被告の額に自分の額をくっつけ、
「康晴はわしの子や。わしがやったる」
と覚悟の言葉を口にしたという。
片桐被告はタオルで母親の首を絞めたが、その後、直接、手で絞め殺している。母親の死を確認したあと、今度は自分の頸部をナイフで切り裂いた・・・・・・・・・。
大阪市の32人の支那人は合計241万円の生活保護費を受け取った。大阪市役所は「極めて不自然」としながらも「法的には支払わねばならない」としている。また、これで不正などが発覚して保護取り消し、保護費も返還せよ、としたところで返ってくるはずもない。支那共産党から取り立てることもできまい。
規則だからで安易に渡して、規則だからで冷淡に切る。しかし、役人も人間であろう。ならば通り一辺倒、紋切り型の対応だけでは済まぬこともあると知っているはずだ。
片桐被告は刑法199条の「殺人罪」ではなく、刑法202条の承諾殺人罪で裁かれた。
「もう一度、生まれ変われるものならば、また、母の子として生まれたい」
こう供述する片桐被告に、少しだけ、ほんのわずかでもいい。来たばかりの日本、大阪市で48人前も生活保護を申請する支那人のような図太さがあれば・・・と悔やむことを禁じ得ない。
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